息が出来ない。主に精神的に。私の前には中原中也が、後ろには太宰治がいる。現幹部と元幹部に挟まれた構成員のミョウジナマエ。何このカオスなサンドイッチ。外側は高級食パンなのに、中身の具が貧相極まりなくて申し訳なくなってくる。
敵の謀略により、狭い箱のような空間に閉じ込められてしまった私たち三人は密着して身動きが取れない状態にあった。
ポートマフィアの縄張りで散々暴れていた異能者を取り押さえようとしたところに、偶然居合わせた太宰さんが巻き込まれる形となったのだ。
太宰さんが表面に触れても箱が消失しないところを見ると、箱自体は実物と云うことになる。と最初は結論付けたのだけれど、中也さんが異能を使用出来なかった為、この『異能で作られた箱の中』では異能が無効化される、と云う可能性に行き着いた。鋼鉄のように硬いので力任せも効かない。
「私の他にも異能を無効化できる異能か……上手く利用すれば使えるんじゃない?」
「此奴は快楽の為だけに人を殺す。忠誠心なんて欠片も持ち合わせちゃいねぇよ。こんな奴組織に入れたら内部から破壊してくれって云ってるようなもんだろ」
「既にQもいることだし、これ以上のリスクを態々負うことはしない、か。んーでもこれ、対異能金属でもなさそうだし、何処からどう見てもただの金属物質なんだよねぇ。無効化と無効化が拮抗しているってことなのかな。それにしては何も起こらないし」
ペタペタと壁に触れて太宰さんは怪訝そうに首を捻っている。
両耳に彼らの息遣いを感じてしまい、私の頭は沸騰寸前のヤカンのようになっていた。
最期を悟った異能者の悪足掻きが無ければ、今頃は報告書を書きながらおやつを食べていた筈なのに。
太宰さんのまろい低音と中也さんのやや鋭さのある低音を聞きながら、彼がミルクなら中也さんはブラックだろうか、混ぜたら丁度良さそうだな、と益体も無いことを考えた。おやつに合う飲み物を考えていたからだろう。変な方向に思考が飛躍しだしたところで、太宰さんが急に声を荒らげた。
「中也! 君もっとナマエちゃんから離れなよ! 狡いじゃあないか! 自分ばっかりナマエちゃんの柔らかさを堪能するなんて!」
「あぁ!? 何訳の分かんねぇこと云ってんだ糞太宰! そう出来たらとっくにしてるっつうの! 手前こそナマエの腰に添えてる手ェどかせ!」
「不可抗力ですぅ!」
「あ、う、二人とも動かない、で……!」
「……台詞だけ聞いてるとアレだね」
「死ね」
「私まだ何も云ってないんだけど何を想像したんだい? ムッツリ中也君」
「ここから出たら速攻で殺す」
「息くる、しい」
「ナマエちゃん! 胸元緩める!? それとも人口呼吸する!?」
「舌噛み切りますよ」
「それってナマエちゃんから殺して貰える上に、私の血がナマエちゃんの体内を巡って、死してなお一緒いられるって事だね。実に最高だ」
「中也さん、太宰さんどうにかしてください。一発殴ったら正常になりませんかね」
「無理だろ。壊れたテレビの方がまだマシってもんだ」
喋っていれば多少は気が紛れるかと思ったのに、全くそんなことはなかった。二人とも細身ではあるけれど、筋肉がしっかりとついている。この弾力は絶対に防弾ベストじゃない。
胸からお腹にかけてと、背中全体にそれぞれ感じる違う体温はさながら特大カイロのようだと思った。前後から熱が伝わってきて、熱さが留まることを知らない。冬なら大歓迎なのに。
中也さんの顔が右横にあって、太宰さんの顔は左上にある。けれど若干身を屈めているので、すぐ傍で声と吐息を感じる。初めてこんなに男性と密着した訳だが、初っ端からこの二人なんて、耐性のたの字もないわたしには厳しすぎやしないだろうか。「ハニートラップを仕掛ける任務は、君にはまだ早いだろうね」と呆れ気味に笑っていた首領の顔が浮かんだ。わたしも心から同意する。
ここに閉じ込められてから、どのくらいの時間が経過したのだろう。いよいよ呼吸がしづらくなってきた。狭い空間に大人が三人いれば当然の如く酸素が薄くなってくる。
「此の儘だと三人で死ぬ羽目になってしまうねぇ」
「呑気にほざいてんな」
「中也がいなかったらナマエちゃんとの心中が叶ったかもしれないのに。君邪魔なのだけど」
「ナマエを巻き込むんじゃねぇよ! 勝手に手前一人で死に晒せ!」
「……」
耳鳴りがする。体もだるい。合いの手を入れる余裕もなくなってきた。残り少ない酸素を無駄には出来ない。わたしだけでも大人しくして酸素の消費を極力抑えなくては。
黙りこくったわたしを不思議に思ったのか、二人が会話を止める。こういう時は息がぴったりだ。
「ナマエちゃん?」
「おい、如何した?」
「も、もう無理ぃ……」
「ナマエちゃん……あんまり際どい台詞を吐くと、中也の中也が火を噴くかもしれないよ」
「ふっざけんなこのド屑がァ! いい加減な事抜かすんじゃねぇよッ!
