好きなものを好きなだけ。私のカメラには、貴重な彼の姿がたくさん収められている。フィルムという名の、思い出の棚がどんどん増えていくということは、彼の様々な形の心に私が触れてもいいのだと許されている証拠でもあった。
軽快なシャッター音が、午後三時のぼんやりとした微睡みの空間に響いて溶けて消えていく。私は一度寝てしまうとちょっとやそっとじゃ起きないけれど、彼は気配や音に敏感だからすぐに反応してしまう。私の太ももを枕にしてお腹側へ顔を押し付けるようにして午睡に勤しんでいた甚爾さんが僅かに身じろぎした。起こしてくれと頼まれた、約束の一時間ちょうどだから文句は言えまい。
「……今度はなんだ」
「甚爾さんが私のお腹に埋まってるところ」
「おもしれぇか……?」
「私だけの特別だもの。ぜんぶ形にしておきたいの」
理解出来ない、といった表情をしたのち、大きな体を伸ばして背伸びすると、彼が私の頬に指先で触れてくる。頬から瞼、眉間を通って鼻筋を降りて、唇に止まった。珍しいな、こんな風に甘えてくるなんて。唇に止まっていた無骨な指が離れて後頭部に回ると、ぐっと引き寄せられる。彼もまた顔を上げて私の顔へと近付いた。覚醒した彼の煌々とした瞳が微睡みの霧を晴らしていく。心臓の鼓動を感じるのと同時、日常を彩る音も聞こえてきた。目的地に人を運ぶ走行音はゆっくりだったり、性急だったりして面白い。春告げ鳥の少し下手くそな鳴き声は可愛くて、今日の洗濯物は大人しい。あまり風は吹いていないようだ。彼が私に触れて、無防備な寝顔を見せてくれること。日常の中の、幸せの瞬間をたくさん集めて、ひとつの絵にしてみたい。
今でこそ大人しくカメラに収まってくれる彼だが、最初の頃なんてブレすぎて人かも定かではないような写真ばかりだった。ともすれば心霊写真のようにも見える。目が閉じかけの変な顔、目や鼻や口が二つずつある写真もある。見返すと毎回笑ってしまう。彼の反射神経は波ではない。猫を撮ったことがあるけれど、見比べてみても圧倒的に甚爾さんの方がすばしっこいのだ。
「俺ばっかり撮ってもつまんねぇだろうが、おら貸せ」
「あっ……や、優しくつかんでね…!」
分厚い筋肉に覆われた彼の腕、そして私の顔面を覆ってしまえるほど大きい手のひらがカメラを攫っていく。ぶっきらぼうな動きとは裏腹に手つきは丁寧だったから安堵した。握力は何キロあるんだろう、というくらい力が強いことも知っているから、言葉は優しくとも咎めるような言い方になってしまったのは許してほしい。
カメラを構えてレンズを私に向ける甚爾さんの姿は初めてで、この姿をこそ写真に収めたくなった。テーブルの上に置いてあった携帯を掴むと私も携帯を彼へと向ける。
「……何してんだ」
「撮りあいっこ?」
「顔見えねぇだろ」
携帯も没収されてしまい、私の顔を隠すものは何も無くなった。没収前に撮れたのでまあいいか、と取り返すのは諦める。再びレンズを向けられて、どんな表情をしておけばいいのか分からずそわそわと指を組んだり、外したりを繰り返すしか出来ない。撮るのは好きだけど、撮られるのは苦手だ。
「笑えよ」
「じゃあ笑わせて」
カシャ、とシャッター音がして、むくれた私の表情が切り取られる。絶対可愛くない。カメラから顔を離したから、きっと一枚撮って満足したのだろうと思ったのに、またも引き寄せられた。そうして、磁石同士がくっつくときのような抗えない力に言葉を奪われる。刹那、細められた彼の目に浮かぶ――予想なんて出来ないだろ、とでも言いたげな感情の色に、してやられたと思った。
「オマエが欲しがってたツーショット」
私ばかりが彼の特別な姿を切り取っていたことに、多少の不満を抱えていたらしい。やられっぱなしは性にあわないというやつだろうか。私のこれはフィルムカメラだから一枚だけ消去することは出来ない。例え消せたとして、どれだけ恥ずかしくとも消去するつもりはないのだけれど。春先で涼しい筈の気温が一気に上がったような心地だった。背中側のキャミソールが少し湿っている。
先程のツーショットで、ちょうどフィルムが終わったことに驚きを隠せなかった。狙ったのかどうか、彼のことだからそうだったとしてもおかしくはなくて、ただただ畏れ入るばかりである。続きと言わんばかりに、服の中へ滑り込んできた手を拒む理由はどこにもなかった。
後日、楽しみ半分、恥ずかしい気持ち半分で現像し終わった写真たちを受け取りに行った。写真を一枚ずつ確認しながら、例の写真がどのタイミングで出てきてもいいよう、心の準備をしていたのに私の心臓はその準備も虚しく縮こまってしまう。涙腺が緩んで、目の前の景色が一緒くたに混ざる。なんだ、大好きなの私だけじゃなかったんだ。
「いつもよりフィルムが無くなるの、早い気がしたんだよね」
現像した三十六枚のうち、九枚が私の写真だった。カメラには微塵も興味がない、という態度だったのに、カメラを通して見る私に対しては興味があったのかな。寝顔が多いところを見ると私にバレないようにしたかったのだろう。
私を易々と閉じ込めてしまえる体も、逞しい手も、気まぐれに歩幅を合わせてくれる足も、憎まれ口を叩く口も、せっかくの優しさを意地悪で隠してしまう態度もすべて大きくて、そんな彼からもらう幸せも同じように特大だった。
積み重なった幸福に溺れることを望んでいるのは私だけかもしれないけれど、一瞬でもいいからあなたも同じ海の底で私の愛に溺れてほしいな。