砂糖漬けの呪詛 06


ㅤ魔法舎の外に出ると、各国の魔法使いたちが集まっていた。何人かが物珍しそうに横目でわたしを見たものの、挨拶している時間も余裕もない。
ㅤ賢者様を見つけたので事情を話せば、彼女は残念そうに眉を下げながらも心配げにわたしを見つめ返した。どうか無理はしないで、と告げる彼女の瞳は無垢な子どものように素直で、ガラスのようにすぐに割れてしまいそうだった。

「あなた様もお気をつけて」
「……はい。いってきますね、ナナ」

ㅤ賢者や、賢者の魔法使いは祝福されるばかりではない。魔法使いがどれほどこの世界を救っても、ひとたび嘘つきだと思われれば男と女をそそのかす悪者に、赤ん坊を母親の元から攫う悪魔に、処女を食らう魔王に変貌する。彼女や、ここにいる魔法使いたちがその身に受けるのは拍手喝采ではなく、冷たい声かもしれない。色とりどりの花束ではなく、硬い石かもしれない。空も歌うような祝歌ではなく、呪詛の言の葉かもしれない。

「ナナ?」

ㅤどうしましたか、と。
ㅤそれでも彼女たちは、醜くて美しいこの世界のために役目を背負うのだ。わかっている。当事者ではないわたしがあれこれ心配したところで、あれこれ言ったところで、何かが変わるわけではない。

「少しぼんやりしていただけですよ。それでは、また」

ㅤ結局、賢者様に向ける言葉は見つからない。生きてきて、ほとんど先生だけと過ごしてきた。今さら、どんな風に言葉を尽くせばいいのかなど、わかるはずもない。
ㅤ一言二言、当たり障りなく言付けて、飛び立つ彼らの邪魔にならないように数歩離れようとした間際、一人の魔法使いと目が合った。吸い寄せられるように、魅入られるように、彼と視線が交わった瞬間、頭の片隅にくすぶっていた炎が一気に燃え盛り、思考という思考を燃やし尽くしていく。
ㅤ彼が、わたしの夢に出てきたことなんてないのに。

「ナナ」
「フィガロ様……」
「そろそろ戻ったほうがよさそうだね。顔色が悪い」

ㅤそばにいたフィガロ様がわたしの顔を覗き込んでいる。深い、海の底のような孤独を宿すこの瞳を前にすると、わたしを燃やさんとする炎の揺らめきも忘れてしまう。

「……わかりました」
「うん、いい子だね。それじゃあ、お留守番は頼んだよ」
「お気をつけて」

ㅤフィガロ様に頷いて見せて、次こそ足を前に踏み出した。色つきの眼鏡をかけている彼に見つめられている気がしたけれど、あの瞳をもう一度見る勇気はなくて、前に前に進もうと逸る歩みを止めぬまま魔法舎に飛び込んだ。


***


ㅤしかし、再会の時はわたしが思うよりも早く訪れた。
ㅤ賢者様たちが立ち去って一日と少しもしないうちに、魔法舎は再び騒がしくなった。数日前まではどんなに小さな音も壁や床に跳ね返って響くほど静かだったのに、今じゃ魔法使いの人数も見送った時よりも増えている。なんでも、北の魔法使いオーエンが兵団長を殺そうとしたために城を追われたらしい。オーエンが件の団長を殺そうとしたという確証はないと賢者様はおっしゃっているものの、人間はすぐに怯え、すぐに混乱する生き物だ。身の危険が迫っていると思えば、いくらでも残酷に、そしていくらでも冷淡になれる。そんな彼らが、魔法使いを疑わずに信じるなんて無理な話だろう。

「大変ね」
「アーサー様のほうが大変さ」

ㅤ山ほど本を抱えているカインは疲弊しきった顔のまま、ゆるりと首を振るう。様々な書物が静かに眠っている図書室だと、いくら声を潜めても古びた紙の匂いが混じる静寂は乱れてしまう。

「あ」

ㅤわたしの腕の中にあった本をひょいと取り上げたカインは当然のように「よし、必要なのは全部見つけたな」と言ってにこりと笑った。あんたのはこっち、と渡されたのは双子がよくくださる飴玉二つ。ルージュベリーと、水蜜桃の味だろう。半透明な袋に包まれた、明るい色の飴はわたしの手のひらの上でころりと転がっている。まるで、わたしが子どもみたいだ。