中也さんの声が鼓膜に響いて、症状に頭痛が追加された。二人の応酬を脳内でベルトコンベアに乗せて流しつつ、酸欠でぼんやりとしてきた意識を必死で掻き集める。この二人はどうして普通に喋っていられるのだろうか。
低酸素状態でもちゃんと動けるように、もっと訓練しておいた方がいいかもしれない。この危機を無事に脱したらトレーニングメニューに組み込もう。
「本当中也って私が投げたボールにいちいち噛み付くの好きだよねぇ」
「俺は犬じゃねぇって何回云わせたら気が済むんだ手前は!」
「却説、中也で遊ぶのもこれくらいにしておくとしよう」
わたしの限界が近いのを感じたのか、再び太宰さんは思案顔になり壁へ手を中てる。
きっと彼のことだから、中也さんと会話している間にも謀略を解く為に、あらゆる角度から思考の糸を巡らせていたのだろう。ゆっくりと一度瞬きしてから太宰さんは口を開いた。
「嗚呼、そう云うことか。私としたことが、こんな簡単な絡繰りに手間取るなんて」
「御託はいいからさっさとしろ」
カチリ、と謎が解ける音が聞こえた。「中也」と太宰さんが声を一段低くし、強めに名前を呼ぶ。
「私が柏手を打ったら、君は異能を使えるようになる」
先程の仮定を全て否定した一見突拍子のない発言にも思えるけれど、確信の籠った台詞に中也さんとわたしは口を噤んだ。
太宰さんが両手を頭上に掲げ、切り裂くように鋭く柏手を打つ。破裂音にも似ているその音が狭い箱の中で何重にも折り重なる。
「ふぅん、一回じゃ駄目か。なかなか強力だ」
感心したような目に好戦的な色が宿る。先程の宣言をもう一度口にして、太宰さんは更に強く柏手を打った。
音の大きさに顔を顰めたとき、今度はガァン! という金属のひしゃげる音が聞こえた。横を見れば、硬い壁に穴が開いている。まるでそれは障子に指で穴を開けるみたいな軽々しさだった。
太宰さんの宣言通り、再び重力を纏った中也さんは他の壁も次々と破壊していく。光と酸素が降り注がれ、視界が一気に開けたかと思えば、前後の圧迫感が急になくなりふらついてしまった。
「ごめんね、ナマエちゃん。苦しかったね」
次の瞬間わたしの体はふわりと浮いた。目の前には、倉庫の天井と心配そうにしている太宰さんの顔があった。
わたしが状況把握している間に、断末魔のような叫びが複数上がる。先刻負傷させた異能者ともう一人分の。首を動かせば、中也さんの足の下で件の異能者たちが気絶しているのが見えた。
「太宰。返せ、そいつは俺のだ」
「部下≠ナしょ、中也。日本語も真面に話せないのかい?」
「あ? どっちだって同じだろうが」
「だ、太宰さん、ありがとうございます。大丈夫です。歩けるので、おろしてもらっていいですか」
まるで帯電しているかのようなひりつく空気を鎮めようと太宰さんの胸元のコートを引っ張れば、渋々と云った様子でわたしを地面へおろす。まだ少しふらつくが大丈夫そうだ。最初の戦闘以外特に何の役にも立っていないのに、これ以上の失態は晒せない。
傍まで来た中也さんに支えるように手を取られ、引き寄せられる。無自覚に与えられる優しさはいつだって心臓に甘い負荷がかかる。
事の顛末を大体頭で纏め上げながら、太宰さんの方を見た。
「箱自体は、やっぱりただの金属でしたね」
「思い込みとは恐ろしいね。『本当にそうなのか』、常に置かれた状況を疑うことだ。でないと突破口が見えない」
一度思い込んでしまえば、思考を切り替えるのは難しい。綻びが無いかを見つけるのは至難の業だ。太宰さんがポートマフィアにいた頃も、この頭脳に何度助けられただろう。
「ねぇ中也。君、ここに来る前どこかに寄った? 若しくは何時もと違うことをしたとか」
「あぁ? 仕事馴染みから連絡あって店には寄ったけどよ」
中也さんが異能を使えるようになった理由。一番それが気になっていた。太宰さんは、自分の考えを裏打ちするように、ひとつひとつ紐解いていく。
「そこで『蓋をする、封じる、閉じ込める』みたいなこと云われなかった?」
「そういやァ、新入りを紹介されてそいつと料理の話になった時、『蓋をする』ってのをやけに強調して云われたな。それが何だってんだ?」
「思った通りだ。君、暗示を掛けられたんだよ。先刻異能を使えなかったのはその所為って訳」
思わず中也さんもわたしも素っ頓狂な声が出た。俄かには信じ難い。
「恐らくその新入り君とやらは、精神操作の異能を受けてる」
