40.家に帰れば次兄の悲鳴

「遅ェ」
「すみません、立て込んでいまして」
「ソレは見てりゃ分かるっつの」

 マイキーが吸い込まれて行ってしばらく出てこなかったところから左衛門が出てきた時点で、話し込んでいることは分かっていた。どうせいつもの誑し込みをやっているのだろうとも、なんとなくは察していた。
 何せ、人が弱っているところにつけ込んで誑し込むこと自体、左衛門自身から「意識的にできれば便利ですよ」と言われた手なのだ。「必要ねえワ」と一蹴した程度のモノではあったが。

 それを踏まえたとしても──普段の歩く速さから考えれば、随分と時間を掛けてゆったりと歩いて来たのだ。電話のあと、もう少し早く着いてもおかしくはない。
 そんな考えから少しだけ観察をして、明らかな違和感に眉を寄せた。何だその、らしくもないフラフラとした重心は。

「……は?」
「何です」
「オマエ腕どうした」
「……あ、腕? 今?」

 駐車場に来てからずっと不機嫌そうに寄せていた眉を更に寄せ、吐かれた言葉は「折られました。竜胆君に」なんてモノだった。──気の所為でなければ、左衛門はソイツのことを『竜胆のアニキ』と言っていたはずではなかったか。
 よくよく見てみれば、いつものマスクの下からもデカい湿布が覗いている様にも見える。無言でマスクとサングラスを強奪すると、やはり、不満を隠そうともしないその頬に貼り付いているのは湿布だった。スル、とその頬に手を這わせても、片側だけ少し熱くて──明らかに、腫れている。

 ならばと手に持ったままだったサングラスを見ると、そのフレームはいつもの丸い形ではなかったから。なるほどなァ、と心の中でひとつ頷いたのだ。どうも、おそらく本心から・・・・・・・・慕っていた兄貴分と人外大決戦でもしたらしい。

「痛ェのは嫌いだっつってンのになァ……かわいそーに……」
「気は済みました?」
「おー」

 黙ってされるがままだった左衛門に「もういーよ」とマスクだけを返し、薄い茶色のサングラスを自分の顔に掛ける。世界が少しだけ褪せて見える色だ。コレがたまにしか顔を出さない学校の授業であれば、「作者の考えを答えろ」なんてサービス問題にでもなっていそうな、そんな色をしていた。
 ──いや、左衛門がソレを意識しているのかどうかまでは流石に分かったモノではないが。

「何なんです? 半間は文句を言いにきたのでは?」
「あー……ソレなァ……」
「……エ、まさか全部飛んだとか言いませんよね?」
「そのまさか。言いたかったこと全部忘れたワ」
「とんだポンコツじゃねえか」
「うるせーって」

 いつの間にか金髪に変わっていた、少し軋んだ様にも思える頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。丁寧に伸ばしていたらしく手触りの良かった髪は、確か『蘭のアニキによく褒められる』のだと嬉しそうに話していたか。
 反抗としてはこれ以上ない分かりやすさだが──まァ。黒髪似合っていた分、どこか残念な気持ちもある。

「これ、アニキに反抗したくてやったン?」
「おっと……稀咲から聞きました?」
「次は合流させるってことだけなー? 見た感じだと喧嘩でもしたンだろ」
「何も言わずに全部察されるのって結構怖いですね」
「ひゃは♡ 今更?」
「本当にな……」

 ずっと頭に乗せていたオレの手を鬱陶しそうに払い除けつつも、ケラケラと笑いながら「つっても、この色は夏休み期間だけだよ」と言う左衛門に「せっかく綺麗に抜いたのにもったいねー」なんてことを言って。珍しくも怪我をこさえていてなお変わらない、勝手にバイクのケツに乗り込む態度のデカさに──少しだけ気が抜けた。
 兄貴分と喧嘩をしても、稀咲の策に背いても。髪の色と長さが変わっても、らしくもない大怪我をしていたとしても。コイツ自身は何も変わらなかったのだから。

 気まぐれに「どこ行きたい?」なんてことを聞けば、少し考える様な間が開いたあとで──小さく「海」と返ってきて。なるほど、と頷いたのだ。いつものツーリングコースをご所望らしい。

 そうして。片腕が使えないからか、珍しくも控えめに腰に回された腕を一度叩き落とし、収まりのいい場所に固定し直して。もうほとんど乾いているとはいえ、お互いに生乾きの服を着て。そんな状況に楽しくなってしまったから、つい──

「今日は帰さねーから!!」

 ──つい、口が滑った。
 左衛門からの返事が一拍遅れたことを不思議に思う間もなく、腕を回させた腹の辺りが小さく抓られる。次いで聞こえて来たのはそれはもう楽しそうな、いつもよりワントーン高めの、弾けるような笑い声だった。

「あはははっ!! そっちこそ!! 今夜は寝かせねてやンねえ!!」
「……あ? 直球はやめろ。鳥肌立つワ」
「は? 半間が言い出したことだろ。自分の言葉には責任持てよハニー」
「しかもオレがそっちハニーなン?」
「ダーリンだと生々しくない?」
「ばはっ♡ そりゃそうだ!」

 そうして。揃ってゲラゲラと笑いながら、情緒もへったくれもない完徹ツーリングを敢行したのだ。
 湾岸までひとっ走りして、途中で見つけた立ち食いそばで、片手でも器用に麺をすする左衛門にちょっかいを出しつつ腹ごなしをして。眠そうに目を擦る左衛門の頬を軽くビンタしたら、丁度アニキに殴られた方だったらしく、抗議と共に珍しくも本気の蹴りが飛んできて。そのままいつもより二割増のタイマンを張っていたら──とうとう、陽が登ってきた。

「……日の出はえーな」
「それ。つかマジで寝かせてくれなかったな」
「……ソレ言ったのオマエじゃね?」
「そうだっけ……そうだったな……」
「そういやずっと携帯鳴ってっけど、いーの?」
「良い良い。朝帰りに私だけが色々言われる筋合いないし」

 朝帰りを咎める存在と、同じ様に朝帰りをしても咎められない存在と。そのどちらもを察することができる短い言葉はおそらく、普段の左衛門ならば言わない程度にはプライベートなことで。明らかに口が滑ったモノであるにも関わらず、本人がソレに気付いている様子もなく。

「……そんな眠いン?」
「ンー……そこそこ。六本木まで送ってほしいくらいには」
「家?」
「や、流石に駅前で良い。お前連れて帰ったら悲鳴が上がる」
「ばはっ♡ りょーかい。途中で行き倒れンなよ? ダーリン♡」
「頑張りまー……うわ、見て! 信じられんくらい鳥肌立った!!」
「お、オレの気持ち分かった?」
「分かった。コレは確かにゾッとする」

 ──とはいえ、徹夜明けの振り切ったテンションで笑うコイツに、そんな存在が居ることなど、心底どうでも良いことで。バイクのケツに乗り、本当に眠そうにオレの背中に額を押し付ける感触に、頼むから途中で落ちてくれるなよと願いながら、六本木までの道を飛ばしたのだ。


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