足裏と足裏を合わせた時に全体から伝わってくる柔らかさだとか、重なったときに余白が出来たのを見て感じるその大きさだとか、自分よりも高い体温の人肌のぬくみだとかを頭の隅っこで感じながら、私は手に持っている雑誌へと視線を走らせていた。
 右や左に揺れながらバランスをとりつつ、私は今ベッドにてうつ伏せに寝そべっている夏油の足裏に乗ってマッサージをしている最中である。
 任務もないため、「暇でどうにかなりそう」とメッセージを送ったら、「DVDでも見るかい?」と返事が来たので、断る理由も特になく夏油の部屋へとお邪魔した次第だ。他の二人は先生に呼び出しを食らっており、寮にはいなかった。
 先に言っておくと、私たちは同期であり友人、それ以上でも以下でもない。艶っぽい雰囲気になったことも一度たりとてない。五条や硝子も一緒になって、誰かの部屋でジュースを飲んだり、ご飯やお菓子を食べたり、徹夜でゲームをしたりと、集まることなんてしょっちゅうだ。そのあとはお決まりの雑魚寝である。起きれば互いに酷い顔色、ボサボサ頭なものだから、間違いを起こそうという気にすらならないだろう。まあ、夏油とこうして過ごす時間は変に気遣うこともないので、なんだかんだと居心地が良かったりする。
 夏油が見るかい?と聞いてきたDVDは見てみたが、あまり面白くなかったために早々に消した。暇つぶしの最たる物がなくなり、どうしようかと短い議論を交わしたのち思い付いたのは、じゃんけんで勝った方がマッサージをするというものだった。私がチョキ、夏油がパーであえなく私がすることになったのだ。
 肩、肩甲骨、腰と順番に指圧していたけれど、夏油の体があまりにも硬くて私の指が死んでしまいそうになったので、開始五分で断念してしまった。
「そうそこ、もっと強く、……うーん? ちゃんと押してる?」
「押してるよ! 夏油の体が硬すぎるの! これで何も感じないとかコンクリートじゃん……」
「失礼だな、君の力が弱いだけだろう。ほら、もっと頑張って」
「……」
「い゛、っちょっと、待て!ナマエ……! 私が悪かった、だから、肘でグリグリするのは、……った!」
「分かればよろしい」
 流石に肘だと痛いだろうな、と気遣いをしたのにそれも無用だったようだ。フォークでも突き立てるみたいに、容赦なく夏油の背中のツボへピンポイントで肘を沈めると、呻きながらギブアップだとでも言うように、後ろ手で私の体をパシパシと叩いてくる。
 マッサージをしてもらっている立場で文句など付けるからこうなるのだ。まあじゃんけんで勝ってしまったからには致し方ない、とサービス精神を発揮した結果、やるならもっと楽にできる方法がないかを考え、足裏ふみふみに辿り着いた。
「痛くない?」
「うん、気持ち良いよ。君の体重もたまには役に立つね」
「……」
「踵で指先踏もうとするのやめようね」
 夏油の発した、引っかかりのある言葉により生じた私の苛立ちを感じ取ったのか、踏み付けようとしたら、彼は瞬時に足を移動させ難を逃れた。獲物が逃げた後、私の足は虚しく夏油のベッドに沈む。地団駄を踏んだみたいになって、余計に馬鹿らしくなってしまった。どうしてやられっぱなしの心境になるのか。どうにも解せない。有終の美で終わるためには、と考えて自分が今持っている雑誌がなんであるかを思い出した私の顔は、さぞかし人の悪い笑みを浮かべていたことだろう。私はその場でしゃがむと、携帯で何やら動画を見ていた夏油の隣に倒れ込んだ。
「び、っくりした」
「あはは、ごめん。私も横になりたくて」
 反動で体が跳ねてベッドに着地する。若干驚きに瞠った目が向けられ、次いで視線が私の持っている雑誌に注がれると、より驚きが増して見開かれる。
「……ねえ、その本、どこから……」
「辞典と辞典の間に挟まってて尚且つ、背表紙が後ろになってたやつ」
「それは私のじゃない」
「夏油ってこういう女の人? 体位? が好みなんだね。このページだけやけに読み込んだ跡が……」
「いやだから、それは悟の、」
「別にこのえっちな本が夏油のだろうが、五条のだろうがどっちでもいいよ。健全な男子なら持ってても不思議じゃないだろうし」
 一応隠していたつもりなのだろう。見つけらてしまった上、私が普通にペラペラ捲って読んでいる様子に狼狽している夏油が何とも面白かった。これまでに見たことのない表情をしている。もしかすると彼から一本取れたのでは?と内心で勝ち誇っていると、手から雑誌が抜き取られた。夏油が体を起こしたかと思うと、彼の両手がそれぞれ私の耳の横に沈み、スプリングがギシリと軋んで、視界全てが彼の浮かべた意味ありげな笑み一色に染まる。
「試してみる?」
「……頭でも打った? とりあえず退い、」
「まさか君の方から、雰囲気作りをしてくれるとは思わなかったな。それに、いくら友人だからと言って、男の隣に寝そべるなんて」
 私にとってはだいぶ物騒な言葉が夏油の口から飛び出てきて、目を白黒させてしまった。がらりと変わった彼の雰囲気に、前触れなんてあっただろうか、と私の方が狼狽してしまう。これまで夏油からそういった類の視線を向けられたことはないはずである。いくら何でもこういうからかい方は良くないだろう、とやや強めの視線を送っても、彼は攻撃の勢いを殺すようにさらりと受け流してしまった。
