夏の暑さは傍若無人だ。外に出れば熱した針のような日差しが肌を突き刺す。首筋を伝う汗が気持ち悪い。日傘を持ってくるべきだったと後悔する。中原幹部から昇格のお祝いで貰ったサングラスだけでは、到底暑さに太刀打ちできない。
マンホールなんて、その上で焼肉ができるくらい熱を持つという。ちょっと興味はあるけれど誰も乗ってくれなさそうだし、彼からどやされそうなのでそっと好奇心の芽を摘んだ。
「ただいま戻りました」
玄関口を固める見張りの人らに身分証を提示する。幹部クラスであれば顔パスだが、私はまだそこまで偉い立場ではない。
傘下企業が起こした不祥事のせいで駆り出されていた私は三徹したのちやっと本拠地へ帰還した。このまま自室へ直行し風呂に入って泥のように眠りたいが、この分厚い報告書を提出せねばならなかった。一度寝てしまえば丸一日起きない自信がある。
サングラスを内ポケットに仕舞い、無駄に広い廊下を進みながら、最初はよく迷子になって怒られていたのを思い出す。そのたびに広津さんや銀さんに泣きついて彼の執務室まで送り届けてもらった。
重厚なドアを叩敲すると、中で人の動く気配とガサガサという音がする。不在ではないらしい。彼も今日まで仕事が立て込んでいると聞いていたため、入れ違いにならなくてよかった、と許可されるのを大人しく待つ。けれど一向に返事がない。いつもならすぐ返事をくれるのに、今日に限って無言が続いた。
果たして中にいるのは本当に中原幹部なのだろうか、という疑問が浮かぶ。まさか、侵入者なんてことは。外部から易々と突破出来るような処ではない。むしろ守護陣営は強者揃いだ。ならば内部の犯行――。可能性がゼロじゃないなら警戒するに値する。
すぐさま報告書を放り、腰のホルダーから銃を抜いて真正面に照準を合わせる。殺気を漲らせて一呼吸したのちドアを勢いよく開けた。
「あ」
「あー! アイス食べてる!」
「返事してねぇのに開けんじゃねぇよ! つーか上司に向かって銃向ける奴があるか!」
「だって全然返事してくれないから! スパイでも潜り込んでるんじゃないかと思ったんですよ!」
高級アイスクリームのみなもにスプーンを突き刺さんと構えていた上司が、銃口の先で苦い表情を浮かべながら私を見ていた。
廊下に放ったままの報告書を拾って、梅雨の湿気並みにじとっとした視線を送りながら、彼の目の前に封筒を置く。
「証拠隠滅のために急いで食べてたんですね」
「……こんなに早く来るとは思わなかったんだよ」
「私優秀なので。早く終わらせたご褒美がほしいくらいです」
「これは俺の、」
「……」
「判った判った! やるよ、ほら。食いかけでもいいんならな」
「わーい! ありがとうございます!」
彼は割と押しに弱い。こうなると知っていたから私の入室を渋ったのだろう。
いそいそと銃をホルダーに戻して、差し出されたアイスを神からの賜り物のように両手で受け取る。干からびそうになりながら酷暑の中を歩いた甲斐があった。
革張りのソファに腰を落とせば、ゆっくりと体が沈む。適度に冷えた室内、徹夜明けの体を労わるかのような柔らかな感触、そして滅多に食べられない口溶け最高なアイス。陸に打ち上げられた哀れな魚がようやく水の中に戻れた気分だ。
「当たり前のようにここで涼むな」
「生き返る〜」
「人の話聞けよ!」
「そんなに怒ると血圧上がりますよ」
「怒らせてンのはどこのどいつだって話なんだがな」
「あ、そうだこれ、押収した偽造品です」
「だっから、人の話を……!」
口内に広がるバニラクリームは甘さがちょうどいい。彼が選んだ一級品のアイスに舌鼓を打つ。
彼の部屋なのだし、どこに座ろうと自由なわけだけれど、わざわざ執務机から移動して当たり前のように隣に座るんだよなあ、と思いながら渡し忘れていたそれを彼の手に乗せた。
袋を開けて中身を検分している彼は、口では邪険にしつつも追い出すようなことはしない。面倒見の良い兄貴分な彼には兄弟がいないのが意外だった。人たらしは生来のものなのだろうか。
「ほぉ、偽造品にしちゃあよく出来てんな」
「そうなんですよ。それにこの組織と取引してる企業が思いのほか多くて処理が大変でした」
この三日間を思い出すとせっかく減ったストレス値がまた上昇しそうになる。多幸感で上書きして消し去ってしまおう、とアイスクリームを頬張る。
カップ周りのアイスが溶けて、液状になってきていた。いくらクーラーが効いていようと真夏である。固形のうちに食べ切りたい、とさらに食べるペースを上げると、彼からやんわりとストップをかけられる。
「じっとしてろ」
「!」
「餓鬼みてぇだな。それは手前にやったんだ。取り返したりしねぇから、もっとゆっくり食べろよ」
おもむろに右手袋を外したかと思えば、親指で口の端を拭われる。そして彼はアイスのついた指をなんの躊躇いもなくぺろりと舐め取った。
「そ、そういうところですよ……! もおおおおお!」
「なんだなんだ、どうした」
こんなことをされたら思わず牛のようにもなってしまう。がっつきたくてがっついたんです、とは今更恥ずかしくて言えなかったので、彼に取られそうだと思った、ということにしておいた。
「人たらし怖い……」
「何の話だよ?」
「中原幹部大好きって話です」
「すっかり餌付けされちまって」
「責任取ってずっと面倒見てくださいね」
最後のひと口を食べようと開けた口はなぜか空振りに終わった。
「……へぇ? 手前がいいならそうするけどよ」
「なんで! 取らないって言ったのに! ……あ、あとさっきの面倒見て〜とかはほんの冗談ですから聞き流してもらって」
「嫌だね」
私の手首を掴んで妖艶に笑う目の前の彼は、「食べ物の恨みは怖いんですよ!」と私が軽口を叩く前に物理で口を塞いだ。
ファーストキスは高級バニラアイス味でした、というモノローグが脳内で流れる。
褒美を強請ったばかりに描かれた筋書きに、まんまと足元をすくわれた。
夏の暑さよりも、彼の方が傍若無人かもしれない。