41.好奇心は未来を殺す

 ──2005年8月下旬

「灰谷さん! この後って空いてる? 生徒会ないよね?」

 それは午前のみの登校日なる、心底鬱陶しいモノを終えた昼下がり。私立らしくクーラーの効いた教室にて。この三年で会話をした記憶もあまりないクラスメイトから、食い気味にそう声を掛けられた。
 少しだけ考えて、それから、伸びてきた髪を耳に掛けつつも苦笑を返す。生憎と今日の放課後は忙しい身だ。

「ごめんね、生徒会はないけど用事があって」
「……そっか! なら仕方ないね」

 元より、彼女が「今日こそは……!」と意気込んでいたことは知っているが、私に予定がある事実は変わらない。し、相手がある予定ならば尚更変えられらない。
 当然の様に生徒会の集まりがないと知られている辺りは、腐ってもサンカヨーの女だなとしか思えないので別に構わないのだが──まァ、自分がソレをされると些かの気持ち悪さも湧くというもので。自分がいつもやっていることである分、他人に何かを言えた口ではないのだが。

 そうして。分かりやすく肩を落とすクラスメイトに「また誘って」とだけ微笑んで、同性ばかりの教室を後にした。
 とはいえ、また誘われたところで用事がなくとも断るのだが。そこはアレだ、社交辞令なので。「アンタまた会長にフラれたの?」なんて声も聞こえてくるが、知らないったら知らないのだ。

 ──まずもって、人間関係とは分からないものだということは知っている。
 かつての世界線では、不良であることを隠した上でお友達だったヒナちゃんとは、不良を隠さないままに買い物へと繰り出す関係になった。
 圭介の仇と言っても過言ではない稀咲とは、利害関係を抜いても気の置けない友人になってしまった。
 何なら、どう好意的に見ても最後の最期で顔見知りになった程度だった半間とは、半乾きの服で夜通しツーリングをした挙句、健全極まりない朝帰りをする仲になってしまったワケで。

 前回までを含めたとてほとんど関わりのないクラスメイトだって、いざ学校の外で話してみれば、実は気が合ったなんてこともあるかもしれない。──いや、コレは半間が特殊だっただけだが。

 ──しかし、まァ。つまるところ、現状では何かに使える人脈や耳の良さ・・・・があるわけでもないただのクラスメイトと、打算抜きで遊ぶのも楽しいかもしれないというわけだ。
 とはいえ今回の相手は、三年にもなって何の興味も湧いていないクラスメイトだ。今更何かしらが琴線に触れるはずもなく。興味のないことに時間を割く程暇ではないからこその『用事がなくとも断る』だった。

 まァ、いずれにせよ、あくまでも今回こそ失敗しなかったら──が前提となる話で。まだ何がどうなるかも分からない以上、間違っても今手を出すことではないことは確かだった。

 そうして。やけに散漫な思考に沈みつつも電車を乗り継ぎ、寄り道もせずに帰ったタワマンに入って。今日に限っては誰も酒盛りをしていない静かなリビングを横目に、部屋の奥にある自室へと向かった。
 クローゼットに掛けてある真新しいは未だ着慣れずとも、他でいつもの格好をしてしまえばスイッチは切り替わるのだ。

 学校用にしていた薄い化粧を落とし、ワンピース型の夏制服を肩から落とす。適当に掴んだ太めのパンツを履いて、申し訳程度に胸を潰し、そのから少し厚手のインナーと適当に取ったTシャツを着て。
 ついでに、学校に顔を出さなければいけないとして黒に戻した髪のセットをやり直し、次兄とお揃いでないフレームのサングラスを掛ける。手袋とマスクは家を出る直前で構わないだろう。暑いし。

 変なところはないかと覗き込んだ姿見に写っていたのは、何処からどう見てもな不良だった。間違っても、学内評価のためとして生徒会長なんて怠いモノを引き受けてしまった、名門女子校サンカヨーで品行方正を気取る女子生徒ではない。
 しばらく鏡を眺めていれば、どうも目尻のラインが消えきっていないことに気付いてしまって。小さく舌を打ちながらも、その辺りに放り投げてあった綿棒にクレンジングを染み込ませる。想像以上に出てしまったクレンジング剤を拭き取っている最中──小さく聞こえた、自室の扉が開く音に顔を上げた。

「ただいま、兄貴」
「おかえり。後で何か飲むか?」
「あー……エスプレッソ欲しい」
「あれ、珍しい。ラテの気分?」
「ん。ミルクは自分でやる」
「りょーかい」

 少しだけ眠そうな顔をして扉にもたれていたのは、案の定とも言うべきな次兄だった。なるほど。舎弟を集めての酒盛りはしておらずとも、一応のところ起きてはいたらしい。

「あと、その上着に合わせるならもっと細身のパンツの方がいい。せっかく綺麗な形の脚してンだから変に隠すな」
「……どうも」

 着替えていたら次兄から襲撃に遭い、口を出されるのはいつものことだ。何でも、私が一見して別人になる過程が見ていて面白いのだとか。
 その視線にスタイリスト的なやかましさはあっても、下世話な色がない以上減るものでもなし。今でも特に抗議することなく好きにしてもらっている。

 高校生と中学生にもなってこれはちょっとどうなのか、とは思いつつ。灰谷家にはそんな色っぽいことなど何もないこともあって、気にしないことにしたのだ。
 事実、服に関しては大人しく次兄の指示に従った方がセンスが良い。そうなれば尚更何かを言う気も失せるというもので。