「冗談でこんなこと君に言うと思う?」
「いきなり、どうしたの……」
「好きじゃなきゃこんなことしないよ。それにもう、我慢してばかりは飽きてしまったんだよね」
 きっかけを作ったのは君だ、と表情はとても優しいものなのに、声音が全然優しくない。ずっと我慢していたという物言いにも驚いたが、そもそも夏油が以前から私に対して恋情を抱いていた、という事実の方が信じられなかった。
 この現状をどうにか打破出来ないだろうか、とおずおずそう思ったままを伝えれば、夏油はふう、と嘆息してから語り出す。部屋で毎回全員で集まっていたのは、純粋に四人でいると楽しいのもあったが、二人を呼ばないと気持ちの抑制がきかずに私を襲ってしまいそうだったから、だと。告げられた真意に私は言葉を失うしかない。
「君から今日連絡が来た時点で、もうそろそろ、あからさまなモーションでもかけようかとは思っていたんだけど。タイミングを図っていたんだよ」
「な、……え……?」
「ご飯だって何回か奢っただろ?」
「それは夏油が、負けた、からで……」
「私が勝負事で負けると、本気でそう思ってるのかい? 何かにかこつけないと君、奢らせてくれないじゃないか」
 次々と発覚していく、夏油が私へとアプローチをしていた事実にたじろぐ。それに釣られたように、髪を数センチ切った時も、休みの日に出掛けた際新しい洋服だったことも、体調が悪い時も、いち早く気付いてくれたのは夏油だったなあ、とふと小さな出来事が浮かび上がってきて、心臓が変な音を立てた。
 五条とは違って彫りの浅い顔立ちと、シャープな目元に薄い唇。彼の顔がだんだんと降りてきて、私は身動きを取ることも出来ず、目をかっぴらいたまま凝視してしまう。
 肩からさらり、と零れ落ちた夏油の黒髪が、私の頬や首にもかかって擽ったい。何が起こっているのか、これから何が起こるのか、私の脳内ではこれまで無関係だと思われていた事柄を繋ぎ合わせていくのに必死だった。
「鈍すぎるよ、本当に。いいの? このままキスしても」
「っ、良いわけないでしょ!」
「おーい、すぐ、る……」
 脳内にばかり割いていた意識、気力を全身にも巡らせて、なんとか覆い被さる夏油から抜け出ようとした時だった。彼の部屋の扉が思い切り開けられたのは。一瞬呆けたように彼の名前が呼ばれる。毎日聞いているから間違えようのない声の主。
「あ」
「え」
「……オマエら、真昼間から盛ってんじゃねぇよ」
「"ら"って付けないでよ! 盛ってるのは夏油だけ!」
「酷い言い草だな……それと悟、ノックくらいしてくれ」
 うげえ、という表情をして立っている五条は、次に夏油と二人で赴く任務の資料なのだろう、それを机に投げると「くっつくの遅すぎだろ」と謎の言葉を置いて出ていってしまった。くっつく、とは? 何と何が? 夏油と私が? 精神的に? 物理的に? 疑問符で溢れかえる私の表情に夏油は至極可笑しそうに声を立てて笑っている。そうしてまた、表情が一変する。同期ではなく、男の顔になる。逃げようともがいても夏油が上から退いてくれる気配もない。
 再び近付いてきた彼の顔に、私は自分の顔を思い切り横に逸らした。顔が死ぬほど熱くて、体が痺れたように動かなくて、混乱の渦に呑まれそうな中、一番不可解なのは彼がこれだけ至近距離にいるという事実を嫌だと感じていないこと。
「はは、これから抱かれるっていう子の顔だ。可愛い」
「そ、そんな顔してないから……! 茶化さないで早く退いて! 五条の誤解も解かなきゃなのに……!」
「解いてほしくはないな、それに、気付いてなかったのは、ナマエだけだよ。硝子も知ってる」
 夏油の物騒な言葉第二弾に、横へ向けていた顔を正面に戻すと、ずっと我慢してた、好きで好きで仕方なくてこうして触れることを何度夢見てきたか。と言われ固まってしまう。私とて夏油のことは好きだが、男して見たことはなかったのだ。信頼できる同期であり、友人。確かに一緒にいるととても落ち着くけれど。嫌ではないけれど。急展開すぎて何もかもが置いてけぼりを食らっている。いや待て順番すっ飛ばしすぎでしょ! という心の叫びがわだかまって苦しい。夏油相手に、有終の美を飾ろうだなんて思った私が間違いだったし、どれだけ信頼関係が構築されていようとも、彼は紛れもなく男だ。勝手に可能性を無いと決めつけて、理性的だからと高を括った私がいけなかった。夏油に対して失礼なことをしてしまった。誠心誠意謝罪をすればもしかしたら気が変わるかも? と色々と打開策を探していたのに、それも彼のたった一言で打ち砕かれてしまう。
「もういいかい? こちらはもう、待ちくたびれてしまったよ」
 私自身も気付いていなかっただけで、無意識のうちに惹かれていたのだろうか。本気で拒めないのは、そういうことなんだろうか? 「これからゆっくり、私を見てくれたらいい」感情の昂りなど微塵も感じさせない表情をしている彼の唇は、私に負けず劣らずとても熱かった。