買い物に割いていい時間を超過してしまった彼女が、この世の終わりのような嘆き方をしている。あちこちで上がる悲鳴でさえ雑音になってしまうこの街でアクシデントはつきものであり、平穏無事に終わることの方が少ない。背中に絶望を背負った彼女の周りには湿地帯みたいなどんよりとした暗いオーラが漂っている。
「うう……スティーブンさんにゴミを見るような目で見られるに決まってる……」
「頼まれたものはちゃんと揃えましたし、きちんと説明すれば分かってくれますよ」
「甘い、甘いよツェッド、スティーブンさんからのおつかいは『アクシデント込み』なんだから。そんな簡単なことも捌けないのかってまた落胆されそう」
上司からの評価が下がるのはいたたまれないだろう。「いつかツェッドも分かるときがくるよ……」と不穏な予言をした彼女はとぼとぼと歩き出す。
そういえば、スティーブンから無茶な要求をされているザップを見たことがあったな、と思ったときには、遅かれ早かれ順番が回ってくるのは確実だろうなと思った。
彼女から見せてもらったおつかいリストに並んだ物品は多かった。にもかかわらず、設定された制限時間はどう考えてもギリギリだった。悠長にしている暇はないとはいえもう少し余裕が欲しいところではあったが、スティーブンの冷気を含んだ笑顔の前では二人揃って大人しく首肯するしかなかった。
「とにかく急いで帰ろ! 偶然手に入れた情報も報告しないとだし。あ! もしかしたらこの新情報で怒られるの回避できるかな?」
「甘いですねナマエさん。よくてプラスマイナスゼロ、もしくは微妙にマイナスといったところでしょう」
「くぅ〜〜、やっぱり厳しいか!」
見出した希望が日の目を見ることはない。絶望から浮上はしたものの突き抜けて諦めに転じ、開き直ったようだ。彼女は湿っぽさを吹き飛ばすように笑っている。
起きたアクシデントの数は三件。ツェッドから見れば彼女の捌き方は尋常じゃなく早かったけれど、あれで文句を言われるのなら、一体どれほどの技量が必要なのだろうか。考えるだけでも胃に穴が開きそうだ。今まで相当絞られてきたのだろう。
歩調を速める彼女の両手は食料が詰まった袋と、修理に出していた武器が入ったバッグで塞がっている。ツェッドは歩幅を大きくし、少しばかり前に出た。
「あの、よければ」
空いていた右手を差し出す。ツェッドも左手に同じく食料が詰まった袋を提げていた。自分で持つからいいと一度遠慮されていたが、やはり女性にばかり重い物は持たせられない。
彼女はおもむろに荷物を持ち替え、左手を空ける。
「? はい」
「え」
「あ、信号赤になっちゃう! 走るよ!」
どちらか片方の荷物だけでも渡して欲しかった。けれど、実際にツェッドの手におさまったのはクリームパンみたいに柔らかな彼女の手だった。ツェッドの戸惑いに彼女は気付かない。
停滞した埃っぽい空気と騒音の中、手を繋いだまま駆け抜けていく。渡り終えても手を離す素振りのない彼女にどうしようかと逡巡する。
五分ほど歩いたところで、とりあえず立ち止まってみた。それなりに重さのある荷物を一手に引き受けている彼女の右手が心配だった。
いきなり立ち止まったツェッドに引っ張られて後ろによろめいた彼女の肩をとっさに支える。不思議そうに見上げてくる黒い瞳に問われ、ツェッドはゆっくりと手をほどいた。
「持ちます。手は大丈夫ですか?」
「あ……! そういうことね! なんか変な勘違いしてごめん!」
「いえ、僕の言葉が足りませんでした」
「よく考えたら荷物のことだって分かるのにね……手を繋ぎたいのかなって思っちゃった。私もレオみたいにツェッドと仲良くなりたいからそう考えちゃったのかも」
確かにレオと一緒に行動する時間は多い。仲が良いとは具体的にどういう状態を指すのだろう。友人だとレオは言ってくれる。そして自分もそれを素直に受け入れた。彼女から友人だと言われれば嬉しいと思う。つまりはそういうことだろうか。
ズシリとした荷物を彼女の手からさりげなく引き受ける。
「僕はあなたのことを友人だと思っています。だから仲良くなりたいというのは……その、すでに達成していると言いますか」
「ほんと⁉ 実を言うとちょっと自信なかったんだ。ほら私今みたいに勘違いしたりするし、一人で喋りまくることもあるし。だから鬱陶しがられてるかもって」
「あなたが短所とするその勘違いから今回情報を得ることが出来たんですから、それもあなたらしさだと思います。それにご存知のとおり、僕はそこまで喋る方ではないので、あなたの話を聞けるのは楽しいですよ」
「ツェッドのそういうところ大好き! スティーブンさんに爪の垢煎じて飲ませたい……!」
弾くばかりのこの皮膚に、彼女の温度が移っていたことが胸の内をあたたかくする。対ザップだといくらでも言葉が出てくるのに、彼女の笑顔を見ると言葉が形を失って抽象的になりがちだ。
生まれたてのひな鳥のようなまだ名前を付けられない感情が、身の内で静かにたたずんでいる。
動くときは動くのだろう、と未知の感情を抱えたそういう自分を意外と冷静に分析してもいる。
二時間と少し前に出たビルへようやく戻ってきた。帰還兵のような面持ちで彼女と顔を見合わせる。スティーブンからの説教も、二人ならばそこまで気が重くない。