深い藍色を湛えた空は、まるで染料を流し込んで染め上げたみたいだった。
小さな光の粒が満遍なくまかれたそこに目を凝らすと、星の輝きが増した気がした。流れ星はまだ流れない。
「流星群見えたか?」
部屋の明かりを消して、開けた窓越しに天体観測をするナマエの背後に乾が立つ。お風呂上がりの石鹸の香りが鼻腔をくすぐり、ナマエは乾を振り仰いだ。
肩口で柔らかに揺れる淡い金色が夜闇の中でしっとりと光っている。光を宿した金色がナマエの視界を覆ったかと思うと、乾の端整な鼻梁が目前に迫り、ナマエは思わず息を止めてしまった。
この人はいつも突然に口付けを降らせるから、ナマエはいつまで経っても息を止めてしまう癖を克服できない。
「いい匂いがする……なに味?」
「ももだよ」
匂いではなく、味と問うてくるところが乾らしい。乾の唇に移って若干薄くなったリップクリームは昼間にドラッグストアで購入したものだ。
ペロリ、と乾は自身の唇を舐める。憮然とした表情で「ももの味しない……」と呟いている。香料なのだから当たり前なのだけれど、シュンとして残念そうな乾にナマエはとうとう笑いを堪えることが出来なかった。
月の光を受けている乾の髪を見ていると、幼い頃に描いていた太陽と月の絵を思い出した。太陽はいつもニコニコとして大地を照らしていた。夏の盛りに限っては、その笑顔を微笑ましく思うことはできないけれど。
それとは対照的に月は目を閉じている――静かな表情で描いたことが多かったように思う。夜は基本的に眠りの時間だからかもしれない。
今の乾の髪には昼間に受けた太陽の熱の片鱗は跡形もなく、すっかりと冷めてしまっていた。
右手を伸ばして乾の頬に宛てがうと、すり、とナマエの手のひらにぬくもりを預けてくる。乾は一度相手に心を許すと、どこまでもひたむきに好意や優しさを与えてくれる。乾の愛情を受け取るたびにナマエは、天を目ざして力強く生きている植物にでもなったかのように感じていた。
光と水をたっぷり与えられれば花開く、あるいは立派な果実も成るというものだ。
「ねぇ、乾くん。わたしは花と果実で言うとどっちかな?」
ふと出来心で聞いてみたくなった問いを口にする。意味がわからず首を傾げてしまうかもしれないと思ったが、意外にも乾は迷う素振りを見せることはなかった。
「ナマエは柔らかくて、いつもいい匂いがするから果実だ。実際に食べても甘いし………」
「⁉」
オブラートに包むということを知らない乾の言葉は、ナマエを狼狽させるのに十分だった。褒められているとは言え、あけすけな物言いに羞恥で耳が熱くなるのを感じる。右手も左手もナマエが意識する前から乾によって絡め取られていて、赤い顔を晒したまま身動きができない。
そんなナマエを見て乾は相好を崩す。あまり目にしない乾の笑顔にナマエはさらに心拍数が倍加した。
今しがたの『甘い』を確かめるように再度顔を近付けようとした乾だったが、何かに気付いたのか顔を上げる。つられてナマエも体の向きを変え空へ視線を戻せば、今まで佇むように光っていた星たちが、ひとつ、またひとつと深い藍色に白銀の裂傷を入れては瞬く間に消えていくところだった。
「きれい」
「そうだな」
願い事をするのも忘れるほど、目の前の流星群は美しかった。たくさん願いならばあるけれど、どれもこの景色の前では霞んでしまう、取るに足らない願いだ。
ひとつだけずっと握り締めている、確固たる願いをナマエはそっと口にした。
「乾くんの幸せを守れますように」
決意表明にも近いその言葉に、乾が自分もそうだと言うようにナマエのお腹に手を回す。
もらった愛情よりもはるかに、相手の幸せを願う心は育っている。危険に晒すかもしれないと身を引くのではなく、一緒にいることを熱願してくれた乾の覚悟に応えたい。
お腹に回されている手は大人の男の人の手だ。闇雲に暴力を生み出していた子供の頃の面影は感じられない。今までもこれからも、大切なもののためにこの拳は在るのだろう。
自分のちっぽけなこの拳も一助となれればいいのだけれど。たったひとつで良いと言っておきながら、「力をください」と追加で願掛けするのは欲張りだろうか。
こんなにたくさん星はあるのだもの。手元が狂った拍子にもう一つだけ願いを叶えて。