44.機嫌が良くても同じことをした

 次兄から入っていたらしい『やっぱ今日来ない方がいい』のメールに気が付いたのは、横浜の薬局で頭痛薬を買い、その駐車場で水と共に流し込んでいる最中のことだった。何でも、大将の機嫌が最悪らしい。
 今更出直すことも面倒だとして『もう着く』とだけ返信して単車に跨がれば、走っている最中にポケットの中で携帯が震えた。大方『マジか』とか『大人しく兄貴の言うこと聞け』とか、そんなところだろう。後者は割とよく送られてくる文面だ。

「遅えよ」
「はー? 皆さんもさっき集まったばかりじゃないですか」
「生意気なことを言うのはこの口かー?」
「痛い痛い痛い!」

 目的地に着いた途端に飛んできたのは──長兄からの、サングラスごと顔面を握り潰すのではないかと思うくらいのアイアンクローだった。この握力ゴリラがよ、なんて言葉は心の内にしまい込み、代わりとばかりに「やめてください蘭君・・!」なんて絶叫を上げる。
 そうすれば、長兄は一瞬微妙そうな顔をして、そっと顔から手を離してくれた。なんでも、この呼び方はまだ慣れないらしいのだ。ようやく"蘭の兄貴"呼びに慣れたところだったらしいからには、さもありなんとも言えよう。

 ──クソ、レンズに指紋が付いた。ただでさえ頭が痛いのに何をしてくれる。ついさっき飲んだばかりの薬だってまだ効いていないのに。

 髪で顔が隠れるように軽く俯き、サングラスを外してレンズを拭く。その間にも、背中には「珍しいものを見た」とでも言いたげな視線が突き刺さっていた。
 ──まァ、確かに、我らが長兄が大人しく引き下がることなどそうないことであるので。多少煩わしいその視線も正しい感想から来るものなのだろう。

 さて、一虎と途中で拾ったタケミチ君を家まで送り届けた後、単車を飛ばして馳せ参じたここは横浜だ。具体的には、後に最恐の暴走族になる予定であるらしい『天竺』──の、幹部になる予定のS62世代達の溜まり場である。
 ここまで全てニッコニコで話してくれた次兄の受け売りだった。その話を聞く限り、既にそこそこ会っているらしい。

 ちなみに、天竺自体はまだ創設されていないらしく。故にこの場はただの溜まり場でしかなかった。
 そして今日は、何やら大将に呼ばれているらしいと聞いたために単車チャリで来た。ただそれだけの話だった。──はずなのに。

「オマエがサブロー?」
「はい、左衛門三郎です。大将、というのは黒川イザナ君で合ってますよね」

 サングラスを掛け直し、次いで続けるはずだった「何か御用ですか?」は言葉にならなかった。さっきまで長兄に掴まれていた顔目掛けて飛んできた、険しい顔をした生気のある黒川イザナからの蹴りを避けるので精一杯だったからだ。なるほど──流石にコレは聞いていないぞ。

 詳しく教えてくれなかったことへの抗議を込めて次兄を探せば、少し離れたところで「あちゃー」なんて言って額に手を当てている姿が見えた。マジでどうしてくれようかあのクソ兄貴。『あちゃー』じゃないが?

「余所見とか余裕じゃん?」
「ない、ないない、そんな余裕ないです!! はァ!? 何!? マジで急に何ですか!?」
「その割に全部避けてンじゃねえか……!」
「ンな骨まで逝きそうなモン死ぬ気で避けるでしょうよ! ッぐ……!!」
「おー、やっと当たったか」
「痛ッてえ〜……エ? 今ダンプにでも轢かれました?」
「ははっ、随分口が減らねェなァ」

 ──それにしても。頭痛薬も効いてきて、少しはモノを考えられるようになった頭は僅かな違和感を掬い取った。

 何年か前に所用・・で調べた限り、この黒川イザナは、兄も含まれる極悪の世代の誰よりも強いらしい。ただ、そんな人の蹴りにしては、幾分か鋭さが足りない気がする。コレならばまだマイキーか、そうでなくとも半間の方が良い蹴りをするのだ。
 流石に一発もらってしまったが、話に聞いていた最近の・・・黒川イザナであれば。どう自分を過信したとて、その一発でKOされるはずなのだ。はて、何かあるのだろうか。いや、というよりも──何を見落としている?

