「猫、虐めるとか恥ずかしくないのか」
公園に居た数人の不良にそう話し掛けたのは、間違いなくそいつらが不快だったからだ。こんなガキに言われたくらいで止まる奴らではないとは思っていたが、正直、言わずにはいられないほどに不快だった。
とはいえ──その後のことを考えていなかったことも確かで。正確には、今度こそどうとでもできると思っていたのだ。それも漠然と。
オレの存在を認めたのか、耳障りな「はァ? オマエがネコチャンになってくれんのか?」なんて気色の悪い声が聞こえたと思ったら、次の瞬間には地面に転がされていて。それからしばらく、背中だか腹だかを蹴られていた。
言葉で制されて、言葉で返すことすらできないクズには反吐が出る。何のためにヒト規格の脳味噌があって、何のために音の出る口が付いているのかと、思わなくは──ない。
けれど、心のどこかでは
「ちょっと! 何してるんですか!? 稀咲君大丈夫!?」
「……来るなよ橘」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
明らかに頭の足りていない奴らが相手だとはいえ、碌な抵抗もできずにボコられている姿を見られたことが耐えられなくて。しかもそれがよりにもよって、少し前に一緒に逃げ出したくて、結局オレの手では逃がせなかった橘であることにも耐えられなくて。
強く唇を噛んだところで──不良が、オレを庇う様に立った橘に殴り掛かろうとしているのが見えたから、思わず橘と不良の間に飛び出してしまったのだ。あのときのヒーローみたいに、何かをできるわけでもないのに。
想像できる痛みに耐えようと強く目を瞑り、先に眼鏡を外しておけば良かったかと少し後悔をして。けれど──待てども待てども、顔を殴られる衝撃は来なかった。
「おっと、ナイス回避ですね」
──不意に、油の匂いと共に強く風が吹く。次いで聞こえたのはバイクの音と、どこか呆れを含んだ様な冷たい声だった。
そろりと目を開けた先に飛び込んできたのは、シルバーの配管が眩しいバイクが前輪を下ろす様だった。
こんな場所に乗り込んで来る奴なんて余程のお人好しか、余程腕に自信があるかしかなく。橘の様な前者がそうゴロゴロと居て溜まるかと思うからには──まあ、必然的に後者ということになるはずだが。
一度少し離れたところへバイクを停めに向かって、ゆっくりと歩いて戻ってきた人間のその服は、配管以外が黒いバイクと同じく、落ち着いた色味でまとめられていた。緩い形のズボンに、よくあるジャラジャラとしたチェーンは、ない。ヘルメットも律儀に被られていて、今し方停めて来たバイクだって、所謂不良が乗っているモノの様な音もしていなかった。
不良にしては珍しいなと少し観察したところで、変わらずに聞こえてくるのは間違いなく、おおよそ目の前で腰を抜かしている低脳と同じ種類の人間だとは思えない言葉遣いだった。
被ったままのヘルメットの中は案外派手なのだろうか。例えば顔中にピアスがあるとか、目立つ場所に刺青があるとか、気合の入った剃り込みがあるとか、イカつい古傷とか。中の見えないヘルメットが被られたままの現状では、流石に分かったものではない。
「お久しぶりです。と言っても……このメットじゃ分かりませんよね」
「あ……や、まさかオマエ……その声……!」
「あは! 何だ。停めるついでに外してくれば、とも思いましたけど」
それでも、オレが手も足も出なかった不良は、ヘルメットの奥から聞こえる落ち着いた声を聞いただけで顔色を悪くした。声変わりを終えたのかどうかすら微妙なラインの音で「大丈夫そうですね」と朗らかに笑う、今の時点では所謂不良には見えないヤツ相手に、だ。
「いやー、しばらく見ないと思ったら拠点を変えて似た様なことをしていたとは。小さな脳みそで頑張って考えたんですねえ」
「オマエらさっさと逃げ、」
「は? 逃がすと思ってます?」
まさかそんなはずがないだろうとでも言わんばかりの声で「本当に?」とヘルメットを揺らした乱入者は──刹那、オレが一番厄介だと思っていたリーダーらしき不良を蹴り飛ばした。
背に庇ったままだった橘が、小さく「わ、綺麗な型……」と呟いてしまうくらいには綺麗な蹴りを、既に逃げ腰になっていた不良の顎に叩き込んだのだ。しかも、一切の躊躇も見せずに。
──前言撤回、コイツは間違いなく頭のイカれた不良だ。しかも一瞬話ができそうな雰囲気を出したくせに、対話をする気はハナからなかったらしい。常人に擬態する頭があるだけ厄介極まりないタイプか。
新たに湧いた不良から橘を背に庇ったままに、観察ついでに睨みつけていれば──残りの不良に追い討ちを掛けていたはずのヘルメットがぐるんとこちらを向いた。それも、かなり勢い良く。
喉の奥から情けない音が漏れた気もするが今のは仕方ないだろう。下手をすればホラー映画のソレだったぞ。
そんな怪異もかくやなヘルメットの、中が見えないせいでどこにあるのかも分からない目をしばらく睨み続ける。小さく漏れ聞こえる「えー……?」なんて気の抜けた声からして、今はまだこちらへの敵意はなさそうだ。けれど、いつその敵意の的が変わるかも分からないからには、油断をすべきではないことも確かで。
そもそも敵意がなくてもあの脚で蹴られるかもしれないのだ。そうなったら間違いなく死ぬぞ。何せ相手は頭のイカれた推定怪異野郎──と、そこまで考えたとき、その推定怪異野郎の、革のグローブを着けた手がヒラヒラと動いていることに気が付いた。
