──2005年8月3日
昨日の晩には長兄から一発もらい、今朝方にはものすごく嫌そうな顔をした次兄に左腕を折ってもらい。それから──ご丁寧にもその足で馴染みであるらしい病院へと連行された。
「……病院くらい自分で来れたのに」
「あのな、オレら別にオマエのこと痛め付けてえわけじゃねえの」
「は? 知ってるよ。私が頼んだからだろ」
「そ。頼まれたからやってやったンだよ。アフターケアくらいさせろ」
病院の待合室へと向かう途中、そう言った次兄は、朝になって腫れが少し酷くなってきた右頬にするりと触れて。まるで自分が痛みを感じているかのような顔で「兄ちゃんも昨日半泣きで湿布貼ってただろ。そういうことだよ」と呟いた。
まァ、それもこれも、元は私のわがままがきっかけだ。良いように使った手前、その感情の波も汲み取ってやるべきなのだろうとは、思う。
「ありがとうございます助かります」
「そのだり〜って顔やめて。心にクる」
「しまった、顔に出てたか」
保険証の名前を呼ばれ、診察室に入る。痛みに眉を寄せつつ「階段で転けました」と言えば、兄が揃ってたまにお世話になっているらしい医者からは「うわー、妹さんもそのタイプかー……」なんて空笑いと共にお小言をもらい、綺麗に折れているから手術はしなくていいらしい
それからは──六本木の美容院で、長兄より少し長いくらいだった髪をバッサリと切ってもらい、ついでにプラチナブロンドまで色を抜いてもらったのだ。
そのまま良い感じに髪のセットをしてもらって、ルンルンで帰宅した後は、元々着ていた白い半袖のシャツと黒いスラックスの上から男物の浴衣を着て。今日に限っては、次兄とお揃いではないフレームのサングラスを掛けた。
──ふむ、中々に見られる仕上がりになったのではないのだろうか。不良というか、海外かぶれの美少年みたいな感じか。綺麗な顔の家系って最高だな。
今までにない自分の姿が新鮮で、姿見の前でくるくると回る。しばらくそうしていれば、一晩寝て切り替えたらしい長兄が一眼をこちらに向けていたから、時間まではとその相手をして。
それから、浴衣に合わせた和傘を持って家を出た。次兄曰く、今日は雨が降る予報らしい。
そうして。昨日には散々ショッピングを楽しんだエマと武蔵神社の参道で合流すれば──開口一番に飛んできたのは「髪どうしたの!?」だった。
──まァ、昨日はほぼノーセットで一本に括っていた真っ黒の髪が、ざっくりとした金髪リーゼントになっているのだ。さもありなん。
「せっかく綺麗な黒髪だったのに……!!」
「そりゃどうも。そういえば色はエマとお揃いですね。似合ってます?」
「失恋……は、ないか……」
「聞いてねえなコレ……まァ、ほぼ失恋みたいなモンですよ」
「昨日の今日で場地と会ったの? そんなわけなくない?」
「誰も圭介なんて言ってねえだろ」
龍宮寺との待ち合わせ場所まで歩く道すがら、吊っておらずともギプスは巻かれている左腕を持ち上げて。苦笑したままに「兄貴と喧嘩しまして」と言えば──待ち合わせ場所の方から「はァ!?」なんて声が聞こえてきた。
「やあ、龍宮寺。お待たせしました」
「エ、いやそれは別に……つーか頭……いや、喧嘩って……」
「そのままです。そんなことよりどうです? 今日のエマ」
「可愛いでしょう?」なんて言って、私のことはどうでもいいからエマを褒めろと圧を掛ける。私の変化に困惑し切りだった龍宮寺は思い出した様にエマを見て、それから、分かりやすく目元を緩ませた。
そんな龍宮寺は、気恥しそうに首の後ろに手を置いた後に「似合ってる」と言って──いや、もっと何か言えよ。明らかなイメチェンで興味をかっさらってしまって申し訳ないとは思うものの。だとしても、エマを照れ殺すくらいの気概で行ってくれないと
