39.とびきり甘い飴の雨を

 足元からは、カラコロと気持ち急いた音が鳴る。ポーズとして走ってはいても、こんな走り辛い下駄を履き直した時点で急ぐ気なんてモノは微塵もないことくらいお察しだった。

「サブロー! 遅い!!」
「来てやったンだから文句言わないでください」

 その大きな瞳に涙を溜めながら「十秒で来てって言ったじゃん!!」なんて言うエマには「三秒までしか聞いていないのでノーカンです」と返しつつ。片手で浴衣の帯を解きながらも、困惑しきりのタケミチ君に龍宮寺を背から下ろすように言った。まずは止血だ。ここまで来てしまった以上、何もしません見ているだけですは流石に筋が通らない。

「いや、エ!? サブロー君何して……!?」
「止血帯の錬成。中着てるンで平気ですよ」
「……はは、サブローってやっぱ、男前だよな」
「怪我人は黙っててくださいねー」

 タケミチ君の背から降ろされた龍宮寺の服を容赦なく捲り、ナイフで刺されただけ・・にしては随分と広がっている傷口を見て。少しだけ前回・・を思い出してしまった故の舌打ちをしながらも、帯の下に結んでいた腰紐を広げてギッチギチに縛っていく。
 固定と力を入れるために足を使っているところは許してほしい。左腕が使えない上に、元々腕だけで止血ができるような腕力はないのだ。

「ぐ……」
「多少痛くても我慢してくださいね。腹を刺されてなお喧嘩しに行くとか馬鹿・・のやることですよ」
「はは、キッついわ……サブローに叱られンの……」
「つーか無駄に喋ンなって」

 後ろでソワソワと「ウチにできることない!?」なんて言うエマには、少しだけ考えて「その辺から太めの枝拾ってきてください」とだけ言って。同じくソワソワとしていたヒナちゃんには、龍宮寺の脚を押さえてもらうことにした。
 タケミチ君には、片腕では思う様に行かない龍宮寺の固定をお願いしつつ、自由に動ける様に待機をしてもらおうか。「どうせそのうち追っ手が来るので、その対処もお願いします」と言えば、キュッと口を結んだ後に力強く頷いてくれた。──クソ、心強いじゃないか。

「龍宮寺、」
「おう」
「絶対ヒナちゃん蹴らないでくださいね。蹴ったらエマに持ってきてもらう枝でボコボコにします」
「や、オレ怪我人……つーか当たり前だろ」
「ヨシ。じゃあ踏みます」
「ハ?」

 そう言って立ち上がり、宣言通りに傷口を踏み付けた。この上なく痛そうな呻き声は聞こえたが、ヒナちゃんを蹴り飛ばさない程度の理性はギリギリ保っていられているみたいで何よりだ。
 何度か体勢を変えて足の位置を変え、やはり足だけでは体重が乗らないな、なんてことを考えて。結局のところ、全体重をかけた膝で押さえることにしたのだ。戻ってきたエマに悲鳴はあげられたが、まァ、圧迫止血だと言えば大人しくなるというわけで。

 ──そんな折、とうとう追っ手が来た。乱暴な足音に顔を上げれば、そこに居たのは案の定な清水だった。
 先のお願い通り清水に向かって行ってくれたタケミチ君がボッコボコにされている姿を、エマから受け取った枝で腰紐を締めつつぼんやりと眺めて。それから、小さく「どうします?」と声を掛けた。無論、その自覚があるらしい割に喋り続ける怪我人に向けて。

「今の間にでも表に引き摺って行きましょうか?」
「……そういう無駄がねえとこ、嫌いじゃねえけどさ、」
「冗談。聞いただけですよ」
「はは……やっぱサイコーだよ。オマエ」

 どう見てもボコボコにされているタケミチ君を見て、龍宮寺がニヤリと口角を上げたのが見えた。確かに龍宮寺は、アレを放置して自分だけ助かる道を選ぶ様な人ではない。
 ついでに言えば──「タケミっちに1億円!」──タケミチ君が、清水相手に負けるとも思っていない。譲れないモノがあるらしいタケミチ君と、そうでない清水であれば当然だとも言えよう。

「ちょっとドラケン!?」
「あは! 良いですねソレ! タケミっち・・・・・に1億円!」
「サブローまで……!」

 ──そうして、結局はこの場に居る観客の全員がタケミチ君に、払えもしない一億円を賭ける中で。とうとう彼は清水を締め落としたのだ。腕力だけでは到底勝てそうもない因縁の相手に、自らの脚と執念で土を付けた。本当に嫌になる。
 直近に関しては既にほとんど心配していないことではあるが、もしも仮に、目的を違えてしまったら。もしも仮に──あの執念が敵に回ってしまったら。彼にとされるのは、間違いなく私なのだから。



