砂糖漬けの呪詛 01


ㅤずっと開いていなかった扉が軋むような音を立てながら開いて、幼い子どもが二人、顔を出した。先生ではない。随分と懐かしい人が来たものだと、持っていた本を古びたテーブルに置いた。
ㅤ今年の〈大いなる厄災〉は例年よりも遥かに甚大な被害をもたらしたと聞いている。北の双子がこんな秘境を訪れたということは、先生は本当に亡くなられてしまったらしい。〈大いなる厄災〉の襲来から夜が明けても帰ってこなかった時点で、彼の死は確定したようなものだったけれど、彼らは訃報を伝えるためだけにわざわざ黄昏の丘までいらっしゃったわけではないだろう。

「先生は亡くなったのでしょう。ご用件はなんですか」
「冷たいおなごじゃ」
「薄情なおなごじゃ。アルマンから遺言を授かった」

ㅤスノウ様とホワイト様はわたしの前に進み出るとわたしの手を握り、神妙な顔つきで《ノスコムニア》と唱えた。ああこれは。この場で遺言を言うと見せかけて、騙したんだな。そう気づいたのは水のせせらぎと小鳥の鳴き声が聞こえてくる、見覚えのない庭に降り立った時だった。



「……誘拐はさすがにどうかと……」
「違う違う、賢者ちゃん! 我ら誘拐なんてしておらん!!」
「誓ってしておらんぞ! ええい、おまえたちもそんな目で見るでない!」
「でも、どう見たってスノウたちより幼いですよ」

ㅤわたしを見下ろしている人間は真っ青な顔に焦燥の色を浮かばせ、会ったことのない若い魔法使いたちはどう見たってスノウ様とホワイト様に嫌疑の目を向けている。わたしはいきなりここまで連れ去られたので、何を言えばいいのかさっぱりわからない。
ㅤ途方に暮れていると、そろそろ自己紹介してくれんかの! とスノウ様かホワイト様か、どちらかがおっしゃった。なぜそんなことをしなければならないのかはわからないが、お二人がおっしゃるのならば大人しく従うべきなのだろう。

「東の魔女、ナナ。孤児なのでファミリーネームはありません」
「ま、魔女……?」
「魔女です。年齢は300歳ほどです」
「300!?」

ㅤ人間が叫んだ。スノウ様とホワイト様だって、幼いお姿でも数千年を生きていらっしゃるご長命の魔法使いだ。そこまで驚くようなことには思えない。
ㅤでも、そうだ。先生が亡くなられた今、子どものままでいる必要はなくなった。長いあいだ子どもの姿をとっていたせいで、元の姿に戻るのはなんだか少しおかしな感じもするけれど、変身のためだけに魔力を使い続ける、無意味とも言えるこの行為にはこれ以上ないほど辟易している。楽になりたいと考えるわたしを後押しするように、ホワイト様が「そなたの真の姿を見せるといい」とおっしゃった。やはり、わたしの変身魔法は双子にはお見通しだったらしい。呪文を唱えて本来の姿に戻ると、先生と出会った日から成長を停止させていた身体は大人の女程度の背丈になり、目線も高くなった。

「改めまして。東の魔女、ナナです。スノウ様とホワイト様はわたしの師のお知り合いです。誘拐犯ではありませんよ」
「そうじゃそうじゃ! 誘拐なんてしてないもんね!!」
「してないもんね!!」
「拉致したのは事実でしょう。いい加減、先生からの遺言を聞かせてください」

ㅤ突然、双子はきょとん、とした顔になった。え? 遺言? 何それ? とも言い出しそうなそれに、頭が痛くなってくる。

「死者を騙りわたしを連れてきたと?」
「わー! そんなに怒らないでナナちゃん!」
「今思えば遺言だったような遺言じゃなかったような……?」
「それでも構いません。おっしゃってください」

ㅤ彼らは同時に肩を竦め、そっくりな顔を見合わせてからわたしを見上げた。黄金の、すべてを見透かしそうな神々しい瞳はガラス細工のように繊細な光を落としながらも、言いようのない冷たさと温もりがあった。

「ナナを一人にしたくないとぼやいておった」
「それは独り言でしょう」
「うーむ……独り言のような独り言じゃなかったような?」
「帰ります」
「待て待て待て! 魔道具を出すでない!!」

ㅤ砂の入っていない砂時計を見た途端に血相を変えたホワイト様が両手を上げて抗議する。騙された、というわけではないだろうが、先生と旧知の間柄でいらっしゃったお二人が先生の口癖を知らないとも思えなかった。常々、先生はわたしを一人にしたくないとおっしゃっていたのだ。わたしの前でも、それなりに長い付き合いのある魔法使いの前でも。
ㅤ習慣のような、ほとんど口癖のようなそれをお二人の前でぼやいたとしても、遺言にはならないはずだ。仮に本当に遺言のつもりで口にしていたとして、誰かに寄り添ってほしいとは思っていない。

