女の匂いがしない。鼻が利くわたしからすれば、視認せずとも誰が来たのか分かる。それくらい普段から香水や煙草の匂いを纏っているザップが珍しく無臭だった。レオとツェッドとしていたポーカーは負け無しだったのに、最後の最後で敗北を喫してしまった。
 無言でわたしたちの方へ歩み寄ってくるザップが何となく不気味で三人で額を寄せ合う。
「怖い怖い怖い怖い」
「なんか変な物でも食べたんすかね」
「妙な気迫のようなものを感じます」
 息をするようにイチャモンをつけるザップは相変わらず無言のままで、わたしの横まで来るとピタリと動きを止めた。
「あのう、わたしになにか御用でしょうか……?」
「行くぞ」
「どこに?」
「ホテルに決まってんだろ。忘れたとは言わせねぇ」
 ここでザップの顔面が不自然に歪んで後方に吹っ飛んでくれないかな、というわたしの願いは届かなかった。チェインは今人狼局に招集されている。
 ザップは喚くでもなく、わたしの腕を無理やりに掴んで立たせるでもなく静かに待っている。レオとツェッドもそんなザップの様子に食ってかかる勢いを削がれ、わたしたちを見守っていた。
「意味が分からない」
「一昨日バーでてめぇが言ったんじゃねぇか。無臭にでもなれば抱かれてやるって」
「はぁ!? そんなこと言ってない!!」
「いーや、言ったね!! 俺が聞き間違えるわけねぇ」
「じゃあ取消で」
「ふざけんな!! この俺の努力を無かったことにすんのかよ!!」
 確かに一昨日はザップと飲んだ。心配したチェインも着いて来てくれたし、たぶんレオもいた。レオにチラリと目配せをしてみたが首を傾げており、思い当たる節はないようだった。飲みすぎて酩酊状態だったのはうすぼんやりと覚えている。きっと消失した記憶の中でのふざけた約束事だろう。
「わたしのために匂い消すの頑張ったの?」
「そう言ってんだろ」
「ご苦労さまでした。残念だけどその約束ぜんっぜん覚えてないから無効で。それとまだ匂い消えてないよ」
 ザップの口元、触れるギリギリ手前まで鼻先を近づけるとわずかだが煙草の匂いがした。
 満面の笑顔で言い放ったわたしの言葉を理解したザップは奇声を発しながら頭を猛烈な勢いで掻きむしりだす。酒席での約束ほど頼りないものはないだろうに。しかも証人はザップ自身である。レオやツェッドに八つ当たりし始めたザップはもうすっかり平常運転だ。
 わたしがザップの言葉に応じたとして今ならば誰の匂いもしないこの男にマーキング出来るのだろうか。でもすぐに他の匂いに塗り潰されてしまいそうだからあんまり意味が無さそうだ。
「そもそもわたし、ザップの好みじゃないでしょ」
 言い合いのさなかだからきっと聞こえていないと思ったのに、ひとりごとじみたわたしの言葉を拾ったザップはわたしを見て口角をつり上げる。
「お前、着痩せするタイプだろ」
 見たこともないわたしの体のことを言い当てたのち、ようやっとザップの体が後方に吹っ飛んだ。
「チェインおかえり。早かったね」
 テーブルにあったトランプを見たチェインが自分もやりたいと言う。喚くザップを置き去りにわたしたちはまたポーカーに興じ始めた。
 上手く隠せていただろうか。ザップのしょうもない頑張りが、実は少し嬉しかったこと。それに意外とザップ自身の匂いは嫌いじゃないことも。