呪霊が出れば、いついかなる時も馳せ参じなければならないのが呪術師だ。頭では理解していても、愚痴の一つや二つ吐き出してしまいたくなる時もあるだろう。
かく言う自分と彼女も今まさに、愚痴を吐き出したい心情を抱えていた。
「さっむ! なんでこんな雪がちらつく日に呪霊出てくるの⁉ 別日にして!」
「同感だけど、無理な相談だな」
都内から車で約一時間ほどの距離にある廃屋で、一級相当の呪霊が出現したとの報告を受け、二人で任務に当たっている最中である。
思ったよりもしち面倒くさい相手だった。自分と彼女の存在を認識した瞬間、呪霊の体から鞭のようなものが出てきたのだ。
それらは周囲のものを縦横無尽に破壊し尽くしていく。下手に近付くと被害を被るため、呪霊からの攻撃と飛んでくる物を避けながら、隙を窺っていた。
廃屋が跡形もなく崩れ去ると、遮るものが何も無くなり、雪が降る中その呪霊と対峙する。
足場も視界も悪いという悪条件だったが、何とか彼女と連携を取りながら呪霊を祓うことに成功した。
今回取り込まなかったのは、似たような呪霊を既に取り込んでいたからでもあるし、彼女が昇給を臨んでいるから、手柄にしてあげたい気持ちもあったのだ。
互いに「お疲れ様」と短く労いの言葉を掛け合う。元々ここは人が少ない、というよりもほぼ居ないため、避難させる手間はなかった。戦闘において思い切り力を奮えるというのは、祓うためには大事な要素の一つでもある。
「あと三十分くらいで着くみたいだよ」
補助監督へと連絡を取ると、携帯電話を折りたたんでポケットへと仕舞う。
チラチラと右や左へ不規則な動きをしながら、風に乗って雪が視界を横切っていく様は風花と言うのだと、彼女から教わった。寒波の影響により、雨粒が粉雪に変わって降る様は、儚くも美しい。
制服についた雪片が、触れた傍から透明になって色を失っていく。
三メートルほど離れた位置から動かない彼女を不思議に思い、視線をついと向ければ空を見上げているところだった。
「銀花、不香の花、六花」
「……もしかして、雪の別称かい?」
「ご名答。綺麗だよね」
彼女の行動、そして目で追っているものが何なのか、挙げられた名詞の音の雰囲気から推し測ったものは、どうやら正しかったようだ。
自分もよく本を読む方だが、彼女の方が遥かに読書家だった。
呪術以外のことに関しても知識が幅広く、冗談を放っても上手く捌いてくれるから話をしていると楽しくて、あっという間に時間が過ぎていく。
そんな彼女のことを好いているわけだが、なかなかどうして進展が見込めない。悟や硝子から散々発破をかけられているにも関わらず、その先へと進むためのきっかけを掴みあぐねている。
自分らしくも無い。自分らしいとは?と自問自答を繰り返しては、彼女と過ごす快然たる時間に身を浸していた。
積雪に足を沈めて跡を付けながら、彼女の方へと一歩一歩近付いていく。キュッと、踏み締めたところの雪が鳴いた。彼女は視線を雪から私へ移すと、微かに焦りの色を見せる。
「雪の中にいたら、体が冷えてしまうよ」
「あ、うん……そうだね」
足首までをすっぽりと覆ってしまうほどの積雪だ。長い時間そこにいたままでは、体温を奪われてしまうだろう、と比較的雪の少ない道路の方へ誘導しようと声を掛けたのだが、彼女の反応はどこか鈍いものだった。
彼女のこめかみに汗が滲んでいる。感じた違和感を確かめるため、再度声をかけようとしたのと、彼女が意を決したように足を動かしたのは、ほぼ同時だった。
「、っ」
「……足首を痛めたのか」
先程の呪霊との戦闘で負ったものだろう。体の向きを変える際、痛みに表情を歪めた彼女の悲鳴は聞こえない。ぐっと堪えて飲み込んだようだ。彼女は弱味を見せたり、寄りかかることを頑なに拒む。
こればかりは性格だから、いくら外から言おうともそう簡単には変えられまい。
足首が雪に埋もれて見えなかったのと、腫れた箇所を冷やすのにちょうど良いと思ったから、時間稼ぎ、あるいは誤魔化すように雪の別称を呟いたのかもしれなかった。
かと言って、このまま迎えが来るまで、こうしている訳にはいかない。この寒さと雪の冷たさだ、十分に冷えているだろうし、むしろ凍傷のほうが心配である。
