──201x年某日
タケミチがマイキー君に気に入られてから、流されるままに所属
そんな日々を数年過ごした今日、オレが経営を任されているキャバクラの裏手に鈍い殴打音が響いた。殴られているのはオレではないが、それでも、胃が縮み上がりそうな苛烈さであることに間違いはない。
「相変わらずだな……」
思わずといった様子で小さくそう呟いた同僚をひと睨みする。気持ちは分かるが黙ってくれ。
見張りの立場で、自分達よりも位の高い幹部直々に行われる粛清を邪魔するわけにはいかないのだ。邪魔をすれば最後、オレらがあの立場になってしまうのだから。
──確か、今殴られているのは、警察から東卍に潜り込んでいた構成員だったか。それとも反対の立場にあったはずの、用済みになった
とはいえそもそも、場所を貸しているだけの見張りに正確な情報は伝えられるものではない。ここ数年の東卍はそういう組織で、既視感のある丸いフレームの眼鏡の奥で、つまらなさそうな顔を隠しもしない幹部だって通常通りなのだ。
頼むから早く終わってくれと心の底から願う中で、耳は背後から近付いて来る革靴の足音を拾う。同僚と揃って、勢い良く「お疲れ様です!」と頭を下げた。それと同時に道を開ければ、その拳を返り血で真っ赤に染めた幹部──半間修二が顔を上げた。
「あれ、稀咲さん? 珍しいですね」
「首尾は」
「もう少しですね。あァでも、鉛玉でもブチ込めばすぐに終わりますよ」
半間の昔を知る身としては気味が悪いとしか形容できない敬語を、かつては親友だと聞かされた人の様に操って。同じ理由で気味が悪いとしか形容できない様な、目元だけを緩めた顔で、革靴の男──稀咲に向けて笑いかける。
感情の読めない無表情で小さく「そうか」と呟いた稀咲は、軽く腕を上げ──サイレンサーの付いた銃口を、ボコボコに腫れ上がった顔の男に向けて、そのまま。
「この後はまたいつも通りで?」
「ああ」
オレ自身も幹部であるとはいえ、ただの見張りに聞かせる会話はないのだろう。言葉少なに踵を返した二人の後ろ姿に頭を下げて──ふと、違和感を覚えた。
こうして半間が粛清をしている時分に場所を貸し、見張りをすることは多々ある。上納金の関係で、実働トップの稀咲に呼び出されることも多々ある。
一方で、二人が揃った姿を見ることは、実はそう多くない。まして、幹部会以外の場で二人が並んで歩いている姿を見たことは初めてだった。
幹部会では覚えなかったはずの違和感に首を傾げつつも、こちらに一瞥もくれずに遠ざかって行く二人の後ろ姿をしばらく観察する。
半間が稀咲の側近だとはいえ、目立って距離が近いということはない。それでもどこか、ここには見張りのオレと同僚、それから既に息をしていない粛清対象しかいないとして、気を抜いているようにも見えた。
「……ああ、
既に二人の後ろ姿も見えなくなり、処理業者に死体を引き取らせた後になって、ようやくその違和感の元が口をついた。逆なのだ。気を抜いているから距離が近くなるのではなく、どちらかといえば、少しだけ距離が遠くなっていた気がしたのだ。
幹部会での半間は、稀咲の後ろに控える直属の幹部として不自然にならない近い位置を陣取っていた。それがどうだ。常に稀咲の中心から少しだけ左後ろに控える半間は、普段よりも少し、外側に居なかったか。
それはまるで──半間の反対側に、見えないもう一人居るかの様な距離感で。少しばかり背筋に冷たい汗が流れる。
「逆って何が?」
「え、ああ……いや、何でもねえよ」
「……稀咲さんと半間さんのことか?」
「……まあ、そうだけど」
「じゃあ距離感の話?」
店まで戻る道を歩きつつも、眉間を揉み「お前、マジでそういうところだぞ」とひとつ大きく息を吐いた。途中の自販機で青いラベルのコーラを買った同僚は「悪ィな、コレばっかりは直せねえワ」なんて言って笑う。
キャバクラ経営の補佐をしてくれているこの幹部は、こういう察しの良いところを上から疎まれていたはずだ。そうと分かって自ら付かず離れずの距離を保ち、東卍組織内では程々の立場を築いていた。
内心では稀咲に本気で服従しているわけでもないというのに、平気な顔をして稀咲の指示をこなす。稀咲に怯えるオレなんかよりも、ずっと肝が座っている男だ。