チラチラとこちらに向く二人の視線をフルシカトしつつ、視線を逸らすついでに人で賑わう屋台をゆっくりと見渡す。私にフルシカトされているが故に初々しいやり取りを続けている二人への微笑ましさと、久々に来る武蔵祭りの懐かしさにスっと目を細めた。仲人のジジババくさくて悪いが、しばらくそっちで楽しんでいてくれ。
「〜〜〜ッ、サブロー!」
「ハイハイ、聞いてますよエマ。腹減ったンで何か食べてきていいですか?」
「良いけどよ……その手で食えンのか?」
「あー……」
一緒に回りたいと言ってくれたエマには悪いが、本当は圭介を呼ばれなければこちらのモンだとして、早々に二人と離れて食い倒れツアーをしようとしていたのだ。
それでも「大丈夫です。どうにかします」と言っても、流石の男前な龍宮寺には「いや、つかその手でこの人混みは危ねえだろ」なんてド正論を吐かれてしまって──結局、折れている左側には龍宮寺、右側にはエマの三人で回ることになった。
冷静になって状況を認識すれば、カップルの間に挟まる邪魔な当て馬というよりも、最早要介護のソレである。聞けば、揃って「マイキーで慣れてるから気にしなくていい」らしく。あのクソ自由人と一緒にしないでほしいという言葉は当然の様に黙殺された。何でだよ。一人でどうにかできるっつってンだろうが。
「何食う?」
「全部。お二人は何か食べたいものあります?」
「んー……あ、ウチりんご飴食べたい!」
「エマ可愛い〜」
「……何て?」
「エマ可愛い〜」
「空耳じゃねえのか……」
「空耳なわけないでしょう。こんなに可愛く育ったのに」
「親戚かよ」
「冗談、ただの幼馴染ですよ」
そうして、ゴリゴリに私の好みでスタイリングしたエマをベタ褒めしつつも、三人で武蔵祭りを回っている。何なら、途中から右腕にはニッコニコのエマがへばりついている。普通に本心であるとはいえ、どうも褒めすぎたらしい。
そろそろ助けてくれの視線を龍宮寺に向けても、生暖かい笑いしか返ってこなかった。さっきの私も助け舟を出さなかったから、仕方ないと言えば仕方ないのだが。
そんな龍宮寺からの視線に剣呑な色がないのは──間違いなくエマとの関係性と私の性別を理解したからだろう。何せ、どう見ても今の龍宮寺は完全に、女二人が仲良くしている姿を少し離れたところで微笑まし気に見守る男の視線なのだ。最早父親のソレに近いのではないだろうか。
いや、何でだよ。片方は初恋だと聞かされた私に嫉妬するくらいには好きな女だろうが。そんなだからエマもやきもきするンだろうが。──いけない。もうさっさと手出せとすら思ってしまった。
「そういやサブロー、浴衣は男物なんだな。違和感ねえのすげえわ」
「やっぱ違和感ないよね? ウチも最初に見たとき普通に男の子かと思った」
「そりゃあ鍛えてますからね。髪も短くしましたし、タッパもそれなりにありますし。あとは着方でなんとでもなりますよ」
流石に首下をしっかり見せてしまうと性差が出るとして、中にはスタンドカラーのシャツを着込んでいる。万が一がないようにと、浴衣の下にはスラックスだって履いている。足元は高めの木下駄でも、手袋だって相変わらずだ。
コレとコレと、みたいな感じでひとつひとつ解説しながらも──ようやくエマを剥がし終えた。マジで全然離れなくて「引っ付くのは私じゃねえだろ」の視線を向けてしまいそうになったのだ。
さて。エマも離れてくれたことであるし、と思考を切り替える。
今向かっているりんご飴の次は何を食べようか。その前に、マスクを外しても顔を晒さずに済むお面でも買おうか。色とりどりの屋台に目移りしながらも、そんなことを考えていれば──袂に入れていた携帯が、震えた。この振動は稀咲だ。嫌な予感しかしない。
