砂糖漬けの呪詛 04


ㅤわたしを起こしてくださったスノウ様とホワイト様が言うには、賢者様は中央の国の魔法使いたちとオズ様の説得に向かわれたそうだ。此度の〈大いなる厄災〉の襲来がほんの序章に過ぎなかったとしたら、北の魔法使いたちの協力がなければ、冗談抜きで世界は瞬きの間に滅び、再び混沌の時代が訪れる──みなが憂慮せど、賢者様と賢者の魔法使いだけでは北の魔法使いたちを味方につけることは不可能だ。だからこそ、オズ様のご協力が必要不可欠になってくる。しかし、かのお方は気難しい方だ。話を聞き入れてくださるという保証はないということは、カインやアーサー殿下もわかっているだろう。それでも北の国を目指すのは、一縷の希望をかけているからに他ならない。

「ナナちゃん、寝坊じゃぞ」
「寝坊じゃな。みな食事を済ませてしもうたぞ」
「眠れなかったんですよ」

ㅤきゃらきゃらと笑う双子はわたしの手を握り、先へ先へ進もうとする。窓から差し込む光は朝のそれではない。昼前か、もしかしたらもう昼を過ぎている頃合かもしれない。惰眠を貪りすぎたようだ。こんなに遅い時間に起きるつもりじゃなかった、眠りについた時間が明け方だったから、と誰に告げるでもない言い訳を頭の中で並べても時間が巻き戻るわけでもない。大人しく観念してお説教とも言えない小言に付き合っていると、話はパレードの話題に移った。まさか、部外者であるわたしがついていくわけにもいかないだろう。

「じゃがのう……アルマンの呪いがあるからのう……」
「我らと離れれば何が起こるか……」
「近くにいますよ。無闇に人殺しにはなりたくないので」
「よい子じゃ」
「よい子じゃの。どれ、ネロにおいしい料理でも作らせよう」

ㅤ機嫌よくわたしの手を引っ張る双子は、食堂の扉を勢いよく開けた。ネロという人がどんな魔法使いかは知らないが、長く生きていらっしゃる二人が誉めそやすくらいだ。とても料理上手な魔法使いなのだろう。
ㅤ食堂の、中庭のほど近くに腰かけているシャイロックがわたしと双子を流し目で見やり、カップを置いた。

「おや、お寝坊さん。おはようございます。怪我はよろしいんですか?」
「もう治ったわ」

ㅤよかったですね、と色っぽく微笑んだシャイロックのほうこそ、昨晩は散々だったはずだ。けれど、「心臓の痛みは大丈夫か」と聞いたところで素直に答えてくれる性分ではなさそうだ。昨日が初対面だったけれど、彼の人となりはなんとなくわかる。西の魔法使いだと聞いた時も、だろうなと思ったくらいだ。気まぐれな西の魔法使いたちには、人間とも他の国の魔法使いとも違う、創造性豊かな芸術家や音楽家のような感性がある。

「ナナ。どこに行くのじゃ? 朝食ならばネロに作らせればよかろう?」

ㅤキッチンに向かうわたしを引き止め、ホワイト様が愛らしく首を傾げた。

「他人に作ってもらうのはあまり慣れてないんです」
「アルマンはナナに作らせてばかりじゃったからの……」
「ほんに生活能力のない男じゃわ……」

ㅤ明らかに引いている顔でわたしを見送った双子は、シャイロックに話しかけるために彼のそばに腰かけた。ここにいる誰よりも長く生きている彼らを無下にできる魔法使いはなかなかいない。煙たがられても、嫌がられても、執拗に話しかける双子も双子なのだが、フィガロ様とオズ様を力でねじ伏せて弟子にしただけはある。最終的には思うさまに事を運ぶのだ。一方のシャイロックは、にっこりと、余所行きの笑顔なのか本心からの笑顔なのかよくわからない笑みを浮かべている。昨日からよく見ていた表情なので、面倒くさいとは思っていないらしい。

「ああ、悪い、あんたもここ使うか」

ㅤキッチンに入ると、青空のような色合いの髪の青年がいた。彼がネロだろう。振り向きざまに瓶を掴み、わたしを一瞥した彼はフライパンに胡椒を振りかけながら不思議そうな顔をした。昨日の夜はあんな奴はいなかったはずだ。そう言いたげで、思わず苦笑する。