強情な彼女を説得出来るとも思えないので、緊急事態だと自分の中で大義名分を掲げてから、ゆっくりと身をかがめた。
「! なに、夏油?!」
「動くと危ないから、大人しくしててもらえると助かる」
「ちょっと! 大丈夫だから、降ろして!」
「大丈夫じゃないから、こうしてるんだけど」
案の定、腕の中で暴れだした彼女を宥めるように声をかけるも、横抱きにされているこの状況が我慢ならないらしい。私の胸あたりに両手を置いて、ぐいぐいと押してくる。そこまで拒絶されると流石に悲しいやら虚しいやらといった感情が込み上げてくる。
寒さによるものじゃない、頬に浮かぶ朱色に恥じらいが混じっている。普段の態度や表情、会話の内容から嫌われてはいない、と思うから、これはきっと照れが勝った結果なのだろう。
それに、我慢ならないのはこちらも同じだった。必死で考えないようにしている私のなけなしの理性を無視するように、彼女に関しての情報が頭になだれ込んでくる。
背中と膝裏に回っている手や腕からは、軽さや細さに加え女の子特有の柔らかさが。抱きかかえているわけだから密着せざるを得ないために、ふわりと鼻腔を擽る彼女の清廉な香りが。
悟に比べれば、自分は割と落ち着いていて、感情の起伏も激しい方ではない。だがれっきとした男であり、しかも十七歳という多感な時期真っ只中である。好きな子に触れているという、棚からぼたもち的なこの状況に、何も思わないはずが無いのだ。彼女の心情を思えば、嬉しいなどと思うのは、不謹慎だとも分かってはいるのだが。
「自分で、歩けるから! 早く降ろして!」
降ろせば痛めた足首に負担がかかることは明らかであるのに、彼女はやはり言うことを聞く気はないようだ。呪霊はもう祓ったから、別に足でまといになることもない、とでも思っているのだろう。そちらがその気ならば、私としても彼女の言うことを聞く義理はないというものだった。
「キスの一つでもしてくれるなら、喜んで降ろそう」
「な⁉」
彼女の意固地と、無理をさせたくない私の冗談、どちらが強いかなんて、疑う余地もない。冗談の裏に潜んでいる願望があることは、否定出来ないけれど。こんなことを思っているから、硝子あたりに腹黒いだのなんだのと言われるのかもしれない。
更に濃い色へ変化した朱色に、だから大人しくしていてくれ、と嘆息する。胸元を押していた彼女の腕から力が抜けていくのを確認し、内心でやれやれ、と思いながら丁寧に抱え直すと道路の方へ歩き出した。
チラつく雪は相変わらずで、冷気をふんだんに含んだ風も体温を奪わんとしてくる。今は彼女とくっついているからか、熱は際限なく内側から湧いてくるようだった。
あともう少しで平たい道に出る、というところで、彼女がいきなり顔を上げた。突飛な行動に、私は何も対処することが出来ず、次いで与えられた情報は、あまりにも自分にとっては有り得ない出来事だった。
「っ? は……?」
唇に触れた柔らかさと、甘すぎない爽やかな香り。刹那、眼前に広がった彼女の朱色、そしてぎゅっと力いっぱい閉じている目。
「わたしのこと、侮らないで!」
本当に触れたのかどうか、と感じるくらいの速さで離れていった、柔らかさの残影を追おうにも、動揺して腕から力が抜ける。
彼女は、器用に私の腕をすり抜け地面へ降り立つと、負傷した足をひょこひょこと引きずりながら数メートル歩いて振り返り、私へ向かって思い切り舌を出したのだ。
「嫌だって言ってるのに、夏油の馬鹿! 好き! もう知らない!!」
「え、と……ちょっと待って、今何か聞こえた気が……ねえ、ナマエ頼む待ってくれ……その、私も君のこと、好き、なんだけど……」
「……へ?」
再び前を向いて歩き出した彼女の背に言葉を投げかければ、ぎこちない動きでこちらに首を回す。間抜けた表情から察するに、彼女自身も自分が放った言葉を理解していなかったらしい。
色気もへったくれも、ロマンもムードもない。ずっと尻込みしていて掴みあぐねていた機会を与えてくれたのは、彼女の方だった。それに、好意を抱いていたのは自分だけでなかった。小さな喜びがきざはしを駆け上って、より強烈なものになる。
