忘れられない人がいる、と云ったわたしの心を、中也くんはずっと見守ってくれている。
朝起きたらいつも目の周りがぱきぱきとしていて、何となく腫れぼったい気がして鏡を見たらやっぱり腫れていて。ひどい顔のわたしがわたしの弱さを糾弾してくる。
あのひとが死んでしまってから、わたしの傍にはずっと中也くんが居てくれるようになった。
龍頭抗争時の記憶はすべて真っ赤に塗りつぶされていて、実際わたしは全身血塗れだったそうだ。あのひとを奪った男とその組織に与するものを見つけては殺して回っていたらしい。記憶に無いのが残念でならない。
愛するひとがもういない、その事実は重たく暗くわたしの心に根を張った。その根に生気を吸い上げられていくような心地のなか、生きることから意識が薄れつつあった。けれど、中也くんはわたしの命を、ぼろぼろの心を諦めないでいてくれた。心臓に深く絡み付いていたそれらを、中也くんはひとつひとつ慎重に、丁寧にほどいていった。
「……傲慢、か」
眦をそっとぬぐわれてから発された言葉は硝子のようで、たちまち砕けて消えてしまった。
わたしが夜に泣いていることを知っているのは彼だけだ。時間が経つにつれ、回数はだいぶ減ってきたと思う。
泣いている途中に、こうしてたまに意識が浮上することがある。寝ている振りをし、彼のやさしさに触れようとしては、手を伸ばせずにいるままだけれど。
わたしはまだあのひとのことが好きで、でも心の中には中也くんがいることも事実で。せめぎあう想いを秘めたまま、目を瞑るしか出来ない。
「大事なモンは忘れなくていいんだ。……手前が心から笑ってくれりゃあ、それでいい」
中也くんがくれるぬくもりは祈りだった。ひたむきで真摯な祈りを一身に受けていると、また意識がとろとろとしてきて、そのまま眠ってしまった。
花弁が踊り舞う美しい桟橋。これは夢だとすぐに理解出来た。
今まで見てきた凄惨な夢とは違って、あのひとが柔らかく微笑んでいる。生きていたとき、いつもわたしの手を引いてくれていた彼はこちらに手を差し出していなくて、わたしとあのひととの間には明確な隔たりがあった。
「大事なひとが増えたんだね」
「っ……! うん、!」
「君の幸せも、君の大事なひとの幸せも、願ってる」
目の奥が熱くなってみるみる視界が滲んでいく。とめどなく頬を伝う雫に、わたしが抱いていた"好き"はもう過去になり、大切な思い出になっていたのだと、知った。
あのひとの輪郭がぼやけて、やがては景色と混ざり合い、一枚の水彩画のようになって消えていく。
再び浮上した意識が感じ取ったやさしいやさしい温度が眦に降ってくる。中也くんのキスに込められた意味が判らないほど、わたしは莫迦でも臆病でもない。
ずっと傍で、枯れるだけだった花を支えてくれた彼は、まるで一輪挿しのようなひとだと思った。
もう、大丈夫。ひとりでちゃんと立てるから。
待たせてごめんなさいと。あなたが好きだと。早く伝えたい。