「……ちょっと電話してきます。多分友達からの呼び出しなんで、私のことは気にせず二人で回っててください」
「あ? おう……」
「ちゃんとエマと
「すげえ嫌そうじゃねえか……」
「だってまだ何も食べてない……!」
感情のままに思いきり眉を寄せてそう言えば、エマの方から「そういえばサブロー、全部食べるって言ってたね」なんて同情らしき声が飛んできた。そうだよ、腹が減っては戦はできないはずなのに、今まさに戦が始まる予感しかしないから嫌なんだよ。
あーあ、私のイカ焼きと焼きそばとバカの量のマヨバターが乗ったじゃがいもが。エマが言ったりんご飴と、綿菓子と、飴細工だって食べたかった。考えているだけでも腹が鳴りそうだ。
エマと龍宮寺と別れ、武蔵祭りのメインルートから逸れて、道と林とを隔てる低めのブロック塀に軽く腰掛ける。それから、ずっと鳴り続けていた携帯を開いた。
途中ですれ違った愛美愛主にいる中でも私を慕っているらしい一人に二度見されて、その後で勢いよく腰を折られたからには──まァ、お迎えなのだろう。彼には基本的に稀咲の指示に従うように言ってあるのだし。
「何です稀咲、計画変更ですか」
『流石に察しが良いな』
「マジでやめてくださいそういうの……」
ドデカい溜め息を吐きつつ、相変わらず近くに居た愛美愛主に「中身は好きに使ってくれていいので、じゃがバターひとつ買ってきてください」と小銭入れを渡して追い払った。聞かれて困る話はしないとしても、明らかに面倒がっている表情に関しては進んで見られたいものでもない。
さて──元より「ドラケンをマイキーと引き離して撃破する」なんて稀咲が立てた今日の計画には、介入する予定も、まして邪魔をするつもりもなかった。前回の様な殺害計画までは聞かされていないが、微妙に聞かされていない着地点がある、もしくは想定していると分かっていてなお、龍宮寺を助けるつもりなど微塵もないからだ。だからこそ、ちょうどいいところで逸れるつもりでもあったのだ。
明らかなメインディッシュである龍宮寺の殺害計画なんて、ソレが明確にあると知っておらずとも、存在を察することは容易だった。用が済んだら邪魔になるかな程度の存在だった長内をサクッと病院送りにした稀咲が、今後の計画において明らかに邪魔な人間を病院送り程度で済ませるわけがないから。
ついでに言えば、『撃破』なんて抽象的な言葉で濁された以上、おそらく意図して暈された着地点の一つなのだろうとも察していた。いかにも稀咲がやりそうな手だ。
そんなモノを聞かされていない理由自体は想像に難くない。おそらく、これまでもずっと、証拠の隠滅も満足にできない殺しの計画だけには良い顔をしてこなかったからだろう。
だからといって、こんなにも分かりやすい計画をあからさまな言葉選びで隠し通せると思われている辺りは腹立たしいが──まァ、ソレを言ったところでどうにかなるわけでもないから。ひとまずは何も知らない体で話を聞こうか。
『マイキーを呼び出したまでは良かったんだが、送り込んだ奴らでは歯が立たなくてな。送迎はオマエの眷属に向かわせた。すぐ向かってくれ』
「へえ……そう来ますか」
『……何だ』
「いや、眷属は勘弁してほしいなと思っただけですよ。というか、他でもない稀咲が『今日の出番はない』って言ったから予定入れたンですけど」
『……それに関しては悪いと思っている』
「せめてもっと何か食わせてほしかったです」
『文句はそこか……』
じゃがバターを買いに走らせた愛美愛主──稀咲曰く、私の眷属が木の影からずっとこちらを見ている辺り、そんな暇をくれるつもりもないのだろう。満面の笑みで掲げられた手元を見る限り、一応パシリは完遂してくれた様であるし、まァ。正直に言えば最早どうでもいい。