太宰さんは気絶している男二人のうち、一人を指差しながら告げる。
「それじゃあ操って間接的に暗示を……? ですが、どうして中也さんに直接異能を使わないんでしょうか。それに店長さんではなく、新入りの方を選んだ理由って」
「相手に異能を使うには、条件があるってことか」
わたしが疑問を口にすれば、思考に耽っていた中也さんが口を開いた。
「そういうこと。自分よりも精神力が高い人には掛けられない、とかね」
「店との関係性も知られてるのはいただけねぇな。前もって箱に閉じ込める手筈だったってことか?」
「ただの保険じゃない? 表向きは市警からの依頼と云う形ではあったけれど、きな臭くて調べたら、依頼者は何とグルだったのだよ。ポートマフィアと探偵社を鉢合わせて一網打尽にする、若しくは両者で潰し合ってもらう、という魂胆だろうね」
「当てが外れた上に実力じゃ劣るっつうんで、閉じ込めて殺そうってか。嘗めすぎだ」
「余りにもお粗末すぎて、逆に高邁な意図でもあるのかと勘繰ってしまったよ。腕はいいのに作戦立案が下手すぎる。ただまぁ、今回はその保険が効いてしまった訳だけど。流石は脳筋だ」
「全然褒めてねぇだろそれ。俺は手前みたいに捻くれちゃいねぇからな」
「私が捻くれていたからこそ、暗示を解いてあげられたのだよ? 感謝し給え」
「へーへー、そりゃどうも」
それでは太宰さんが此処に居た――彼曰く「首吊りでもしようかと思って」と縄を見せながら笑っていた――ことも計算通りだったのだろう。
わたしは脇に投げられていたその縄を借りて、異能者たちが目を覚ましてしまう前にと縛り上げた。
「偶々居合わせた訳じゃなかったんですね」
「いーや? この件の担当は国木田君と敦君だったのだけど、ナマエちゃんに会えるかもしれないという啓示に従ったら此処へ辿り着いたんだ」
「え、じゃあそのお二人は……?」
「私が偶々国木田君の机に置いておいた依頼に着手しているんじゃないかな」
「それは『偶々』とは云わないんじゃ……」
「滅茶苦茶やりやがるのはいつものこったろ。此奴の頭の中覗いたって真意は読めねぇよ」
対立しているとは云え、探偵社の人たちも太宰さんに振り回されていることに同情を禁じ得ない。
市警からの正式な依頼ではなかったから、と太宰さんはあっさりとこの件をこちらへ寄越した。
ポートマフィアの縄張りで起きたことは、自分たちで処理しなければ筋が通らないわたしたちとしては、諍いなく収められるに越したことは無い。中也さんもそれ以上は太宰さんに噛み付くことは無かった。
腕時計の針を見ながら、想定していた以上に時間を要してしまったと思った。箱へ閉じ込められる前に中也さんが異能を使えないと判明していたならば、もっと迅速に解決出来ていた筈だ。
自分でも善戦したと思う。これしきの相手に中也さんがわざわざ出てくることはない、と思ったし彼が任せると云ってくれたから期待に応えたかった。けれど、それが裏目に出た。敵方に有利に働いたのだ。
わたしが浮かない顔をしているのに二人とも気付いたのか、ほぼ同時に名前を呼ばれる。
「なんなの先刻から。邪魔しないでくれる?」
「はァ? 手前が被せてきたんだろ。大事な部下を気に掛けんのは当たり前だろうが。出張ってくるんじゃねぇよ」
二つの声が優しくわたしの頭を撫でてくれる。
「どうせ自分の所為で、とか考えてんだろ。変に責任感じてんじゃねぇ」
「そうそう。ナマエちゃんはなーんにも悪くない。悪いのは暗示なんてものに掛かった中也なんだから」
「……うるっせぇな」
突っかかって突っかかられて。小休止と思えばすぐに再開されるその応酬には互いへの嫌悪や、決して口には出さない信頼感も見え隠れしている。わたしの憂いを薄めて溶かそうとしてくれているみたいだった。
「ふふ、すみません。お二人とも、ありがとうございます」
ついこぼれた笑みは拭われることなく許された。表情を緩めた彼らもまた口許に笑みをのぼらせる。
「ナマエちゃん、また会ったら口説かせてね」
太宰さんの言葉はシルクのリボンみたいだ。会う度にそれをわたしの心臓に巻いて結んでいく。巻かれたリボンは中也さんが即座にほどいてしまうけれど。
馴れ合いに興じたわたしの名前を、中也さんが諫めるように呼んだ。距離を履き違えてはならない。
似て非なる黒。それらは混ざらず、決して相容れないと云うことが少しだけ寂しかった。
同じ『温かい』でも、二つの違う体温の片鱗はまだ体に揺蕩っている。