暑中見舞いに、と五色そうめんをもらった。箱を開けたら淡い色合いのそうめんが花の形に編まれていた。細い麺の一本一本が流麗な線を描いていて、清流のようだとも思った。
泊りに来た中也さんへ見せると、「明日の昼にでも食べようぜ」と瞳を輝かせていたのが意外で、そうめん食べるんだ、という顔をしたら「あのなァ」とやや呆れながら額を軽く小突かれた。
昨日の会話を思起こしつつ時計に目を向ければ、針はもうすぐお昼を指そうとしていた。中也さんはベッドで泥のように眠っている。
珍しく彼と非番の日が被ったので、今日は家でゆっくりしようと話してあった。これだけ熟睡してもらえたら、奮発してマットレスを買い替えた甲斐があったというものだ。
まだ彼の家に行ったことは無いけれど、調度品の数々は一流で瀟洒なものを揃えているだろうし、寝具は特にこだわっているに違いなかった。煎餅布団とまでは云わないが、わたしの使っていたマットレスでは彼の安眠を阻害するのではないかと思って、寝具店に駆け込んだのが一週間前。彼がうちに泊まるという一大イベントが舞い込んだので、年末の大掃除か? という勢いで部屋も片付けた。空気が丸洗いされたように清廉で、肺に取り込むのが気持ちいい。このままの状態をなるべく維持しなければ。
音量を控えめにして付けているテレビからは「午後からは次第に雲が増えてくるでしょう。夜には雨が降る見込みです。折り畳み傘を――」とアナウンサーが滑らかに喋っている。
そうめんに乗せる具材の準備は、彼が寝ている間にひととおり済ませてあった。きゅうり、オクラ、人参、海老、トマト、卵焼き、そして大葉。普段茹でるだけでトッピング無しのわたしからしてみれば結構頑張った方だと思うのだけど、初めて振る舞う手料理が、果たしてそうめんでいいのだろうか。でも中也さんなら、きっとどんなものでも喜んでくれるだろう。流石に炭化したものには顔を引き攣らせそうだが。
あとはそうめんを入れるだけの状態にしておこうと、鍋に水を入れて火にかける。
激務続きで熟睡しているところを起こすのは心苦しいが、そろそろ声を掛けなければ「何で起こさねぇんだ」と中也さんが拗ねてしまうのも判っていた。
鍋の底に小さな水泡がぷつぷつと浮き出てくる。数を増していく様をじっと観察する。さらに温められたそれらは、もう我慢できないというようにぶくぶくと浮上しては空気中に弾けて湯気となる。顔をなぶる湯気の熱さに体を後ろに引いたとき、とん、と何かにぶつかった。
「……はよ」
「おはようございます。起きたんですね」
まだ瞼に眠気が居座っているのだろう、くぁ、と小さく欠伸をしている彼が後ろにいた。ところどころ髪がぴょんぴょんと跳ねている。
「もう昼か……結構寝てたな俺」
「それはもうぐっすりと」
「何で起こさねぇんだ」
「ふふ」
拗ねている顔まで予想と寸分違わず、笑みがこらえきれなかった。
わたしが笑ったことにむっとしながら彼が顔を首筋に埋めてくる。肩とお腹へ回された腕に力が入って、抱きすくめられた。彼の唇が首と肩の境に触れる。そして耳たぶから耳輪を吐息でなぞり上げて、「手前との時間減るだろうが」と咎められる。
こうして二人で会える時間は滅多に無い。だからこそ。でも体だって大事だ。資本をないがしろには出来ない。本音と建前が常に綱引きしている。
「あ、の!」
腰のあたりにある彼の手が、突如シャツの中にするりと侵入してきた。わたしから余裕を取り上げようとする手つきで肌を撫でる。出そうになる声を必死で飲み下している間に、お腹から肋骨のあたりへと手のひらが移動した。湯気を頭から被ったみたいに体温が上がる。
のんびりと昼食をとるどころではなくなりそうだ、と慌てて身を捩った。
「っ、そうめん、で本当に良かったんですか? もっと手の込んだ料理とか……」
わたしの言葉に、シャツの中で動き回っていた彼の手が大人しくなる。
「十分手が込んでるだろ。茹でるのも立派な料理だ。それに苦手な包丁持って野菜切って、海老の背腸も取って、……って何だこれ、すげぇ! 卵焼き星の形してんじゃねぇか!」
「せっかくですし、七夕らしさを出したくて」
星型に入れて成形中の卵焼きを手に持った彼は、表情をくるくると変える。そんな彼を見ていると、まるで万華鏡でも覗いているような気分になった。
「わざわざ
本当にどんなものでも喜んでくれる。彼はわたしが隠したがる試行錯誤もぜんぶ見抜いて、霧を晴らすように後ろめたさを打ち消してしまった。取り繕うのが苦手なのもあるが、彼の言葉には普段から余計なものが一切無い。
思い切り抱き着きたかったけれど、今は駄目だ。横合いから体当たりして、半ば無理やり路線変更したようなものなので、もしまた先程の流れに戻ったのなら二度目は通用しない。
「一緒に盛り付けしませんか?」
「お、やるやる! とりあえず顔洗ってくるわ」
すんなり解放してもらえたことにこっそり安堵しながら、わたしはそうめんに手を伸ばして封を切る。鍋を見ると沸騰させすぎてお湯が減っていたので、なんとも言えない気分で水を追加した。
雲が増えるという予報通り、太陽の光は遮断されて外は灰色の濃度が増してきていた。
今ごろ織姫は彦星に会うために、支度でもしているのだろうか。たくさんの人に願われ見守られる逢瀬もいいだろうけれど、今年は雲の壁に隔てられている。私たちと同じように、今年は二人でゆっくり過ごすのだろう。七夕に降る雨は、再会できた嬉し涙であればいい。
顔を洗い、着替えて戻ってきた中也さんが隣に並んだ。切るのをお願いした卵焼きに包丁をいれるたび、断面を見て「おお!」と子どものように感嘆している。
切れ端をつまみ食いしているのをじっと見つめていると、わたしの口にも卵焼きを押し込んできた。
「つまみ食いの共犯な」
「なんです、それ」
唯一の目撃者であるわたしの口を封じ、彼は目尻を柔らかく溶かして心底楽しそうに肩を揺らした。
「あ、そんなに食べたら無くなっちゃいますよ!」
「美味いから手が止まらねぇ」
「特訓した成果が出て良かったです」
「なんだ云えよ。味見したのに」
「……とてもじゃないですけど、お出しできるレベルじゃなかったので……卵の殻とか入ってましたし」
「嗚呼、先刻のはそれか……」
「え! 入ってました!?」
「嘘」
「もう!」
なんでもない日常の尊さを、わたしたちは痛いほど知っている。