そうして。最早何度目かも分からない溜め息と共に「了解です」とだけ言って、稀咲との通話を終えた。
やはりというか、何というか。流石に今日の二人との距離の近さを見て、伝えられていない計画の邪魔になると思われでもしたのだろうか。ともすれば、エマの誘いは断っておくべきだったのか。──まァ、コレだって今更言ったところで仕方のないことではあるのだが。
「パシらせてしまってすみません。ありがとうございました」
「いえ! 財布あざっした」
「パシってますしそれくらいは……アレ、自分の分は良かったンです?」
「大丈夫ッス! つーか、お楽しみのところマジですんません。車こっちにあるんで……」
「へえ、珍しいですね」
「流石に浴衣と下駄でバイクはキツいかと……あ、今日もメチャクチャかっけえッス!! つかその髪超良いっすね!! イメチェンっすか!?」
「あー……まァ、そんな感じですかね。お気遣いもありがとうございます」
誘ってくれたエマの携帯に一緒に回れなくなった旨の連絡を送ってから、低めのブロック塀から腰を上げた。駐車場まで向かう道すがらで聞こえてきた「サブロー君、和服も金髪も似合うンすね……サイキョーじゃないっすか……」と言う声に少し笑って。それから、パシリと足の礼として途中の自販機で好きなものを選んでもらった。
遠慮をしたのか、一番安いものを選ばれたから──最初に視線が向いて、なおかつ彼が普段から好んで飲んでいた記憶のある、青いロゴのコーラのボタンを勝手に押した。一瞬にして表情が明るくなった辺り、コレで正解だったのだろう。
ついでとばかりに「眷属って何なんですか?」と聞けば、少しの照れの後で「サブロー君に憧れてる奴らで名乗ってます!」なんて言葉が元気に返ってきた。ああそう。もう何でも良いか。
「助手席、座っていいですか?」
「もちろんどこでもどうぞ! じゃがバタ食い終わったゴミは置いといて貰って大丈夫なんで!」
「ははは、助かります」
そうして。私が食べる時間を作ろうとしてくれているのか、比較的安全運転な車の中で、運転席側からは見えない様にと片耳だけマスクを外し、腹ごなしをして。丁度食べ終わって一息吐いているところで、車が止まった。はて──車の中から見える範囲に人は居ないが。
「この道をもう少し行ったところにマイキーが居る、らしいッス」
「それも稀咲の指示ですか?」
「ッス。あ、でもサブロー君が言ってくれたら車回しますよ。むしろ雨も降りそうなんで近くまで行けって指示ください」
「ここで構いませんよ。傘もありますし」
大切そうにコーラに口をつける運転席の彼も察していそうなところではあるが、周辺には喧嘩をしている──或いはしていた様子もない。そんな、そもそも人気もそれほどなさそうな、静かな埠頭の入口で車を下りた。
運転席に向かって「もう戻ってもらって大丈夫です。ありがとうございました」と声を掛ければ、微妙に元気のない良い声が返ってきて。それから、行きよりもほんの少しだけ遅いスピードで去っていく車をぼんやりと眺める。──彼には悪いことをしたかな。
「……オレの相手ってレンレンなの?」
傘を片手に車の消えた方向を見ていると、背後からそう声を掛けられた。無論、居るとは聞いていたマイキーだ。どうも車のエンジン音と声を聞いて出向いてくれたらしい。
「さあ、私はここに呼ばれただけですよ」
「ふーん」
「一応お聞きしますが、私が来るまでに誰か来ましたか?」
「いーや? 呼び付けておいて誰も来ねえの」
「あー……やっぱそうか」
剣呑な視線をこちらに向けて「何か知ってンの」と聞くマイキーには、静かに「知らされてないンですよね。何も」なんて返して。どうもその言い回しに引っかかったらしいマイキーが首を傾げている間に、何を何処までどうするべきかと頭を回す。