勢いが大事だとは言うけれど、確かに私にとっては必要なものだったようだ。
彼女の勢いにつられた告白は、彼女の表情に負けず劣らず間抜けなもので。自分の冗談が勝ったと思っていたのに、強かったのはどうやら彼女の意固地の方らしかった。
重みに耐えかねた木の枝がしなって、雪がばさり、と地面に落ちる。
ああ、そう言えば。私が彼女に惚れてしまったのも、今日のように雪がチラつく日だった。
・・・
「あ、ナマエ、っ……!」
今まさに飲み込まんとしていた呪霊を、彼女がひったくるようにして私の手から奪ったことがある。
一体何をしようというのか。とにかく取り返すのが先決だと、手を伸ばしたが間に合わず、呪霊は彼女の口へと放り込まれてしまったのだ。
「う、げほっ、まず、うぇ……」
「危ないだろう! 何してるんだ!」
呪霊操術は極めて特殊なものだ。耐性のない者が取り込もうなんてことをすれば、どうなるか分からない。自分にとってはデタラメなこの行動も、彼女にとっては何か意味があるのだと思ったけれど、これには肝を冷やして、思わず声を荒らげてしまった。
「平気そうな顔してるけど、何だか辛そうだったから……わたしも味知りたくて……」
「そ、」
そんなことはない、と即答出来なかったのは、誰にも悟られないようにしていたことを言い当てられたからではない。彼女の右手が私の左頬を優しく撫でたからだった。
「夏油はえらいね。あ、えらいなんて言ったら上から目線かな」
「……」
「いつも、ありがとう」
"いつも"、その感謝の言葉は、同じ術師であるからこそ、出てくるものだった。よくよく考えれば、そんなことを言われたのは初めてのような気もする。一般人から礼を言われるのとはまた違った感覚。当たり前のことすぎて、麻痺しかけていた心をほぐしてくれる、繊細な優しさだった。
「あ! これ汚いから洗った方がいいよね⁉」
「ふっ、呪霊を洗うって、君面白いこと言うね」
「だってこれ」
「むしろ、綺麗になったんじゃないかな。それに不味さも半減だ」
「なんかそれ変態っぽいよ」
「……男はみんな変態だ」
「わあ、夏油が開き直った!」
呪霊の不味さに顔色を悪くしながら、普段の明朗快活さなど欠片もない、ふにゃりとした笑顔に、私はたちまち落ちてしまったのだ。
・・・
ずっと抑えていた感情が、もうすぐ決壊するだろう。抱き締めたい、もっとキスをしたい、その先も、彼女の存在丸ごと、早く自分のものにしたい。同期から恋人に変わるという許可を、確かな証をくれないか。
「君の口から、もう一度ちゃんと聞きたい」
「……」
「それじゃあ失礼して」
「わ、また! 降ろして恥ずかしいから……! ちょっと夏油聞いてる……⁉」
「?」
「あーもう! 好き! 好きですよ夏油が! だから降ろして今すぐに!」
「今日のところはこれくらいにしとこうか」
「途端に強気になるのやめて」
はっきりとした言質を取って、たちまち機嫌が良くなっていく。その様子をげんなりとした表情で見てくる彼女へ自分の顔を近付けると、手で顔を押され、違う方向を向かされた。なぜ。
仕方なしに降ろしたところで、お馴染みの車がこちらへ向かってくるのが見える。ほっとした表情をしている彼女の横顔を見ながら、好きなところを上げるとキリがないな、と思った。
彼女は自分でしっかりと見聞きした情報しか信じない。絶対にレッテルを貼らないし、相手の境遇、心情を自分の出来る範囲で知ろうとする。他にもたくさんあるけれど、寮へ戻って硝子に治療をしてもらい、彼女が全快してから改めて伝えるとしよう。
心が満たされている今、ぶつくさ文句を垂れながらの任務――寒い、視界不良、動きづらいといったあまりよろしくないイメージもすっかり払拭された。
雪の降りしきるこの環境が、私と彼女が進展するための一翼を担ってくれたのだとしたら、これは紛れもなく瑞雪なのではないだろうか。彼女が痛い思いをしたのだけはいただけないが。
ああ、早く悟や硝子に自慢したい。私だけに向けられる笑顔や言葉があるのだと。
ミョウジナマエは私の可愛い恋人であるということを。