彼女いわく、『シフォンケーキのなりそこない』に手を伸ばして、宮城はそれをひと口サイズにちぎって口に放り込んだ。打ち捨てられたケーキたちは自分が全部救済する、と謎の意気込みでまた口に放る。
「美味いじゃん!」
「でもちゃんと膨らまなかった」
「味はおいしいんだからいいんじゃね」
「ふわっふわのシフォンケーキ差し入れしたいの! リョータの彼女はお菓子作り上手って思われたい」
「ああ、そっちが本音ね」
「女だって見栄張るんですぅ」
 レシピ本を手に取り、睨めっこしている彼女の横顔を見ながら、またシフォンケーキを口に運んだ。何が原因なんだろうと、ブツブツ言いながら原因究明に勤しんでいる。
 オーブンの中では膨らんでいたように見えたが、膨らみが足りなかったらしい。オーブンに入れてからしばらくはニコニコとしていた彼女の表情は、表示されている残り時間が少なくなるに連れ暗くなっていった。晴れのち曇り。雨とまではいかない。
 どれくらい膨らめば正解なのかと彼女の肩に顎を乗せてレシピ本を見てみれば、生地が型をはみ出して膨らんでいる写真が掲載されていた。
「いや、はみ出してるじゃんこれ、すげ。こんな膨らむんだ」
「何回やってもうまくいかない! なんで〜カステラみたいにしか見えないよこの厚み」
「お母さんに聞いてみたら?」
「メレンゲの立て方が足りないんじゃないかって言われた。けっこう頑張って混ぜてるんだけどなぁ」
「メレンゲってこの白いクリーム? みたいなやつ?」
「そう、卵白に砂糖入れてかき混ぜるの。ハンドミキサーがあればたぶんいける」
 午後の練習が終了した足で、彼女の家にお邪魔した。玄関に入った瞬間から、漂う甘い香りでお菓子作りをしているのだと分かった。先週の土日もシフォンケーキと格闘していたからだ。正直、食べるのは自分だけでいいんだけど、と思うもののそんな小さな嫉妬も積み重なれば重いと一蹴されそうで、口には出せずにいた。
「あ! そっか!」
「ん? どした?」
「リョータに混ぜてもらえばいいんだ! リョータなら弾力のある綺麗なメレンゲ作れそう」
「オレが混ぜてもいいの?」
「むしろお願いしたい。これけっこう力仕事なので」
「よっし、任せろ! 宮城リョータ混ぜさせてもらいます!」
 暗かった彼女の表情にぱっと灯りがともる。ワンピースのような形のエプロンの裾が彼女の動きに合わせて期待を含んでふわりと揺れる。
 背負ったそれに応えなくては、と腕まくりをした。
 結論から言うと、『混ぜるだけ』の字面だけならば単純で簡単そうに見える作業は思った以上の重労働だった。右腕に蓄積された疲労を感じながら、この作業をめげずに何回もしている彼女に尊敬のまなざしを送る。
 完成した角の立ったメレンゲを惚れ惚れと見たあと、彼女はありがとうと言って「休憩してて」とテレビのリモコンを宮城に渡した。だがテレビを見る気にはなれず、楽しそうに作業している彼女をずっと見ていた。
 オーブンに入れ終えてからも膨らみが気になるのか、彼女は洗い物をしながらそわそわしている。彼女から発される期待と不安に感化され、宮城はソファから立ち上がり、自分もオーブンの近くで待機することにした。
「気になる?」
「気になる。だってメレンゲの出来で左右されるなんて責任重大じゃん。緊張してきた……」
「そのあとの作業で私がメレンゲ潰しちゃってる可能性もあるんだから、リョータはそんなに気負わなくて大丈夫だよ」
 洗い物を終えた彼女が宮城の隣に来てあやすように背中を優しく叩いた。
「甘いの食べると元気出るでしょ。リョータ、私の作ったお菓子いつも美味しいって食べてくれるじゃん。その笑顔見てたら、みんなにも喜んでもらえたらいいなって思ったの」
「それが本当の本音かぁ〜」
 活躍した宮城の右腕をよしよしと撫でながら称賛を送っている彼女からも甘いお菓子の香りがする。
 頭より先に体が動くのは習性かもしれない。微笑む彼女を無意識に抱き寄せていた。
 宮城の方が言葉で『好き』を伝える方が圧倒的に多い。思ったらもう止める術はない。言い過ぎだろうか、と思うこともある。それでも伝えたいと思う。彼女は照れて「うん」「私も」と短く言葉を切ってしまうけれど、その分彼女の取る行動は宮城への想いであふれているのに今更気づいた。なんだ、心配し過ぎて溜め息ばかりついていたから肺の中から酸素のすべてがなくなって、危うく息が止まるところだった。
 髪を避けて首筋に軽く口づける。彼女は驚いて身じろぎしたけれど、回された手はそのままに宮城の胸へ額をぐりぐりと擦りつけた。
 焼き上がったシフォンケーキはお手本のようにもくもくと綺麗に膨らんだ。「やったー‼」と労い合いながらハイタッチを交わす。喜色満面で何度もお礼を言う彼女が可愛くてキスをしたら、彼女がシフォンケーキを取り落としそうになり、動揺と恥ずかしさも手伝って宮城へ怒りをあらわにした。
 キッチンの端で一部始終を目撃していたシフォンケーキの残骸をつまみながら、振り上げられた彼女の拳を避ける。
「あ、ねぇねぇ、このシフォンケーキの膨らんでるとこさ、シルエットがオレの頭とちょっと似てない?」
「このもこもこしたとこ?」
「そ」
「顔の横並べてみて」
「ど?」
「ん、ふふ、待って無理、似すぎ……!」
「……笑いすぎだって!」
 彼女の怒りの先端を軽く折るつもりでおどけて言った冗談は大層うけてしまって、涙目になるくらい笑われた。
 そして、近くにあったインスタントカメラでシフォンケーキとツーショットを取る羽目になってしまった。
 けどまあ、シャッターを切る彼女がご機嫌ならば、多少のかっこ悪さもいいか、と思えた。