 そもそも、兄の風呂上がりは大概揃ってパンイチであるし、究極に何もやりたくないときの長兄はそのまま寝ることもある。逆に私の生着替えを見たところで何のアクションもないことは、まァ、今の次兄の様子でよく分かるだろう。
 せいぜいがマグカップ片手に服装に口を出される程度だ。週替わりで女を引っ掛けている兄が何もしてこない以上、特に何かを気にすべきでもない。

 年頃の時分に急に生えた妹でも、生まれたときから居たように扱ってくれるのはありがたいことなのだと思う。正直なところ、変な気を使わなくて済むのは楽でいい。

 そんなことをぼんやりと考えながらも身支度を終え、エスプレッソを淹れてくれるらしい次兄の後を着いてキッチンに向かう。その道すがら「兄ちゃんは?」と聞けば、呆れた表情を隠さずに「まだ寝てる」と教えてくれた。
 ──本音を言えば、寝坊助の長兄に呆れている場合ではないだろうとも思った。マグカップの中身が水ではなく、眠気を覚ましたいときに飲んでいるコーヒーな時点で、次兄だって大概寝起きなはずなのだ。

 とはいえ、それはもう・・言わないお約束というやつで。前に一度それを言ったら、本当に寝起きで機嫌の宜しくなかった次兄に肩の関節を外された過去がある。咄嗟に無事だった足で金的をお返しした。いつだったかにアッくんにバラされていた例の件だ。
 アレは──控えめに言って地獄だった。私の汚い叫び声と次兄の呻き声に飛び起きてきて、リビングの床に這い蹲る弟妹を見るなり膝から崩れ落ちて爆笑していたパンイチの長兄以外誰も救われなかった悲しい事件だ。

 結局兄ちゃんは過呼吸手前まで笑い続けるし、気が散って肩は中々嵌め治せないし、全く関係のなかったアドレスの登録名の文句も言われるしで散々だったのだ。二度とあんな惨事を繰り返してなるものか。

「蓮は今から六本木?」
「んーん、今日は新宿」
「……半間?」
「も、居るけど。前に誘われたチームの顔合わせ」
「ああ……ダチが居るって言う」

 余程目が覚めないのか、自分用にも淹れていた二杯目のコーヒーを啜りながら「急に『喧嘩したことにするから腕折ってくれ』って言われたときはついに気が狂ったかと思った」なんて。最早何度も聞いた妹の頭の心配を蒸し返した次兄の脛を蹴り飛ばしてしまったのは仕方ないだろう。
 当然「あっぶねえな!?」と叫びながら脛を蹴り返された。普通に避けたし、当たり前の様に避けたことへの舌打ちもされたが。いつものことだ。

 エスプレッソにスチームミルクを注ぎながら「兄貴は?」と今日の予定を聞くと、少しだけ嬉しそうな表情になって。表情に違わない声色で「今日は大将に呼ばれてる」なんて返された。大将とはつまり、少年院で出会ったと聞いているのことだろう。
 なるほど、だからいつもより早い時間に起きているのか。憧れの大将に会うのに適当な格好では行けない、と。この分ならばそろそろ長兄も起きてきそうだな。

 ──よし、寝起きの悪魔長兄が襲来する前にさっさと退散するか。

「ア、そうそう。大将がそろそろサブローにも会いてえって」
「……は? 何で」
「兄ちゃんがすげえ話すんだよ……ネンショーに居たときから謎に会わせたがっててさ……」
「ワー……マジか。了解」

 次兄の淹れてくれたやたらと美味しいエスプレッソをベースにした、適当なリーフを描いたラテを一息で飲み干して。「今日終わったあとで行けたら行くよ」と言えば、ややげんなりした顔で「そうして」とだけ返された。聞けば、大将の機嫌が悪いときに私の話を持ち出されると躱すのが大変なんだそうな。
 ──なるほど? 庇ってくれているらしいことは素直に嬉しい。喧嘩をしたことにしていてもなお変わらないらしい、頼れる竜胆の兄貴 ・・・・・のためにも、今日は早く切り上げるか。

「よし、そろそろ行こうかな。エスプレッソありがとう。今日も最高に美味かった」
「ドウイタシマシテ。茶と飯すげえ美味い蓮にそう言って貰えて嬉しいよ」
「コーヒーは?」
「いつまで経っても泥水」
「ンフ、何も言い返せなくて泣いちゃいそう」
「おー泣け泣け。あ、カップは流して食洗機に入れといて」
「りょーかい」

 そうして、言われた通りにカップを流し、食洗機に入れ、マスクと薄い手袋を着けて家を出る。それから、タワマンから少し離れた場所に借りている屋内型の駐輪場まで歩き、とうに乗りなれたワルキューレに跨った。
 当初は出資者の下心に辟易しつつ乗り始めたものではあるが、それでも、散々乗りまわした今となっては唯一無二の相棒だ。手ずからカスタムを重ねたアメリカンスタイルの躯体も、黒いボディとシルバーの配管とのコントラストも気に入っている。

 サングラスを取り、躯体に色を合わせたフルフェイスのメットは被った。準備は万端。堕天使の加入がそんなに嬉しかったのか? とでも勘繰りたくなる様なロゴデザインの──"WARUHARA"の冠を戴いた首のない天使を背負い、静かな愛機に乗って向かうのは、とうに行き慣れた新宿である。

 知らなかったとはいえ総長の兄真一郎君を殺し、巻き込んでしまっただけだからと圭介を庇って。一人で寂しく少年院に入ったというナンバースリーは──果たして、どんな人間なのだろうか。


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