ここで稀咲の意図を汲んだフリをして、マイキー
元より稀咲は、龍宮寺の
つまりは──すぐにバレるお粗末な嘘まで吐いてまで、
嘘に気付かれないと思っているのか、気付かれた上でなお意図を汲んで動くと思われているのか。どちらにしても、随分と
こうなってしまえば決別か、これまでよりも立場の弱い、その辺の有象無象と同等な都合のいい駒に成り下がる以外の選択肢はない様にも思える。後者は絶対にごめんだとしても、前者だって時期が悪くて。どちらもを回避しようとするのであれば、決別をせずに、今と同等かそれ以上の立場を維持すべき、ということになるが──さて、どうするべきか。
しばらく黙ったままに頭を回して、ふと思い浮かんだことがあった。この際だ、少しくらい怒って
幸いにも、今は気が立っていると言ったとて納得させられる理由もある。見てくれからだって分かりやすくもした。──まァ、こんな使い方をするつもりはなかったが。それは仕方がないだろう。
「そういや何で浴衣? しかも男物じゃん」
「さっきまでは武蔵祭りに居たンですよ。じゃがバターしか食えませんでしたけど」
「あー……何かエマ言ってたな。サブローとケンちんと一緒に回る、って……」
「ええ、ええ。なので今はエマと龍宮寺の二人きりなはずですね」
愕然とした様子で「まさか」なんて言うマイキーに「どうします?」と首を傾げれば、少しだけ迷ったあとで「後ろ乗って。飛ばす」なんて言って。バブが止めてある方まで案内された。
「ア、そっか浴衣じゃん。乗れる?」
「中履いてるんで平気です。それより傘が巻き込まれないようにしないと」
「ウワ、絶対巻き込ませンなよソレ」
「当然ですよ。流石にまだ死にたくないですし」
そうして、武蔵神社に直行するマイキーの後ろでこれからを考えて、考えて。──結局、武蔵神社の参道の手前で降ろしてもらうことにした。
「……来ねえの? それとも
「……サブローでも行きますよ。用事を済ませてから、殴り込みに行きます」
「ははっ! りょーかい」
「それとマイキー、周りはよく見ておいてくださいね」
「……何かあんの?」
「まァ……かもしれないってだけだよ。なーんも聞いてないし」
情報屋としての敬語を消し飛ばして、ただの幼馴染として「一応、気にしておいて」と笑う。そうすれば、胡乱げにこちらを見ていたマイキーは、一転して神妙そうな顔で頷いて。それから、特徴的なバブの音は遠ざかって行った。
さて──何と言えば丸め込めて、何処までの反抗が許されるのだろうか。
ゆっくりと歩きながらも携帯でコールを鳴らし続け、無理やりにも繋げさせた通話は──ともすれば平坦にも聞こえる声で今の居場所を聞き。「詳しくは会ってから話します」とだけ言って、相手の返事を聞くことなくブチ切った。
別に本気で怒っているとかそういうわけではないが、こうすれば察しのいい電話口の相手は勝手に怒りの感情を読み取ってくれるのだ。
正直、報復の可能性を潰し切れない以上、感情の押し付けで他人の行動を縛ることは得策ではない。が、まァ、結果的に話も進めやすくなればそれで良いのだ。
何せ、計画立案にすらも深く関わった私相手に、後ろめたいことをしている自覚はあるらしいから。だからこそ、電話口からはバツの悪そうな声が聞こえてきたのであるし。
ただまァ──心理的に追い詰めることができるモノであれば、何だって使うつもりであることも本心だった。試しに片脚歩きをしてみようと思い立った行動は、そういえばと、左腕が使えなかったことを思い出したからこそ秒でやめた程度のモノだったが。片腕ではバランスが取り辛いことをすっかり失念していた。