「東の魔女、ナナ。訳あってここに」
「……あんたが例のワケあり魔女ね。俺はネロ。あんたと同じ、東の国から来た」

ㅤよろしく、とはお互いに言わなかった。彼も、無用な人付き合いを苦手とする東の魔法使いらしさがある。わたしの話はスノウ様たちから昨晩聞いたと言う彼は納得した様子で頷き、胡椒の入った瓶を元の位置に戻した。

「なんか作るか?」

ㅤ予想外にも、彼は随分と面倒見がいい魔法使いのようだった。フライパンを振るう片手間にわたしに聞く彼は気前のいい料理人という感じがして、なんだか普通の人間みたいだ。閉鎖的な東の国では人間のふりをして社会に溶け込んでいたのかもしれない。

「大丈夫。忙しいでしょう?」
「こりゃ育ち盛りの子ども用の軽食だ。忙しくなんてないさ」

ㅤ彼はそう言うものの、傍らのボウルにはパン生地が入っている。明らかに料理の合間に他の料理をしている彼に、寝坊して朝食を食いっぱぐれたわたしの分まで用意してもらうのはさすがに悪い。

「慣れてるから気にしないで。ありがとう」

ㅤ銀河麦、とラベリングされた紙袋を棚から取り寄せ、礼を言う。彼は納得したようだった。

「そっか……って、魔法は使わねぇのか」
「いつもの癖で」

ㅤボウルに水と卵を入れたあとで、ここはもう黄昏の丘ではないのだと気づく。新鮮なぷるんとした黄身が二つ入ったボウルを見下ろし、思わず溜息をついた。先生が毎日のように手料理を食べたがっていたから、魔法を使わずに料理をしてしまう癖がついてしまっている。
ㅤふーん、と意外そうに相槌を打ったネロは「まあ、わかるよ」と小さく笑った。

「慣れたら魔法を使わなくても楽だよな」
「そうね」

ㅤネロはフライパンの炒め物を皿によそうと、パン生地をボウルから取り出して切り分け始めた。爪は短く切り揃えられ、指の関節や手の甲は少しだけ荒れている。賢者の魔法使いに選ばれる前は、どこかで店を営む料理人だったのかもしれない。
ㅤなんだか魔法を使う気にもなれず、どちらも無言のまま調理を続ける。静かなキッチンにはかき混ぜたり食器を取り出したり、食材を焼いたりする音だけが響いていた。

「ネロ、悪いんだけど……あれ、ナナもいたんだ」

ㅤ銀河麦の生地が焼けるいい香りが漂い始めた頃、フィガロ様がキッチンにいらっしゃった。「おはよう」と言いながらわたしに近寄り、少し黄色っぽい生地が流し込まれているフライパンを覗き込んだ彼は、爽やかに、そしてこの上なく胡散臭く笑って見せた。

「ガレット?」
「そうです。お腹がすいているんですか?」
「んー、俺はそうでもないよ。ただ、怪我人に食べさせるものを探しに来たんだけど……いいね、ガレットなんて最高だと思わない?」
「そうでしょうか……?」

ㅤ果たして、怪我人に食べさせるものがガレットでいいのだろうか。怪我人というのは、他人を庇って死にかけたという東の魔法使いだろう。一度死にかけたのなら、栄養たっぷりの野菜スープや食べやすいミルク粥のほうがいいと思うのだけれど、フィガロ様は満足そうに笑っていらっしゃるだけだ。追加で作れ、という顔だ。

「あんた、医者なんだろ。怪我人にガレット食わせていいのか?」
「大好物なんだよ。多分、喜ぶと思うんだよね。それに、病は気からって言うじゃない。好きなものを食べれば元気になるよ」
「……そうですかい」

ㅤ半信半疑の、疑い深そうな目つきでフィガロ様をちらりと見たネロは呆れ顔のまま調理を再開した。

「ナナ、頼める?」
「はい」
「ありがとう、助かるよ」

ㅤフィガロ様にはお願いを聞いてもらった恩がある。わたしにできることならば少しでもお返ししたい。彼はわたしが彼に恩を感じているとわかっているからこそ、断られるとは微塵も思ってもいない。笑顔を前に頷けば、彼はより嬉しそうに笑った。



ㅤ一番最初に焼いていたものをフィガロ様にお渡しして、続いて焼いたものはキッチンで食べた。食べている最中にネロがコーンスープを作りに戻ってきたが、それだけだ。存外にお節介な彼は「食堂で食えばいいのに」と言いたそうにしながらも、わたしが作ったガレットを一口だけ味見して食堂に行った。どうやら、ガレットが食べたくなったらしい。