「……わたしはあなたよりかなり年上なんだけど」
「それはそうだけど、女性に重たいものを持たせるのは騎士のすることじゃない。それに、手元に飴くらいしかなかったからな」

ㅤだからって、300歳の魔女に飴をあげるのもどうかと思う。しかし彼が、こういう時に一歩も譲らないということは短い付き合いでもよくよくわかっている。

「わたしにあげてもいいの? ホワイト様とスノウ様が悲しまれるわ。あなたにあげたものなのに」
「ああ……俺は甘いものはあまり食べないんだ」

ㅤお二人には秘密にしてくれ、と申し訳なさそうに頼りなく笑った彼は自身の唇に人差し指を当てた。いっそ嫌味なくらい、女性に愛されそうな仕草や言動をする。さりげなく、本人が無自覚にやってのけるのだからより質が悪い。

「どうした?」
「いいえ」

ㅤ恋人に「誰にでも優しいから嫌」と言われそうね、とは、大して親しい間柄でもないのに言えっこない。彼の人となりはわかりつつあるとは言っても、わたしたちの関係はまだまだ知人という域から出ていないのだから。
ㅤわたしの返事に納得していない様子のカインと図書室から出ると、笑い声や話し声が聞こえてきた。彼らが帰ってきた当日はみな一様に沈み込んだり、腹を立てたり、無感情にただ過ごしていたり、それなりに静かだったけれど、今の魔法舎は、騒がしくない場所なんてないのではないかと勘違いしそうになるくらいに騒がしい。魔法管理省のクックロビンと妻のカナリアが来てからは、より一層活気づいた気がする。

「そういえば、ナナが住んでたとこはどんな所だったんだ?」

ㅤふと思い立ったように、彼はわたしに聞いた。常に誰かに囲まれている彼は沈黙を苦痛に感じる性分なのかもしれない。それか、純粋に気になったのか。そのどちらかだろう。

「何もない所よ。春は暖かいけど、冬になると雪が積もって湖も凍るの。カインの故郷は栄光の街だったかしら?」
「ああ。陽気な街だ。前向きな奴が多いな」
「いい所ね」
「まあ、片田舎だけどな。俺の家の近くにも川が流れててさ。マナエリアもそこなんだ」

ㅤ栄光の街については、先生の家にあった本にも書かれていたから少しなら知っている。カインの明るく気さくな性格も、土地柄なのかもしれない。

「ナナはちゃんとアミュレットは持ってきたか? スノウ様たちにいきなり連れ去られただろ?」

ㅤマナエリアからアミュレットを連想したらしい。カインはあの方たちも自由気ままだからなあ、と苦笑いを浮かべて独り言のように呟いた。

「お二人が持ってきてくださったの」
「ならよかった。ナナのはどんなやつなんだ?」
「壊れたオルゴール」
「壊れた……? 直さないのか?」

ㅤ金色の目が不思議そうにわたしを見下ろした。意志の強さを感じさせる眼光はスノウ様やホワイト様とは違った鋭さがある。双子のそれは得体の知れない、底冷えするような光を灯すことがあるけれど、カインの双眸は荒削りな鋭利さの中に優しさを滲ませる。

「ヒースに直してもらったらどうだ? あいつは機械いじりが得意なんだ」
「そうなの……?」

ㅤヒースクリフが機械仕掛けに詳しいなんて意外だった。でも確かに、彼は手先が器用そうな子だ。それに、彼と親しいカインが言うのなら本当なのだろう。

「今は忙しいだろうから、今度──」
「お、いいところに。おーい、ヒース!」

ㅤ器用に片手で本を持ち直したカインは、小さい男の子と並んで歩いているヒースクリフに向けて右手をぶんぶんと振った。仲介してくれるのは有難いけれど、今はどの国の魔法使いも月蝕の館での怪異の調査のために慌ただしく生活している。壊れていても壊れていなくても、そんなに大差ないアミュレットをこんな時に修理してもらうのは気が引ける。

