「おれは手前の厭がることはしたくねぇ」
「う、うん」
「けどな、手前が云ったんだぜ、この一週間がんばったらいっしょに風呂入るって」
「えーと……でも中也さん、ベロンベロンに酔っちゃってるし、飲酒後のお風呂は危険なんですよ。だから明日にしませんか? ね?」
「おれは酔ってねぇ!」
「じゃあ、どうやってここまで帰ってきたか云って!」
「……」
付き合い始めて半年。
恥ずかしさととある事情から、一緒にお風呂に入るのを渋ってのらりくらりと躱していたのだけれど、とうとう痺れを切らした彼よって約束を取付けられたのは先週の話だ。この調子ならば明日は記憶も残っていないだろうし、上手く行けばもう少し猶予を伸ばせるかもしれない。
厚さを増した腰周りにさりげなく触れてみる。わたしの都合で大変申し訳ないとは思うのだが、暗い部屋ならまだしも、浴室の煌々とした明るさの下で……と考えるだけでもいたたまれない気持ちになる。
顔にぎゅっと力を入れて、わたしの質問への答えを探していた彼は、帰路のことを憶えていないことにショックを受けたのか先程までの威勢の良さはたちまち消えてしまった。
「明日、だな。ぜったいだぞ」
「うん、それにもう遅いですし寝ましょう?」
幼子に云い聞かせるように、できるだけ声音から角を削って丸くする。
白紙に戻るわけではないのに、どこか不安そうにわたしの指先に彼が触れてくる。ようやっと取付けた約束を彼が楽しみにしていたことは知っていた。「よっしゃ」と無邪気に嬉しそうに零した言葉に、わたしも擽ったいながら嬉しいと思った。それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。彼とそういうことはすでに何回もしているけれど。
もっと駄々をこねられるかと長期戦も覚悟したが、意外にも彼は大人しく|寝台《ベッド》へと入り、寝かし付けるように頭を撫で続けているとウトウトし始め、ことり、と寝入ってしまった。
組織の柱として厳しい表情が多い彼の無防備な寝顔はいつまでも見ていたくなる。
「かわいい……ほんとにかわいい、どうしよう、赤ちゃんみたい」
聞かれていたらさぞご立腹だろう。
お酒の影響もあってかいつもより体温の高い彼に身を寄せて、わたしも静かに目を閉じた。
「ん……ん? ちゅうやさん……?」
「おはよ」
「どうしてわたしの上に……?」
「|接《キ》|吻《ス》しようと思ったら起きたんだよ。妙に勘づくよな手前は」
頬に宛てがわれた手が顎にかかる。身を捩って体勢を変えることを許さないように、ちゅ、と触れるだけの接吻を数度された。機嫌がいい気がする、と思ったと同時、もしかして、という予感めいたものも感じる。
「あれ……この音って」
「風呂溜めてる」
「え、あ、おふろ、ですか……?」
「『明日入る』って約束しただろうが」
「! まさか、おぼえて」
「その真逆だよ、残念だったな? どうせ俺が忘れてて無かったことになるか延期だとでも思ったんだろ」
今度は咎めるような接吻をされた。口を閉じるいとまもなく彼の舌が口内に侵入してくる。舌のやわらかさとは対照的な獰猛な動き。擦り合わされるときは優しいのに吸われるときは荒々しくて、思考がどんどんふやかされていくのが判る。
「……ま、自分でも憶えてるとは思わなかったけどな。つーかなんで今まで渋ってたんだよ」
「だ、だって、その……全体的に太った、ので……特にお腹あたりが」
「はぁ? 変わんねぇだろ。たった数cmなんて誤差だ。それに、焦らされた理由としちゃあ、到底納得のいくもんじゃねぇ」
「やっぱり気付いて、」
「もう黙ってろ」
「まっ、ん」
ただお風呂に入るだけでは済まさない、と云うように幾度も覆いかぶさってくる接吻に心臓が激しく脈打っている。まだ当初の約束であるお風呂に入ることさえ始まってもいないのに。
「悪ィな。先に謝っとく」
「!!」
「俺にとっては取るに足らない理由でも、手前にとっちゃそうじゃねぇんだろ。俺だって手前の気持ちは尊重したい。けどよ、感情って奴ァ厄介なんだ。頭では判ってても、どうしようもなくお前を――ナマエを求めちまう」
ここで名前を呼ぶのは狡い。認めて許してすべてを受け入れてくれる彼の言葉の前では、どんな理由も太刀打ちなんて出来ない。
「大丈夫だ、安心しろよ。手前は俺に身を委ねるだけでいい」
足腰が立たない、というのを戦闘訓練以外で思い知った日のことが瞬間的に頭をよぎった。
背筋がぞわぞわと粟立つ。低く掠れた囁きが鼓膜を揺らす。こころよいというラインなんてあっという間に飛び越えて、甘い痺れがしじまのように躰へ広がっていく。
のぼせそうだとか、体力の差だとか、今日は寝台から出られなさそうだとか、その他もろもろの憂いを晴らすように、彼がいっとう優しい接吻を落とした。