最近流行りのドラマに釘付けになっている彼女を後ろから抱き締めながら、うなじのあたりに鼻を擦り寄せた。清らかで甘い。彼女を花に例えるなら何だろう。彼女ならば春夏秋冬どの花でも似合いそうで、候補がありすぎるために例えるのを早々に諦めた。
肺いっぱいに吸い込んだその香りは、細胞に染み入って乾きを癒してくれる。それでもまだ足りなくて、彼女の肩に顎を乗せてぴたりと頬同士をくっつけた。柔らかくて程よい弾力のある彼女の肌は、ずっと触れていたいほど気持ちがいい。少しの違和も感じられない。
それはきっと彼女と過ごしてきた年月がそうさせたんだろう。互いが共鳴しあい、求め合い、形が少しずつ変化し、そうしてパズルのピースが嵌るかのように。
今ではなくてはならないものになった。
依然彼女はテレビ画面から目を離さず、集中力を結集してドラマに見入っている。鬱陶しいだろうに邪険にせず、中也の好きにさせてくれていた。
俳優たちの台詞を聞き流しながら、頬を離してまた首筋に顔をうずめる。深い呼吸を繰り返していれば、微動だにしなかった彼女がついに身動ぎし、ソファが小さく軋んだ。
「あ、あの……吸いすぎじゃない?」
「健全な精神は健全な魂に宿る、って云うだろ?」
「つまり、くっついてれば元気になるってこと……?」
「そういうこった。まあこれは誤訳らしいがな。慥か『大欲を抱かず、健全な精神に健全な魂が宿ることを祈るべき』みたいな意味だったと思うぜ」
宿るにしろ祈るにしろ、彼女自身が健やかでいてくれるならそれでいい。共に過ごすささやかな日々が、完全なる闇に塗り潰されなければいいのだ。
納得いくような、いかないような、微妙な表情で中也の言葉を咀嚼している彼女はつい先程の『元気になる』を反芻したのか、どことなく照れくささも浮かべながらドラマを追っている。
好きなことに没頭できるせっかくの時間に水を差したようで申し訳ないとは思いつつも、彼女の名前を呼んだ。
「集中してるとこ邪魔して悪ィんだが」
「どうしたんです?」
「五分でいいから……その、あれだ」
「あれ?」
「……構っちゃくれねぇか?」
中也を見て、ぽかん、と彼女が口を開けるのは想定内だったが、じわじわ込み上げてくる羞恥には内心で舌打ちをした。
真剣そのものな彼女の、物語に没入している美しい横顔を見るのは好きだった。いつもは各々好きなことをしているために、こんな面倒な感情は抱かないのだけれど。
職場でも顔を合わせ、たまの休日はこうしてどちらかの家で会い、過ごす時間を重ねてはいても。
少しでもその瞳に自分を映していてほしいと願ってやまない。いとしいぬくもりに触れてしまえば、どうしたって本能的な欲には抗えない。
「中也さんが甘えてくれるの珍しいね……?」
「なんだよ……」
じい、と視線で穴でも穿つように彼女が見てくる。それからリモコンを手に取り、電源釦を押した。
テレビが沈黙し、静けさが戻ってくる。
「だっていつもは私が構ってもらう側だし……だからかな。ふふ、すごく嬉しい」
躰の向きを変え、中也の方へ伸ばされてきた腕が首にゆるりと巻き付いた。
「五分と云わず、中也さんがうんざりするくらい構い倒します!」
嬉々とした彼女の声が耳元で跳ねる。
「うんざり、なんて思うかよ。つーか手前、その云い草だと動物みてぇに猫可愛がりするつもりじゃねぇだろうな?」
「……えーと、」
躰を離した彼女は、その予定です、と云わんばかりにこてん、と首を傾げながら笑顔を見せた。肩透かしもいいところである。
何度か似たような状況を経験している筈なのに、こうしてたまに見せる悪気のないその幼さに、爪を立てることにした。
どさり。突然ソファに寝かされた彼女は中也の躰の下で、目を白黒させている。
「うんざりするほどの時間を割いてくれるってんなら、俺の構い方、よぉく知ってンだろ」
意味を理解した瞬間、頬に朱が咲いて広がっていく。彼女の唇に人差し指を宛てがった。それから指を少しずつ下にずらしていく。顎を通り、喉をなぞる。それから鎖骨の間をおりて――。
「これじゃあ、どっちが構ってもらうのか判らねぇな」
朱がさらに濃さを増した。まるで大輪の紅い花。服の下で息を潜めているであろう、どこもかしこも瑞々しいその柔肌に、今度こそ優しく爪を立てるとしよう。
そうしてこぼれてきた愛を抱き締めるのだ。
互いの心に届く言葉を、決して誤訳なんてしないように。