小さく「は?」と声を漏らして顔の位置に視線を戻しても、奥の見えないヘルメットの正面は既にこちらに向いておらず。手首の体操、をしていたにしては、それからも拳を振るっている様子はない。ではまさか今のジェスチャーは──「そろそろ見物料取りますよ」──なるほど。やはり、オレ達を追い払おうとした動きだったのか。
その意図を理解し、数秒ぶりに喉の奥を空気が通ると同時に「えっ!?」と声を上げる橘の手を取ってその場から全力で走る。これ以上近くに居て巻き込まれては敵わない。加えて、これ以上見えるところで観察して『見物料』なるものを取られることだってごめんだ。
いや、見物料に関しては本気かどうかすらも分からないが。どうせ人間の言葉を真似しているだけの怪異の考えなんか分かるはずもないのだ。ならば今は、大人しくソイツの言うことを聞く以外にできることはない。
「ちょっと稀咲君! あの人置いて、」
「逃げるわけ、じゃない」
「……え?」
「オレ達が居たら、邪魔になる、だろ」
少し走っただけで息が上がることにウンザリとして。息を整えつつも、公園の入り口近くにある植え込みに隠れた。小さく「確かにカツアゲはごめんだが」なんて零せば、同じく小さな声で「そういう……」と言った橘も同じ様に隠れる。
まあ、今にも飛び出して行きそうな様子ではあったが。オレが『邪魔になる』と言い切った手前、助けてくれた人の邪魔はしたくなかったのだろう。
いや──相手は間違いなく不良な推定怪異野郎なのだが。行動からすれば胡散臭さすらある敬語を使っていたとしてとも、敬語を使えるだけ猫を虐めていた不良達よりも頭が回りそうで。どう考えても厄介な相手でも、アイツが乱入してきたことでオレ達が助かった事実は変わらない。雑に
植え込みから目だけを出して、次第に勢いも増していく喧嘩の様子をじっと観察する。推定怪異野郎は軽く動いているだけに見えるのに、当人には一発たりとも入っている様子はない。
聞こえるのは、橘曰く「お手本みたい」な蹴りが入る重い音と、推定怪異野郎が静かに話す声と、ふわりと跳んで不良に組み付いた直後に鳴った──蹴りよりも軽い音だ。その軽い音を鳴らされた奴が肩を押さえてのたうち回っている様を見るに、関節でも外されたのだろう。
いい気味だと思う反面、口元が引き攣ってしまったことも仕方がなかった。何せ、前に助けられたヒーローとはあまりにもやり方が違いすぎたから。
どこからどう見たって一方的な蹂躙のソレだ。コレは想像以上にとんでもない奴に庇われてしまったかもしれない。
もう放置して帰ってしまおうかと腰が浮いたところで、帰る様子もない橘の存在を思い出して。橘を置いて逃げ帰るわけにはいかないと、渋々──本当に渋々、元の体勢に戻った。
そもそもの話、咄嗟のことで鞄を置いてきてしまったのだ。回収するまでは帰るに帰れない。クソ、鞄だけでも掴んでくれば状況は違ったのに。
「だいたいですよ、不良でもない子と女の子相手にしかイキれないってプライドとかないんです? それとも頭が……」
「ンだと!?」
「わあ、結構元気そうですね。……ンじゃ、嵌め治すンで。もう少し頑張って下さい」
「ヒィッ……!」
がっちりと脚で胴を固めて肩を嵌め直すのは、変に抵抗されないためなのか、それとも。数秒前ですらない威勢の良さから一転して、想像もできない程に情けない悲鳴を上げる不良達相手に「ビチビチと活きが良いのは結構ですけど、絡む相手は考えましょうよ」なんて言う姿には──思わず、頭を抱えてしまった。
『ビチビチ』って、オレが手も足も出なかった不良共を、文字通りの雑魚扱いか。『頭が』大丈夫じゃないのはどう考えても推定怪異野郎の方だ。
それからしばらく。外した肩を嵌め治して、どうにか逃げ道を作ろうと腕を振り回した不良共の拳にひとつも当たることなく。掌を顎に叩き込み、脳が揺れたのか反撃できない奴の胴を蹴り飛ばして。
想像以上にその喧嘩に魅入ってしまっている事実に気が付いた辺りで、小さく「そろそろ飽きましたね……」なんて声が聞こえてくる。──なるほど、この期に及んでそんな感想が出るとは。やはり頭がイカれているらしい。
「これに懲りたら……は、言える立場ではないのでやめておきますが」
「……」
「次に見付けたらまた同じことをしますので、そのつもりで」
「……」
「返事」
「……ッス!!!」
「ハイ解散。このゴミ連れてさっさと帰れ」
既に背を向けてバイクに向かう背中から飛ばされたかったるそうな号令を合図に、不良達は動けないヤツを引き摺りながらも、公園の入り口を走り抜けて行った。こちらを見もせずにヘルメットを外す無防備な背に襲い掛かることも、入り口の近くに居たオレ達に目を向けることもなく。
挙句の果てには「助かった……!」「よく耐えたよなオレら……」みたいなことを半泣きで言い合って。何度も蹴り飛ばされ、肩を外され、脳を揺らされた時点で何も助かっていないのに。それでも何か、あの怪異じみた不良にはあの状態ですら『助かった』と思える程の何かがあるのだろうか。
しばらくそうして、不良達が走って行った先を眺めて。そろそろ動くかと隣を見れば──橘が居なかった。
「……は?」
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