探偵社なのに武装ってどういうこと? 口をついて出たわたしの疑問に、彼は「唯の探偵社だったら、私はこうして君を護衛していないだろうね」と軽やかに笑いながら、微妙に論点をずらした答えを寄越した。
 それがわたしと彼の最初の会話だった。
 
 武装探偵社なるものに、わたしの護衛を依頼して早三ヶ月経つ。よく持っている方だろう。大抵は一週間と経たずクビになる。護衛という立場を逸脱し、欲に塗れた汚い手を伸ばすからだ。誰にも触れられたことのない花を、手折ってみたくなるのだろうか。棘毒)があるかもしれないのに。
 両親が今度こそは大丈夫だと云って連れてきた太宰さんを見て、意外に思った。今まで依頼していた護衛の人たちは『荒くれ者』という言葉がぴったりな風貌と性格をしていたから。筋骨隆々で鉄骨みたいな彼らに比べると、太宰さんは少しばかり太い木の幹といったところだろうか。わたしも修羅場は経験しているため、外套に隠されていようと太宰さんの体幹の強さは分かる。だが鉄骨で殴られれば木は折れてしまう。
 聞けば自殺が趣味だと云うから、とんでもない嗜好の人物が来たものだと驚いた。けれど自殺の種類も沢山あり、彼の話し口調が面白可笑しくてついつい聞き入ってしまうから、退屈とは無縁の日々を送っていた。
「わたしの知ってる探偵事務所とは全然違う」
「推理小説に出てくるそれのように痛快とも行かないしねぇ。後味の悪い結果だって多々あるさ」
 寝台に腰掛けている彼が目を伏せる。手持ち無沙汰に包帯の巻かれている両腕を見ていると、それに気付いた彼が悪戯っぽく「解いてみる?」と右腕を差し出してきた。
「……ほどいてどうするの」
 彼の心の内側には、この横浜に乱立しているビルですら軽く凌駕してしまう程の思惑が飛び交っているんだろう。わたしの心を透かしとるみたいに彼の目が細められた。緩く弧を描いている口元がひめやかさを纏う。
「君が私に触れたそうだったから」
 躊躇わないでいいのに、と詩でも詠むように言葉が紡がれる。わたしは身を乗り出して、彼の肩を軽く押した。抵抗することなく躰が寝台へ倒れていく。
 投げ出されている彼の手に自分の手を重ねた。あたたかい。わたしには無い自由を持つこの温度に焦がれてしまう。疑問を抱くことさえ許されなかった。わたしの運命は両親の手によって緻密に作り上げられていた。顔も名前も知らない男の元へと嫁ぐこと。ただその日のためだけに自らを磨き上げた。かくして宝石のごとき美しさを手に入れたわけだが、わたしの心が満たされることはなく、それどころか空虚が心に穴を開けて風通しがよくなっていくばかりだった。
 押し倒されている彼は、やはり詩でも詠むような表情でわたしを見返してくる。包帯の下の素肌に触れることは、毒を呷るのと同じかもしれない。
「太宰さんは、毒林檎みたいだね。ひと口でも齧ったなら眠りについてしまいそう」
「夢を見させることには自信があるよ」
 護衛を依頼したのは『正しさ』を守るためであって、道を踏み外すためじゃない。でも、彼はわたしの気持ちを知っていて、それを止めようとはしない。
 首にも巻かれている包帯へ触れようとしたとき、階下で爆発音らしきものが聞こえた。
「な、なに今の音……」
「流石、機ばっちりだ。始まったみたいだね」
「始まったって、」
「この箱庭を壊す」
「壊す……?」
「そう。私たち武装探偵社は慥かに荒事を領分としているし、危険な任務も請け負う。だが本質は人助けだ」
「嘘、でしょ……」
 話が違って混乱する。後暗い汚れ仕事も厭わない、どんなに非道であろうと任務を遂行する腕の立つ集団だと聞かされていたからだ。
「この商館が人身売買に手を染めていることは君も判っているだろう? ただ中々尻尾を出さなくてね。軍警も手こずっていた。それで我々に依頼が舞い込んだんだよ。コネを使って調べても目ぼしい情報が得られなかったから、潜入することにしたんだ」
「……大袈裟なくらいに守りを徹底してるのは知ってた。でも、どうやってあの人たちを信用させたの?」
「なあに、彼らが一番信頼している業者にちょっとしたお願いをしたのだよ。探偵社についての黒い噂を後押しして欲しいとね。最初は懐疑的でも懇意にしている取引先からの太鼓判があれば、仮初の噂も信じるに足る確かな輪郭を持つ。そうすれば懐に潜り込むのなんて案外簡単さ」
 種明かしをしながら彼が躰を起こす。作戦を遂行していたに過ぎない彼の今までの行動を胸の内で反芻すればするほど、心臓への裂傷が増えていく気がした。
「わたしを救い出すとでも?」
「そうだと云ったら?」
「そんなこと、出来るわけが」 
「……君にとっての『正しさ』とは、嫁ぎ先――有り体に云えば売られた先の男をどんな形であれ愛そうと努力すること。夢を見ることさえ敵わない環境で、何ともいじらしいことだ。けれど、この状況は明らかにおかしい」
 それに、正しいばかりの恋じゃつまらないだろう?とでも云いたげに彼が微笑んでいる。
「太宰さんてわたしのこと好きだったり……?」
「さぁ、どうだろうね」
「……太宰さんみたいな人のこと何て云うか知ってる。あれでしょ、女誑し」
「酷い云い草じゃないか」
 ぷくぅ、と頬を膨らませて怒る素振りを見せる彼に思わず笑みがこぼれてしまった。
 階下でまた爆発が起こったようだ。思わず肩を竦めてしまう。部屋が揺れて建物が悲鳴をあげている。
 結局ほどくことは出来なかった右手が、恭しく差し出された。
「大丈夫、これは陽動だから君に危険は及ばない。私のこの手をとってくれるかい?」
「自由には代償がつきものなんでしょう?」
「そうだね。払う代償は、この生ぬるい湯の張った唯只管に与え続けられる君個人の自由は一切無視された生活、そして――育ての親からの偽愛といったところかな。如何だい? 君にとってこれは高い代償?」
「安すぎて、笑っちゃう」
「だろう? ……君にだって、自由はあるのさ」
 耳元で囁かれたその言葉が、わたしから枷を容易く取り払ってしまった。
 作戦を円滑に進めるための演技だったって、もういいや。正しくない恋を教えてもらえたから。
 この恋が実らなくとも、それでもわたしは、わたしを怖いくらい真っ直ぐに見てくれた彼に感謝せずにはいられない。
「……君は私が好きかい?」
「さぁ、どうでしょうね?」
「そこは好きって云って欲しかったな」
「狡い人に差し上げる言葉はありません」
 例え、彼にとってこの恋心が、わたしに要求を呑ませるための弱みになろうとも。