たまに月のように物憂げな顔をすることがあるゲゲ郎さんは、岩子さんの前だと太陽みたいに笑う。二人が一緒にいると太陽が二つあるみたいでとてもあたたかい。
 
 鬼太郎と共に少し出掛けるところがあるからその間に、と岩子さんからおつかいを頼まれ、ゲゲ郎さんと買い物へ来ていた。どこもかしこも人で溢れかえる視界の中で、人間ではない何かが紛れているのが見えた。この二人と関わるようになってから、わたしも妖怪が実在していることを知った。それに、ゲゲ郎さんの知り合いだからと助けて貰ったこともある。未知が既知になれば、そして相手を知ろうと思えば、反射的に抱いてしまう恐怖は薄らぐ。
「買い忘れは……よし! ないですね!」
「いつもありがとうなあ。お主のお陰で助かっておる。ほれ、荷物はわしに任せぃ」
 渡されたメモに線を引きながら「わたしがお役に立ちたくて勝手にやっているので」と答えれば、眦を柔らかく下げた彼が大きな手でわしゃわしゃと頭を撫でてくれる。彼や岩子さんから子ども扱いされるのは嫌じゃない。
 最初の頃は頭を握り潰されるんじゃないかと思う程の力で、頭蓋骨が砕けると恐怖したこともあったけれど、最近は力加減を覚えたのか手付きが優しい。大方岩子さんから叱られでもしたのだろう。大きな体を小さくしてスンスンと悲しげな顔をしているゲゲ郎さんを想像してしまった。笑わないよう我慢しようにも、その想像が脇を擽るように頭の中で浮かんでは消えて、ついに噴き出してしまった。
「なんじゃ? ハッ! また加減を間違えてしもうたかの!?」
「ふふ、痛すぎて笑う人なんていないですよ」
 多分、と心の中で付け加えながら大丈夫です、と言えば安心したように白銀の髪がゆらりと揺れた。
 腕時計に視線を落とす。思ったよりも買い物が早く終わった。他に目的もないので帰ろうと声をかけようとしたとき、新緑を水に溶かしたような鮮やかな緑が目に入る。その上にはクリーム色の楕円、楕円の上には小さくて艶々の赤い丸が描かれている看板。思わず釘付けになり、声を上げた。
「あ! 思い出のクリームソーダ!」
「そういえばお主はまだ食べたことがないと言っておったのう。折角じゃ、寄って帰るか」
「いえそんな、いいです! ただお二人の馴れ初めに出てきたから目に入っただけであって……」
「クリームソーダの味、知りたいと思わんか? 何と表現したら良いかのう……」
 親指と人差し指で顎を挟み、彼がうーんと唸る。だが、わたしが一度瞬きをしたあとにはもう彼から肩を掴まれ、くるりと向きを変えられていた。
「考えても詮無い、百聞は一見にしかずじゃ! とにかく食べてみい!」
 彼の勢いに押され、そして実際に背中も押された私は、食べたらすぐに出ればいいか、と喫茶店の扉をくぐった。扉が開いたのと同時に鳴ったベルの音は私の脳内で『カラン』と表記される。そういえば彼の下駄の音も『カラン』だなあ、と思いながら案内されるがままに席へついた。
「岩子には内緒……にせずとも良い。これくらいの寄り道ならば許してくれるじゃろうて。岩子もお主に何か礼をしたいと言っておったからの」
「ありがとうございます」
 楽しみで仕方ないと、彼の声が弾んでいるのにつられて私の心も逸る。大好きな二人の馴れ初め話に出てきた飲み物だ。これまでもこれからも縁遠いと思っていたから、降って湧いた僥倖に恐縮しながらも、厚意に甘えることにした。
 忙しい時間帯を脱したのか、店内はゆったりとした空気で満ちている。雑踏とここでは時間の流れる速さが明らかに違った。
 注文して程なく運ばれてきたクリームソーダは、当たり前だが看板で見るよりもよほど輝いて見えた。メロンソーダの中で水泡がスイ、と流れ星のように下から上にのぼっては弾けていく。バニラアイスの表面に目を凝らせば小さな氷が店内の照明を反射してキラキラとしていた。
