打ち捨てられた願いと、破れた恋心は似ている。
遠い空へ焦がれるようにカクテルの色を瞳に映し、ひとときの酔いに浸っているわたしの隣に腰かけた人へ視線を滑らせる。
いつも凛としている帽子は今日も変わらず、彼の頭の上(特等席)から、襤褸切れのように萎れたわたしを睥睨でもしているかのようだった。
「此処に居るってこたァ、まあた振られたのか?」
「この前と一緒。思ってたのと違うって云われた」
「手前が猫被ってっからだろ」
「最初が肝心って云うじゃん」
「その肝心な処を嘘塗れにしてどうすんだよ。嘘で始まったもんは長続きしねぇの判ってるだろうに」
恋愛に関して成長のせの字も無いと思われているんだろう。実際その通りで、わたしは付き合っては短期間で振られるというサイクルを寸分の狂いもなく繰り返しては、こうして彼に愚痴を吐露している。
わたしに学習する気が無いのを彼は判っているので、敢えて蜂の巣はつつかずにいてくれる。話の腰を折ることもせず、「仕様の無い奴」と呆れながらも耳を傾けてくれるから、一層彼の優しさに寄りかかってしまうのだ。
わたしの行きつけのバーへ彼が来たことがきっかけだった。それから彼もたまに訪れるようになり、互いに約束は結ばすとも、わたしが話をしたいと思った頃合いを見計らったように彼が現れることが多い。
本部で顔を合わせることはあまり無いし、会っても部下と話をしていることが殆どだから、『お疲れ様』の六文字でさえ交わすいとまがない。それでも、刹那の邂逅を惜しむようにわたしが彼の方を見れば、顔だけはちゃんと見てくれる。熱された地面に水滴が落ちて乾くまでのようなたった数舜、彼の観察眼が閃くのだろう。
「で、今回はどんな男だったんだ?」
「帽子とスーツが似合う人。営業成績トップ。スポーツ万能。あと、すごく優しい」
「前回とあんま大差ねぇな」
白ワインをひと口含んで、わたしが列挙した好みをバッサリと叩き切る。
彼はわたしと飲むとき、赤ワインを飲まない。飲むのはシャンパン、白ワイン、ごくたまにわたしと同じカクテルを飲むこともある。理由を訪ねたことは無かったけれど、聞くなという雰囲気も出していない。いつもわたしばかり話しているし、内容も変わり映えしないので、少し変化球を出してみることにした。
「ずっと不思議だったんだけど、赤ワインは飲まないの? 広津さんたちと一緒の時は飲むんでしょう?」
彼の喉がごくん、と嚥下する。まばたきとともに彼の目に滲んでいた呆れが雲隠れして、わたしよりもさらに変化のついたボールを投げて寄越す。
「手前と一緒だよ」
「なにが一緒なの?」
「寄り道ばっかしてるとこがな」
意味深に細められた目がわたしの心に肉薄する。『寄り道』という言葉で表現されたとき、嘘でもいいから首を傾げるべきだった。
「なァ……お前、本当は本命がいんだろ?」
生まれて幾ばくも無かったその感情は早々に行き場を失くしてずっと蹲ったままだった。箱に入れて鍵をかけるだけでも、穴を掘って埋めるでも駄目だ。海溝くらいの深さまで沈めておかないと、こうやって簡単に核心へ到達される。
「……今までだって、遊びじゃないよ」
「確かに遊び、って感じはしねぇんだよな。そうだな……まるで、練習でもしてるみてぇだ」
「練習……?」
「振られる練習。本番で傷付かない為の」
今までつつかずにいてくれたのに、どうして。巣に手を入れられ中身を混ぜ返したかと思えば、引き摺り出される。
わたしからの変化球を足掛かりに彼は次々と畳みかけてくる。息継ぎをさせてくれない。整理整頓した優等生の答えはいらないと突っぱねられているみたいに。まるで水責めにでもあっているかのような心境だ。
「聞いたらいいじゃねぇか」
「聞く、って」
なにが、なにを。質問ばかりさせられている。彼の方はなかなか核心を云わない。
グラスの表面を覆っている水滴が、重力に従い下降していく。伝い落ちていく様は、カウントダウンにも似ていた。
彼の口元が、わたしの中で見て見ぬふりをしていたものの輪郭をなぞるように、弓形に形を変えていく。
「目の前に本命がいるんだからよ」
コルコバード――彼の目と同じ色のカクテルが、してやったりとでも云うようにグラスの中の氷をカラン、と鳴らした。
ついに切り込まれた心が上げた悲鳴は存外弱々しく、溢れ出たものがみるみるうちにわたしを水浸しにしてしまった。
毎回同じような展開と結末。付き合って来た人たちの顔立ち、性格、趣向、背格好。そして、低くて深さを感じさせる声。それらを集約した先にあるもの。
わたしが吐露していたのは単なる愚痴ではなく、彼にとっては予測を裏付ける情報で、彼ほど洞察力の鋭い人に悟られない為には喋るべきではなかったし、その行為の意味に早く気付くべきだった。
「ずっと待ってンだが、中々俺のとこに来やしねぇ。……無駄な道草は、そろそろやめたらどうだ?」
彼が、持っていたワインをわたしのグラスに軽く打ち付ける。「恋愛なんてする気もしてる暇もねぇ」といつかの彼が云っていた言葉にずっと囚われ、患ったままの心にその音が福音のように吹き込んで、膿んだ傷口を撫でていく。硬質で砕けやすいように思えた音の余韻は、帳のように薄く広がって長く空間に留まった。あれが単なる断り文句であるとも安易に断言出来なかった。
長らく胸を塞いでいたつかえが取れて吸い込んだ空気は、甘ったるく喉に絡む。それでも、息はしやすい。
「わたし、どうしても貴方としか……恋、できないみたい」
「奇遇だな。俺もだ」
絞り出した吐息のようなわたしの本音に、やっと赤ワインが飲めるぜ、と彼は頬杖を突きながら相好を崩す。
今までの道草の理由をあとで問い質されるのだろう。答えるまで、きっと彼はわたしのあらゆる動きを封じてしまう。
泥船に乗って漂泊していたわたしがゆるしの秘跡を受けるなら、彼という人を措いて他にはいない。