洗面台の前、ボディクリ一ムを塗ろうと立っていると、背後にある廊下と脱衣所を隔てるドアが無遠慮に開けられた。
「え」
「……悪ィ」
 頭だけで振り返りつつ、咄嗟に胸元を隠した私に彼が目を細める。今が冬でよかった。脚は塗り終わってすぐズボンを履いていたから。夏だったらと思うだけで、さらに羞恥が込み上げる。
 謝罪のあと、彼はその場から一向に動く気配を見せなかった。彼の後にシャワーを浴びたので入りたい訳ではなさそうだが、と首を傾げる。のそり。彼にしてはやけに緩慢な動作に思わず声が上擦った。
「あの、中也さんなんで近付いて……」
「だから悪ィって云ったろ」
「閉めるならまだしも、」
「あぁ、開けっ放しだと寒いもんな」
「そ、そういうことではなく……!」
 後ろ手にドアを閉めた彼の動きは至極滑らかで、疑問を抱く私が可笑しいのかと思う程だった。驚きで動くことの出来ない私の背に、ぴたりと彼が寄り添う。
 鏡越しに合った視線からは何も感じられない。だから僅かに油断した。その瞬間。静謐な水の中で火が灯る。肩に触れた彼の唇が位置を変えながら、ちゅ、ちゅ、と軽い接吻を落としていくにつれ、お湯でぬくまったのとは違う熱が身のうちで暴れ出す。
 背筋が痺れるこの感覚を、私は厭という程知っていた。「ぁ、う」首筋に甘く吸いつかれかと思えば、接吻の足跡を辿るように舌が這い、堪らず声に蜜が混じる。
「同じもん使ってんのに、不思議だよなぁ」
 首筋に顔をうずめながら、ちらりと寄越された彼の瞳の奥で青い影がゆらゆらと燃えていた。
「手前がよく、俺の匂いが落ち着くって云うだろ? あんまピンと来なかったんだが……成程、慥かにすげぇ落ち着く」
 落ち着いている人の動きではないと思うのだが、という言葉は彼に云わせれば"煽る"ことに他ならないと心得ているので、じっと黙っていたのだけれど。
「ふ、賢明だな。けど今はその学び、役には立たねぇよ」
 見透かすように声のトーンを下げた彼に退路を断たれたのだと、悟るしかなかった。
 羞恥を押さえ付け、彼によって引きずり出されそうな熱をなんとか逃していたことは、すべて水泡に帰そうとしている。
「臨機応変ってやつだ」
「使い方ぜったいちがう……!」
 するり、と腰を撫でお腹に回った手に悲鳴じみた反論を上げるも、あっさりねじ伏せられてしまった。
 ダメ押しとばかりに唇へ接吻した彼は、本来の目的だったのだろう、洗面台横の棚からタオルを取り出し、ドアの方へ向かって行く。
「待ってる」
 短い、けれども手を伸ばせずにはいられないような、睦言を縒りあわせた糸を思わせるその言葉から逃げるすべを、私は知らないのだ。