 いざ、と二人して同時に口に含めば目の前に座るゲゲ郎さんは、ほっぺが落ちそうなほど表情を緩ませた。
「美味いじゃろう? お主、ほっぺたが落ちそうな顔をしておるぞ」
「ゲゲ郎さんこそ」
「そういえば岩子にも同じことを言われたな」
 シュワシュワとした炭酸が喉を通過したときはその刺激性に驚いた。濃厚なバニラアイスはさっぱりとしたメロンソーダと混ざって程よい甘さになる。炭酸が少し抜けて舌触りもちょうどいい塩梅だ。成程これは手が止まらない。
 実際にクリームソーダを喫しながら聞く話は、普段よりも話に肉付けがなされ、二人が近くに感じられた。何度も馴れ初め話をせがむ私を後目に、水木さんは耳にタコが出来た、と言ってげんなりしていたけれど。水木さんは薄々気付いているかもしれない。幽霊族と人間では到底埋まらないものがあるけれど、私は無意識にそれを埋めようとしている節がある。二人に近付けたつもりになるのは烏滸がましいと分かってはいても、大好きな彼らのことをもっと知りたいと思ってしまうのだ。
 話に咲いた花はどんどん増えた。一体何種類、何輪咲いただろう。クリームソーダはとっくに食べ終え、氷も溶けて白く濁った水がグラスの底に溜まっていた。
「あー‼ ゲゲ郎さん、長居しすぎました! 早く帰らないと……!」
 腕時計が指し示している時間は本当だろうかと何度も確認するが、ただただ現実だった。焦りが水泡のようにぶくぶくと浮かんで弾けたそばから絶望に変わっていく。急いで会計を済ませて外に出ると西日が傾いていた。
「こりゃいかん! 岩子のことになるとつい時間を忘れてしまう!」
「えっ、ちょっとゲゲ郎さん、待って……わ、担がないでえええ‼」
「黙ってないと舌を噛むぞ」
 喫茶店を出て路地裏に入った瞬間、体が浮いた。腕力も脚力も人間離れしている。恐ろしいほどの速度であらゆるものが一緒くたになる。わたしはそれらの色彩が、絵巻物を広げる時のように後ろへ流れていくのを見ながら、先に帰っているだろう岩子さんがどうか怒っていませんようにと願うばかりだった。

 抜き足差し足をするより前に玄関の扉が勢いよく開いて、ゲゲ郎さんとわたしは固まった。
「遅い! 帰りが遅くなっちゃったわね、ってこの子と話してたのに家に居ないんだもの、どれだけ心配したと思ってるの! そりゃ多少の寄り道なら構わないわよ! でもねぇあなた、空を見てちょうだい、もう日が暮れるじゃないの!」
 鬼太郎を抱っこし、空いた方の手を腰にあてて仁王立ちしている岩子さんのキリっとした目元がさらに引き上がっている。願掛けなんてあってないようなものだ。買い物と言ったって大した量じゃなかったし、わたし一人ならまだしも彼も一緒である。
「すまん、岩子……」
「遅くなってごめんなさい……」
「全く……どこで何をしてたんだか」
「岩子の話をしとったら、遅くなってしもうたんじゃ」
「喫茶店でクリームソーダをご馳走になったんですけど、つい岩子さんのお話で盛り上がってしまい……」
「あ、貴女たちねぇ……もう……!」
「む、照れている岩子も愛いのう」
「可愛いですねえ」
「これで帳消しになんてならないですからね!」
 落としていた肩を上げたゲゲ郎さんの表情には明かりが灯る。その明かりをわたしへ移すようにへにゃりと笑いかけてくる。
 いつしか「お邪魔します」が「ただいま」になり、遊びに行けば今日のお夕飯は――と当たり前のように家へ通されるようになった。
 愛を贈り合う睦まじい彼らから、わたしもたくさん貰っている。どれだけ心が凍えて悴んでしまっても、彼らが息を吹きかけ温めるように優しさをくれるから、一抹の寂しさも掻き消える。
 眩しいと目を細めてしまう幸せが、いつも手を引いてくれるのだ。