 救急車で運ばれた龍宮寺に付き添う形で、手当ての当事者として乗り込んで。手術が始まる前に席を外した。わざわざ東卍の群れの中に飛び込んで行く必要はないし、どうせ後から圭介も来ることだ。早急に人の居ないどこかへ行ってしまう方が良いだろう。
 そう思ったから──丁度いいとして、雨も止んだ病院の裏口外まで出て。人の来なさそうな場所を探し、報告の電話を入れているというわけだ。

「ええ、なので今は手術中です。稀咲の勝率は二割といったところでしょうか。半間から聞いてます?」
『一応聞いてはいるが……何かしたのか?』
「止血を少々。つってもまァ、龍宮寺本人は清水将貴と花垣武道の一騎打ちを観戦したいとのことでしたので。無理に引っ張って救急車に乗せるなんて野暮なことはしてませんよ。そこまで面倒を見る義理もありませんし」

 直後、電話口からは心の底からとも聞こえるような深い溜め息が聞こえてくる。淡々と「呼ばれて行って、そこで何もしないワケにもいかないでしょう」なんて言い訳をすれば『それはそうだが……』との声も聞こえてきた。
 稀咲が微妙な反応になる感情も推し量ることができる分──これからを考えて頭を回す必要があった。

 不可抗力とはいえ、完全に稀咲の計画をブチ壊してしまった今。果たして稀咲は、まだ私をで使う気はあるのだろうか。
 稀咲自身、私からの鬼電で『覚悟はしていた』と言っていた。半間とは東卍圭介の前で次の話もした。それはそれ、もしもその後にした行動で完全に見限られたとしたら。果ては──加入を断られでもしたら。

 そうなれば、まァ、他と同じように外から情報を集めれば良いだけではあるのだが。加えて、何のしがらみもない身で単身抗争に乗り込んで、サクッとブチ壊してやれば良いだけの話でもあるのだが。

 利害関係を抜きにしても気の置けない友達だと思っている人が一人か二人減る選択肢にはなるが、それでも、前回の様な人間関係に戻るだけだから。今更耐えられないなんてことがあるはずもない。

『──門、おい、左衛門? 聞こえてるか?』
「すみません、何も聞いてなかったです」
『……大丈夫か?』
「は? 何がですか?」
『いや……大丈夫ならそれで良いが……』

 どうも煮え切らない言葉の後でもう一度言い直してくれたのは、私さえ良ければ・・・・・・・次は半間を総長代理に据えたチームで親衛隊長になってほしい、なんて打診だった。
 曰く、龍宮寺の生死に関わらず作るつもりのチームであるが、堕天使・・・が手ずから手当てをして死ぬはずがないとも思っている、と。

 随分とまァ、今回ばかりは下手に出たなというのが正直な感想だった。つまり私は、一度明確に計画を台無しにしてなお手に入れたい駒になれていたという認識で構わないのだろうか。一度はあからさまな嘘で遠ざけた癖に? それとも次で、聞かされていない使いどころがあるのだろうか。
 ──いや、一人で考えても分からないことはこの場でハッキリさせておくべきだ。

「……自分の加入で掛かる付加価値って、何ですか」
『珍しく弱気だな。本当に大丈夫か?』
「いつも通りですよ。それで?」
『……色々あるが、ドラケンが助かった場合、ドラケンにとっての左衛門は命の恩人になる。ドラケンが死んだ場合でも、マイキーにとっては何だかんだで味方をしてくれた幼馴染だ。そんな奴が抗争相手のチームに居たらどう思う……いや、どう思いそう・・だ?』

 なるほど、つまりは揺さぶり要員であるらしい。聞かされていない計画の有無は別として、だったが。
 ひとつ頷いてから「びっくりするでしょうね」と言えば、電話口からは『びっくり……』なんて面食らった声が聞こえて。それから、気を取り直した様に『だいたいそういうことだ』と返ってきた。──何で今復唱したんだよ。

「なるほど、了解です。この堕天使で良ければ宮廷道化のお供も致しましょう」
『……いや、オマエがお供するのは半間だからな?』
「はは、そうでしたね」

 何を心配されているのかも分からない、本日何度目かの『本当に大丈夫か……?』なんて声をあしらっていれば──少し遠くに薄い金色の影が見えて。電話の向こうに一言断りを入れ、通話を終わらせた。

 直後、こちらに気付いて方向転換しようとする背中を呼び止めて。それから小さく手招きをすれば、フラフラとした足取りのマイキーが顔を出す。何ともまァ、随分と情けない顔だった。

「手術、失敗したンですか?」
「……成功したっつの。冗談でもそういうこと言うんじゃねーよ」
「おや、それは失礼を」
「……そういや腕折れてンのにケンちんの応急処置してくれたんだって? ありがと」
「エマから?」
「エマとタケミっちと、ヒナちゃんから」
「ほぼ全員じゃないですか」