カランコロンと下駄を鳴らし、東卍の集会ではとうとう来なかった境内までの歩みを進める。稀咲が居るのは階段の奥、社務所の前であるらしい。
「……来たか」
「ええ。よくもまァ、分かりやすい嘘で人をコケにしていただいて」
「分かってたなら乗ってくれれば良かったんだが」
「そうすることも考えたンですけどね」
顔を隠していた和傘を傾け「今日は少し、気が立っていまして」なんて言って。喉の奥で笑えば、稀咲は小さく目を見開いた。視線は顔──というより、もう少し上だ。やはり分かりやすいイメチェンは目を惹くらしい。
「オマエ、髪……と、腕も……いや、顔もか? 何をしたら左衛門がそう……」
「どうしたもこうしたも、結果的には稀咲が望んだ通りの展開になっただけですよ」
「は?」
「具体的には……まァ、灰谷君たちと喧嘩をしまして」
「はァ!?」
自分で望んでいたことなのに、本当に喧嘩をするとは思っていなかったとばかりに目を剥いて驚く稀咲に苦笑をして。それから、マスクを片側だけ少し下げ、湿布の張ってある頬を見せる。
元が長兄の腕力で思いっきりブン殴って貰ったモノだ。湿布を貼ってそろそろ一日弱であるにも関わらず、未だに腫れは引いていない。──コレが上手く効いているのは、更に見開かれた稀咲の目を見ればすぐに分かった。
「あの人達が気に入ってくれていた顔に一発入れられて、ついでとばかりに腕もポッキリ折られてしまいましたので」
「……ので?」
「蘭の兄貴……あー、蘭君に褒めて貰った黒髪を切って染めました」
「それは……随分と思い切ったな……」
小さく「形から入るタイプだったのか……」と零された声を流し聞き、「それで? 知らされていない計画は邪魔されても文句は言えませんよね」なんて言って少しばかりの圧を掛ける。グッと歯を食い縛って視線を鋭くさせた辺り、何度も伝えていたことを無視した自覚はあるのだろう。
「稀咲に限って病院送りでハイ終わり、なんて生温いことしませんよね。何も聞いてませんけど」
「……」
「稀咲の言う『龍宮寺の撃破』が殺害であるならば、唆したのは清水ですかね。あの人、龍宮寺から追放されたと伺いましたし……なるほどそれは逆恨みしてもおかしくない」
煽る様に目を細め「そうなるようにも誘導できますからね。稀咲なら」と言えば、その拳が固く握られた。少し震えているのは怒りからか──それとも、怒りの雰囲気に
「……そこまで知っていて、何で」
「知りませんよ。喧嘩賭博の件で『計画を練り直す』とも言っていたのに、その後で何かが変わったとは聞かされていませんので、そこから察しただけです。それまでの計画から考えてもヌルい手で終わらせようとしているからにはつまり、今日の計画は元々、聞かされていたモノよりももっと──」
「分かった、分かったから……!」
詰る言葉を途中で遮り、顔を覆って「もういい」と小さく呟いた稀咲を無感情に眺める。盛大に吐かれた息は、溜め息というよりも──どうも、ここからどうしようかと頭を回しているときのソレにも聞こえて。ならばと、稀咲の考えが完全に纏まってしまう前にこちらで主導権を握ることにした。ここまで来てしまえばあと一押しで行ける確信を得たのだから。
「……本当は、嘘を吐かれなければ見逃すつもりだったンですよ。エマはともかく、龍宮寺にはそれほど情もありませんし、龍宮寺か稀咲なら当然稀咲を取りますし」
「それは……」
「マイキーの足止めだって、最初からそのまま言っていただければ普通にやるつもりでした。それが稀咲の計画ですからね」
「……待て、何が言いたい」
「マイキー、連れて来ちゃいました♡」
「はァ!?!?」
稀咲は悲鳴じみた声を上げているが、それはそれ。マイキーが
「そういえば、次は確か半間が総長代理でしたっけ」