「〈大いなる厄災〉との戦いのあと、アルマンは我らのもとを訪れた。それから、言ったのじゃ。そなたを自由にすれば人間を呪い殺すと」
「……」
「我らが最後に会った時には死にかけておった。……アルマンは東の魔法使いであったが気質は北に近い。この世に思念を残し、人間を大量に殺戮するなど造作ないじゃろう。どこに呪いを隠したのかわかれば我らも対処のしようがあるが──」
「迷惑な話ですね……。つまり、人々を救うにはわたしを閉じ込めるのが一番だと?」
「そうじゃ」
「そうじゃの」

ㅤ双子は臆面なく首肯した。
ㅤ先生は北と東の気質の、よりにもよって最悪な部分だけを抽出して煮詰めたような人だ。わたしがどこかで放蕩すれば、世界のどこかで呪いによる大量殺戮が起こる。それは、嘘でもなく冗談でもなく、恐ろしい響きを持った真実だった。
ㅤ最期の置き土産にしては厄介すぎる。考え込むわたしの前に魔法使いの一人が進み出た。

「あんたには悪いが、ここにいてもらいたい」
「殺してはいかがですか」
「殺すなんて……悲しいことを言うな。俺たちは人も魔法使いも殺さない」

ㅤ髪の長い、精悍な顔つきの青年の言葉に鼻白む。ここには、躊躇いもなくわたしを殺せる魔法使いがいる。これといった抵抗を見せていないから見逃してもらえているだけで、スノウ様とホワイト様は、大魔法使いの弟子だろうがなんだろうが、わたしが害のある魔女だと判断した瞬間に手にかけるだろう。
ㅤ世界を救う存在である賢者の魔法使いが、人々を救うために魔女一人を殺したところで誰も責めはしない。むしろ称賛されることだろう。それに、今じゃなくてもいつかは、わたしを監視することに疲れた誰かがわたしを殺す。人間を助けたいと思うほど人間たちを愛しているわけではないけれど、罪なき人々を殺す趣味はない。遅かれ早かれ殺される運命ならば、今殺されても──と、一通り考えているうちに、はたと気づいた。
ㅤ先生は、わたしが誰かに殺されることを許してくださるだろうか? どこに行くにもわたしを手離さなかった彼が、許してくださるだろうか?

「いえ、やっぱりなしです。殺さないで」
「あ、ああ……」

ㅤ意見をころりと変えたわたしに青年が戸惑いながらも頷いた。
ㅤ慈悲や正義の心の有無は抜きにしても一応は賢者の魔法使いであるスノウ様とホワイト様がわたしを見逃してくださるわけがないが、それと同時に、わたしを溺愛していた先生は、わたしが誰かに殺されることもよしとしないだろう。最悪、わたしを殺そうとした者が呪い殺される可能性が非常に高い。わたしを殺そうとするのがたとえわたし自身でも、先生は許してくださらない気がして、思わず指先が震えた。
ㅤこんなの、まるで。まるで──遺言じゃなくて、脅迫じゃないか。
ㅤ双子がわたしを見上げ、金色の瞳を黒猫のように細めた。すべてを解き明かす千里眼のような、なだらかに積もる雪のような、恐ろしい静けさがあるその瞳。背後から忍び寄るように全身を蝕む、甘い猛毒のようだった。
ㅤわたしはここにいなければならない。強い強迫観念じみたものを感じたからか、あるいは、遺言とは名ばかりの脅し文句が先生の声で脳内で再生されてしまったからか、言葉も出なくなった。生前に「会いたい男を探すといい」とおっしゃられたのは、「自由に生きていい」とおっしゃられたのは、気まぐれな嘘だったのだろうか。

「そなたには賢者の手伝いを頼みたい。見ての通り、賢者はおなごでの。我らがすべてを手伝うというわけにもいかん」
「人の多い中央の国ならば、そなたの探し物も見つかるかもしれぬぞ」

ㅤ探し物なんて、と口をついて反論しそうになり、唇を引き結んだ。お二人はわたしが見ている夢のことはご存知だが、少なからず人の目があるここで話したい内容ではない。
ㅤ夢で会うあの人は、わたしの知らない男の人だ。夢の中では確かに会っているはずなのに、夢から醒めると顔も声も忘れてしまう。生きている人なのか、幼い頃のわたしが作り出した空想上の人なのか、かつて会ったことのある人なのか。それすらもわからない彼はいつも、わたしが夢から醒める時、静かに呟くのだ。

ㅤ──許さない。

ㅤ憎悪と絶望に満ちた、業火の中で。禍々しいほどの赤だけが、烙印のように瞼の裏に灼きついている。


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