 手術は成功したと言った割に、口はいつも通りに回っている割に。中々顔を上げないつむじをしばらく見つめて──そういうことかと腕を取り、気持ち強めに引き寄せた。確か昔のエマも、泣きそうなときにはこうして耐えていた記憶がある。

「ちょ、」
「今はだーれも見てねえよ、万次郎」
「……」
「総長って大変だよなァ。下の士気を下げないためだっつって、誰よりも不安でも隠さなきゃいけないンだもんな」
「……」
「いくら"無敵のマイキー"でも、佐野万次郎は皆と同じ人間なのにな」

 落ち着かせるように耳元でそう言って、どうしようもなくいっぱいいっぱいになっていそうな幼馴染の背中を緩く叩く。
 腰紐もなくなり、羽織っているだけになった浴衣から覗く、シャツの裾が控えめに掴まれて。せっかく乾いてきた肩が少し濡れている気もするが──こうすることで多少でも信頼を得られるのであれば、大した問題ではない。

 人の心を掴むには飴と鞭、それぞれを適切なタイミングで与えることで沼の底は深くなる。この場合の飴は共感と、弱い心を否定せずに包み込む態度だろう。私のこの本性を理解しているマイキー相手に通じる手だとは思っていないが、それはそれ、やらないよりはやった方が良いこともある。

 マイキーが来た方にチラリと見えた満身創痍の金髪に向け、ギプスで固定された方の腕をヒラヒラと振る。まるで見てはいけないモノを見てしまったと言わんばかりに肩を跳ねさせ、ガバッと頭を下げて柱の影に消えたタケミチ君に笑っていれば──少しだけ不満そうな声で名前を呼ばれた。

「……何で笑ったの。つーか何考えてンの?」
「いや? 昔のエマとそっくりだなって」
「エマじゃねーし。そもそも女でもねーし」
「泣き喚いてた圭介ともそっくりだから気にすんなよ」
「場地のこと泣かせてたのってほとんどレンレンじゃん」
「はァ? お前も大概だろ」
「オレが泣かせたンじゃねーよ。場地が勝手に泣いただけで」
「ウワ、良いなそれ。私も今度からそう言おうかな」

 どうも落ち着いてきたらしい幼馴染とそんな緩い会話をして、身を離し「もう大丈夫」と強がるマイキーに目を細めた。本当に大丈夫かはさておいても、少なくとも無敵のマイキーとしての顔を保てる程には回復したらしい。ならばもう、こちらも幼馴染でなくとも構わない。

「ごめん、肩濡らした」
「構いませんよ。元々雨で濡れてましたし」
「……サブロー冷えてねえ? 上着ある?」
「ないですけど。寒かったら追い剥ぎでもするので平気です」
「何なら場地から剥いで来てやろーか?」
「ははは、マイキーこの野郎。絶対にやめろ」

 そう言いながらも──いつもの癖で──左手・・で肩パンをすれば、痛み止めなんてとうに切れた腕が冗談みたいに傷んで。痛みで膝から崩れ落ちた私に向けて、呆れた顔を向けられた。何だよ、間抜けで悪かったな。

 既にマイキーとしての顔に戻った幼馴染は、そんな間抜けな私に対して無視を決め込むことにしたらしい。話題を変えるように聞かれたのは「そんなに会いたくねーの?」なんてことで。主語はなかったものの、話の流れ的には一人しか居なかった。
 どうも聞けば、エマからなんとなくの話は伝わっているらしい。私が圭介にさえ連絡を入れていなかったことも、ずっと日和っていることも。楽しそうに「口止めされた」と言っている以上、あんな脅し方をしたエマであっても、思うところはあるのだろう。

「まァ……そうですね。会うなら私のタイミングで会いたいので、マイキーも圭介には黙っていてください。連絡先とか聞かれても教えないように……あー……お願いします」
「えー……別に良いけどさあ、変わりに何してくれんの?」
「今慰めたのでトントンでは?」
「もう一声」
「腕が治り次第のタイマンでどうでしょう」
「もう一声」
「……情報?」
「おっけー、聞いたら全部答えろよ」
「はは、善処します」

 そうして、そのまま東卍の隊員の元に戻るらしいマイキーとは「顔は洗ってから戻った方が良いですよ」とだけ言って別れたのだ。マイキーが病院内に入り、その背中が角を曲がったことを窓の外から見届けて──それから、稀咲との通話を終えて袂に入れていた携帯を開く。マイキーを慰めている最中に一度だけ震えたモノだった。

『今どこ』
「病院の裏手。どこにいるか教えてくれたら向かいます」
『駐車場』
「どこのだよ」
『多分そっから近ェ、第……3? 駐車場の端っこ』
「了解です。探しますね」

 ──さて、約束通りに文句を聞いてやらなくては。


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