「あ、ナナ。実はパレードが延期になったんですが……ナナはどうしますか?」
「おそばにいますよ」

ㅤ食堂で賢者の書を読み込んでいた賢者様は、ひどく申し訳なさそうな、悲しそうな光がちらつく目を静かに伏せた。彼女の言わんとすることはわかる。けれど、わたしが自由になれば誰かに呪いがかかる。鳥にでも、虫にでも、自由に動き回れる動物や昆虫になればそばにいることはできるだろう。

「あの、皆さんに挨拶とかしなくて大丈夫ですか……?」
「……わたしは居候の身ですから。そうだ、魔法舎にいるあいだはお手伝い係として働きますね」
「でも……」
「お気になさらないで。わたしが自由になればどこかで人が死にます。それに、師匠の後始末は弟子の仕事ですから」
「どうして怒らないんですか……? アルマンさんはナナに呪いをかけたのに……」

ㅤ無神経とも言えるその質問を、不愉快には思わなかった。彼女がわたしよりも怒ってくれているから、わたしよりも悲しんでくれているから、どうにも安心させてあげたくなる。この子はどこまでも人間らしい子だと、つくづく思う。感情に流されて、少しの信頼関係しか築いていないにも関わらず全幅の信頼を置いてくれている。そういう、愚かで素直なところが、人間らしくて好ましい。

「先生は言葉を話せても、字の読み書きはできませんでした」
「へ?」

ㅤ彼女はなんの話をされているのか理解できていない。いきなり話を切り出されて、困っている。けれど、彼女を置いてけぼりにしている自覚はあっても、わたしは話すのをやめなかった。
ㅤ思い出すのは、雪の中でひっそりと佇む背の高い青年の姿だ。あの日も風が氷のように冷たくて、花びらのようにふわふわと舞う雪が降っていた。世界が白銀色の雪に閉じ込められたような静かで寂しい夜、吐き出したそばから吐息が白く凍りついて、そこには生命の息づく気配すら感じられなかった。わたしと先生は、そんな夜に出会った。

「わたしが彼に出会ったのはおそらく5つにもなっていない頃ですが……わたしはすでに文字の読み書きができましたし、難しい本も読めました。だから教えたんです。先生なのに、世界のことを何も知らない先生に」
「……」
「先生は子どもみたいな人でした。何も知らなくて、何もわからなくて、何が好きで何が嫌いなのかもわからない、そんな人です。1000年も生きてきたくせに、孤独しか知らなかった。誰かを抱きしめて眠る夜の温かさも、温かいご飯を食べる幸せも、何も知らなかった」

ㅤだから教えたんです。もう一度、同じ言葉を吐く頃には、彼女は真剣にわたしの話に耳を傾けていた。

「わたしは彼に、愛されました。先生として、母として、姉として、妹として、娘として。けれど、恋人として愛されることは受け入れられませんでした」

ㅤ嫉妬、羨望、諦念。混じり合って、煮詰められた彼の想いを知っている。それでもわたしは、愛されてしまわないように子どもであり続けた。
ㅤ彼女は唾を飲み、真摯な眼差しでわたしを見つめる。その瞳には、純粋な好奇心と優しさとが入り乱れていた。

「わたしも彼を師として愛していましたが……関係を変えるわけにはいかなかった。どうしても、彼を一人の男性として愛してはいけない気がしました」
「どうして……」
「夢を見るんです。わたしがわたしとして生まれる前の、前世の記憶を」

ㅤ彼女の、茶色っぽくも黒色っぽくも見える瞳が大きく見開かれる。わたしと賢者様以外には誰もいない食堂は水を打ったように静まり返っていて、わたしの小さな声すらも響いている気がして落ち着かない。それでも、馬鹿らしい、と一蹴しない彼女に安堵したわたしの口は止めどなく動き続けた。

「わたしは誰かに抱きしめられながら眠る夜の温かさも、誰かにわたしが作ったご飯を食べてもらう幸せも知っていました。きっと、それをわたしに教えたのは前世の恋人です」
「前世の、恋人……」
「その人を、ずっと忘れられないんです。彼以外を、愛してはいけない気がするんです。だから、わたしは先生の愛情には応えられなかった」

ㅤあんなに愛に飢えていた人を、あんなに慈しんでくれた人を、同じ愛で愛せなかった。だから先生に呪われたのだ。だからわたしは怒れないのだ。

「この呪いで許してくださるなら、わたしは受け入れます。これがわたしの、せめてもの餞です」

ㅤ今にも泣き出しそうで、悲しそうな賢者様は、そうっとわたしの手を握りしめて、そのまま抱きしめてくださった。


<<>>


INDEX