「急に、話を飛ばすな……!」
「おや、それは失礼を。少し気になったもので」
「……来る気になったのか?」
「アレ、来てほしくないんですか? なら行きませんけど」
「いや……願ったり叶ったりだが……」
「はは、それならよかったです」
真意を測るようにこちらをじっと見つめる稀咲に少しだけ肩を竦めて。「流石に、仲間外れは悲しくて」と眉を下げれば、居心地の悪そうに眼鏡を上げて──少しの間の後で「悪かった」なんて小さな呟きが返ってくる。
珍しいな、プライド天元突破な稀咲から謝罪の言葉が出るとは。どうも本心から言っているようにも聞こえるが、それはそれ、別に本心でなかったとしても、私が悲しくなるだけで何も構わないから。この話はコレで終わりだ。
「左衛門は今からどうするつもりだ」
「そうですねえ……分かってて仲間外れにしてくれた半間を一発蹴り飛ばしに行くことは決めてるンですけど……」
「蹴り飛ばし……!?」
「あ、流石に稀咲は蹴り飛ばしたら死ぬことくらい把握しているのでやりませんよ。半間だって一発で満足するンで、止めないでくださいね」
「死……!?」
「その後は……そうですね、積極的に介入する気はありませんが、万が一があってもご容赦いただきたく」
「……さては相当キレてるな?」
「ははは、ソレは否定しませんけど。そもそも、今回の計画は見通しが甘いと思うンですよね」
そう、稀咲にしては見通しが甘すぎるのだ。前回ではこれで成功していたのかもしれないが、今回は根本から状況が違う。迂闊にも、それが気まぐれであると認識した上でなおずっと味方として動かしていた私に、暴れる口実を作らせてしまったわけで。表面上だけでも上手く使えば良かったモノを。
加えて今は──コレは稀咲の知ったことではないとしても──龍宮寺が死ぬ
しかもそれがあの、人の良さそうなタケミチ君であれば。少しでも関わってしまった龍宮寺を見殺しにしようとはしないだろう。
つまりはどうしたって、これから東卍を牛耳ろうとする稀咲とは相容れないわけだ。今回は特に、全て計画通りに事が運ぶとは考えない方がいい。
「……そうですね。やっぱり今日、成功しないと思いますよ」
「構わない。鬼電の時点で覚悟はしていた」
「ははは、そうですか」
そう笑いつつ、申し訳程度にしか付いていない社務所の屋根の下に滑り込む。私が近くに寄ったことで身体が強ばった稀咲の様子を見るに、私に蹴られることを危惧しているらしい。冷めた視線を向けてしまったことはもう仕方ないだろう。蹴らねえつっただろうが。
「そういえば稀咲、花垣武道って知ってます?」
「っはァ!? 何で、左衛門がその名前を……」
「あ、知ってるンですね。なるほど」
「何が『なるほど』だ……!!」
「や、特に気にしなくて大丈夫ですよ」
「気になっただけなンで」なんて言いつつも、傘を持っている様子もない稀咲に和傘を押し付けて。それから、社務所の屋根から一歩外に出る。
「いや……は? オマエ傘……」
「今日は稀咲が使ってください。持ってないでしょう」
「はァ!?」
「あ、そのうち基地にでも返しておいてくださいね。ソレ、結構お気に入りなんで」
困惑もすっ飛ばして「説明しろ!」と声をあげる稀咲に、とりあえずのところはすっとぼけることにしたのだ。「半間と喧嘩するには邪魔なんですよ」なんて、傘を押し付けた理由だけ喋ってから──そのまま、返事も聞かずに雨の中を駆け出した。
問答を続けていた稀咲に、私を足止めするつもりがあったのかどうかは知らない。けれど現に足止めを食らっていた以上、早く行かなければ──楽しい
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