「本、全部あった? 俺たちも今から図書室に行こうと思ってたんだ」

ㅤカインの服の袖を引っ張って抗議を試みるも、少年二人はすでにわたしたちの前まで来ていた。
ㅤさっきまで一緒に作業していたから、カインは当たり前のようにヒースクリフを認識できているけれど、深い紺色のようにも見える黒髪の、小さい少年のほうは見えていないようだった。

「おい、誰だこいつ。ヒースの知り合いか」
「こいつって言うなよ……この人がナナさんだよ」
「例の?」

ㅤふぅん、と興味深そうに頷いた少年の頭に、「なんだ、シノもいたのか」と笑ったカインの手が伸ばされたものの、少年は「触るな」とすげなく言い返してその手を振り払った。愛らしい見た目とは裏腹の、なかなか懐かない猫のような目つきでシノと呼ばれた彼はカインを睨みつけている。
ㅤひとしきりカインを睨むと、太陽のような赤い目がわたしに向いた。

「東の大魔法使いアルマンの弟子か」
「シノ! いきなりそういうこと言うなよ……」
「事実だろ。最強の呪詛師の唯一の弟子だぞ。きっと強い魔法も知ってる」
「だからってな……」

ㅤ二人はわたしとカインを放置して軽い言い合いをしている。正反対の二人にも見えるが、会話の端々に気の置けない親しさを感じられた。

「また始まったなあ」

ㅤカインは見慣れているらしい。朗らかに笑うだけで、仲裁する気はなさそうだった。誰かがあいだに入って止めなくても、これがいつもの彼らの距離感なのだろう。しばらく眺めていると、ハッと我に返ったヒースクリフがカインを見やった。

「何か用があったんだろ? もしかして、本が見つからなかった?」
「ああ、いや。必要な本は見つかったんだが……ナナのオルゴールが壊れてるらしいんだ」
「オルゴール?」

ㅤヒースクリフはカインの一言だけで言わんとすることを察したらしい。細く幼い顎に白い指を添えた彼は思案げに黙り込み、数秒と経たずに静かに頷いた。

「多分、直せると思います。見せてもらえますか?」
「今は忙しいでしょう? すぐにお礼ができるわけでもないし……」
「礼ならあんたが魔法を教えてくれればいい」
「こら、シノ!」
「ファウストだって言っていた。色んな魔法使いから魔法を学んだほうが身になる」
「そうだとしても、直すのはおまえじゃないだろ……」

ㅤ呆れたように言い返したヒースクリフと、むっと唇を尖らせているシノを見比べる。

「わたしでよければ構わないけど」
「え」
「決まりだな。ヒース、さっさと直せ」
「おまえなあ……たく、勝手なんだから……」

ㅤお手伝いとして働くにも限界がある。なんの役目もないのに、部屋に閉じこもる生活を甘んじて受け入れたくはない。

「よろしくね、ヒースクリフと……シノ?」
「ああ。楽しみだ」
「ナナさん、すみません……」
「いいの。どうせお手伝い以外にすることもないし」

ㅤオルゴールを直してもらうにはちょうどいい。むしろ、いかにも優秀そうな彼らに教えられることがあるかどうか不安に思えてくるけれど、呪詛師としての先生の魔法と技術は本物だった。わたしの力が先生に遠く及ばなくても、先生から学んだことを少年たちに言葉を尽くして伝えるしかない。

「ずっと思ってたんだが」

ㅤ不意に、それまで成り行きを見守っていたカインが物珍しそうに口を開いた。

「……ナナって、どちらかと言うと中央っぽい感じがするよな。人嫌いでもないし」
「なんかわかるかも……でも、ファウスト先生に雰囲気が似てる気もする」
「ああー……わかるな、それも」

ㅤカインとヒースクリフはお互いに頷き合い、わたしを見た。シノはシノで、二人の会話を聴きながらも手持ち無沙汰な様子でポケットに手を突っ込んでいる。

「ファウストも、なんだかんだで真面目で優しいからな」

ㅤ彼らの口から何度か出ているファウストという名に、なんとも言えない不安と懐かしさを感じた。



「あの、ナナさん」

ㅤヒースクリフに、控えめに声をかけられたのはクックロビンとカナリアが魔法舎にやって来て数日経った日の昼下がりのことだった。ヒースクリフとシノに魔法を教えると言ってから、まだ1日も経っていない。
ㅤ彼の両手には昨日渡したばかりのオルゴールと、一通の手紙が握られている。