「千堂はさ、気になる?」
「……まあ、聞いたら死ぬとかじゃなければ」
「ははは! 流石に死なねえって」
コーラを一口飲み「オレが知ってて死んでねえんだから」と豪快に笑った同僚はそれから、その表情に少しだけ影を落として話し始めた。
「千堂、サブロー君って知ってるか?」
「……あの二人の話じゃねえのか?」
「そ、あの二人の距離の話。随分昔に消えちまった人なんだけどさ、その人、あの二人とすげえ仲良かったんだよ」
「……」
「だからだと思うぜ。気ィ抜いてるときのあの二人が、もう一人が一緒に居る感じの距離感になるのは」
手元のコーラを半分程飲み干した同僚は「忘れられねえンだろ。あの二人も」と緩く笑う。その含みのある言い方に眉を上げ、続く言葉を待った。
「……オレさあ、ずっとサブロー君に憧れてたンだよ。鬼みてえに強ェし、頭良いし、ただの眷属にも気ィ回せてさァ」
──不意に、サブロー君の兄貴分であった二人と似た名前の、本城に続きそうな名前の人が死んだニュースを思い出した。
本城名義のアドレスから返信が返ってこなくなった時期と、サブロー君に嫌われたくないから嘘をついたのでは? と言われたことを否定できなかった兄貴分が荒れていた時期と、そのニュースの時期は一致する。それも確か──その人の命日は今日だったはずだ。
そんな、おそらく既に死んでいるはずの人を想って「かっけえんだよ。あの人は」と吐いた同僚の言葉に、思わず「そうだな」と小さく呟いてしまって。この察しの良い奴相手にそれは不味いと思った刹那、隣を歩いていたはずの同僚が足を止めた。
「オレさ、最初に聞いたよな。サブロー君って知ってるか? って」
「……オウ」
「アレ聞き方変えるわ。お前、本城さんって知ってるか」
ぎゅう、と眉根を寄せてそう聞いた同僚は、どこか──というか、何故か、ただひたすらに悔しそうな表情をしている。確かに本城といえば、オレが未だに消せていないサブロー君のアドレスの、その登録名ではあるのだけれども。
「……何で?」
「……や? 昔に姐御が言ってたんだよ。わざわざ本城なんて名義で特別にこさえたアドレスを貰った奴が一人だけ居たって」
「姐御……」
「今は医者やってるおっかねえ人だよ。で、オレらは普通にサブロー君のアドレス教えてもらってたけどさ、何かこう、ソイツだけ特別扱いされてるワケじゃん?」
視線だけで「お前だろ」と訴えかける同僚から、極力不自然にならない程度に視線を外す。口では「悔しいよな、ぽっと出の奴に負けるとかさ」なんてことを言っている割の視線だった。
あの人が即席のアドレスを作ったのは、連絡先を教えたくなかったオレが無理を通したからで、兄貴分でもある──というか、おそらく本当の兄貴だったのであろう、灰谷兄弟に押されたからで。
あの人が本城なんて、ずっと隠していたはずの名前を推察できてしまう様な名前にした理由だって、単にその場のノリだった。単に考えることを放棄したサブロー君が、蘭君の案をそのまま採用しただけなのだ。そこに特別扱いなんて綺麗な動機はひとつもなかったのに。
「オレはお前が羨ましいよ、千堂」
そう言った同僚の男──橋本は、本当に、心から羨ましそうな顔をしていたから。つい、苦笑と共に「あの人はそんなこと考えてなかったぞ」と、弁解とも取れる言葉を吐いてしまったのだ。
「やーっぱお前かよ!!!!」
「えっ」
不貞腐れた顔で「カマかけるンじゃなかった」と呟いて。ゴミ箱に向かって描かれたペットボトルの放物線に、やたら綺麗だな、なんて感想を抱いた。
その感想は、完全に現実逃避で間違いなく。居心地が良いとは言えない東京卍會で、唯一何の気負いもなく仕事ができる男であったのに、なんて。勢いで余計なことを言ってしまったかと、少しだけ後悔したのだ。
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橋本
現反社東卍幹部・元眷属のペプシ愛飲者。
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