「オルゴール、直ったのは直ったんですけど……中から手紙が出てきて」
「手紙?」

ㅤはい、と頷いた彼からオルゴールと手紙を受け取ると、手紙は先生の呪いがかかっているのか微弱な魔力を感じた。おそらく、特定の日時にしか開封できない類のものだろう。

「きっと、誰かに見つけてもらうために手紙を隠し入れたんだと思う。オルゴールも、直してくれてありがとう。嬉しいわ」
「いえ……。あの、一度聞かせてもらえませんか?」
「もちろん」

ㅤオルゴールをテーブルに置き、巻ねじを回すとゆっくりと音が流れ始めた。小鳥のさえずり、木々や水のさざめき、雨が降って風が吹く音、黄昏の丘にあふれるすべてを閉じ込めたオルゴールは、かつてのように澄んだ音を奏でている。人が出払っている食堂に、耳に馴染むような音だけが響いていた。

「……雨の音だ。ナナさんの故郷の音ですか?」
「そう。ずっとあの場所にいたから、この音が好きだったの。ごめんね、忙しいのに任せちゃって」
「いや……、俺もオルゴールを直すのは初めてだったし、楽しかったですよ」

ㅤやがて音は途切れ、緩やかな沈黙が広がった。黄昏の丘を離れてからまだ1ヶ月も経っていないのに、この音を聞いているうちに感傷的になってしまった。先生と過ごした日々を思い出して、寂しさと懐かしさを覚えているのかもしれない。

「ありがとうございました。どんな音がするのか気になってたので──あ、ファウスト先生……」

ㅤ顔を上げた拍子に誰かの存在に気づいたらしいヒースクリフはオルゴールから目を離し、わたしではなくわたしの背後──おそらく食堂の入口付近だ──を見やった。つられてわたしも振り向けばレンズの奥にある瞳と目が合い、思わず身体が揺れた。賢者様たちを見送った時にも目が合った、東の魔法使いだ。彼がファウストで、仲間を庇って死にかけた魔法使いだということはすでに知っているけれど、親しいわけでも話したことがあるわけでもない。なのに、彼の顔を見るといつも、赤い炎がちらつく。あの時のように落ち着きを失ってしまうなんてことはなくても、じっと見つめ続けるのは恐ろしかった。
ㅤどうしてここにいるのかと思うも、食堂や談話室、中庭は共有スペースだ。彼がいつ、どこにいようと彼の勝手だろう。

「そのオルゴールは、きみのか」

ㅤ絞り出された彼の声はわずかに震えていた。恐ろしいものを前にしたような、悲しいことを思い出したような、そんな声だった。ヒースクリフは口を噤んだまま、わたしと彼を見ている。

「……はい」
「どこで手に入れた」
「黄昏の、丘で」
「黄昏の丘……? いつ?」
「わかりません、生まれた頃には……300年前には持っていたと思います」
「300年……300年と言ったか」

ㅤ声は震えたまま、彼は扉に手をついている。わたしたちのあいだには言いようのない恐怖が横たわっていた。

「きみの、きみの呪文は……」

ㅤ──あの星の名前を知ってるか。
ㅤあの人の声が雪崩のように、あるいは濁流のように流れ込んでくる。ファウストは血の気の失せた真っ青な顔色のまま、わたしの呪文を一字一句違わずに呟いた。遥か昔にあの人から教えてもらった星の名前を、かなしそうに。

「どうして」
「……」
「どうして、知っているの……?」

ㅤファウストの顔に絶望がよぎった。会ったことも、きっと街中ですれ違ったこともない。そんな人が、わたしの呪文を知っているはずがない。
ㅤ炎が燃えている。わたしの名前を呼ぶあの人がいる。雪が降っている。寒いのは苦手だと言うあの人がいる。星が暗い夜に翔けていく。星の名を呟いたあの人がいる。

ㅤ──ナナ!!

ㅤどうして、夢の中でわたしの名前を囁いたあの人と目の前の彼が重なるのだろう。地獄の業火のように燃え盛る炎の中、がらがらに枯れた声であの人が叫んだのは、きっとわたしの名前だった。


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