 次兄からは彼の機嫌が最悪であることを聞かされている。その綺麗な顔をずっと歪めているのも、単に機嫌が悪いせいだと思っていた。
 しかし、その前提が微妙に違うのだとしたら? 例えば、彼の機嫌が最悪になる要因が明確に存在するとか。命知らずにも誰かが機嫌を損ねる真似をしたことではなく、もっと他に原因が──つまりは、私の不調と似ているとか。

 そう思い至った次の行動は早かった。ダンプカーもかくやな蹴りを正面から受け ・・、想定通り派手に吹っ飛ばされたついでに、その先で次兄が座っていた四足の丸椅子を強奪して。それから、背後に迫っていた黒川イザナの顎目掛けて振り向きざまに肘を打った。
 当然上体を反らして避けられたものの、何ら問題はない。ここまでは急ぎ脳内で組み立てた作戦の内だったから。

 僅かに体勢を崩した胴の辺りを、手に持った椅子に全体重を掛けて引き倒して。ギャラリーから少し離れた場で椅子の脚の間に拘束してしまえばこちらのものだ。その上に座ってしまえば──少なくとも本来の馬力が出ない彼は動くことが難しくなる、なんて計算だった。まさかこうも上手くいくとは。

 諦め悪く「テメェ……!」と叫ぶ黒川イザナに、行儀悪くも脚を開いて座った椅子の上から上体を折って顔を近付けた。耳元で「あまり大きな声を出すと頭に響きますよ」なんてカマを掛ければ、動きがピタリと止まった。──まァ、なんだ。大体の予想は当たっていたのだろう。

「さっき買ってきたんですけど要ります? 飲みかけですけど」
「……どれ」
「✕ヴの一番強いの。飲めるやつですか?」
「もらう」
「了解です」

 話に聞く王様・・がここまで弱々しくなるのであれば、気圧による影響は私よりも重いと見て構わないだろう。一連の流れを大人しく観ていた未来の幹部はコレを知っているのか、或いは調子が優れずとも王様の機嫌が悪いのはいつものことなのか。
 ──いや、それは流石に分からないな。何せ多少情報は集めているとはいえ、兄以外は全員初対面だ。細かい感情の機微など分かるはずもない。

 そうして、一応の配慮としてギャラリーに見えない様にご所望通りの頭痛薬をこっそりと握らせて。寝転がったままでは飲むものも飲めないだろうと思い、薬を前にして戦意も失せた様子の黒川イザナを解放した。

 薬を飲むための水を求めたのか。フラフラと奥の部屋に消えていったその背に「また改めてご挨拶に伺いますね」と声を掛ける。片手は挙げられていたから、聞こえているし許可も得られたとみて構わないだろう。分かり辛いな。
 いやでも、気圧で気が滅入っているのであれば仕方がないか。小さく反応を返すことすら億劫になる気持ちも分かるのだ。

 ──ことが起こったのは、黒川イザナが向かった部屋の扉が完全に閉じられた頃だ。揃って悲愴な声で「蓮!」と叫んで駆け寄ってきた兄達には思わず笑ってしまった。
 他の人も居るのにその名前を呼ぶんじゃないよクソ兄貴共。



「つーかオマエ、今日来るなっつっただろ」
「大事なメールはもっと早く送ってください」
「ここ来て即行送ったんだワ」
「大事なメールはもっと早く、詳しく送ってください」
「シレッと言い直せば良いってモンじゃねーからな?」

 私に引っ付いて離れなくなってしまった長兄を無視して次兄と喋っていれば、ギャラリーに居た一人が「……エ?」と声を上げたのが聞こえた。ここに居るのは私を含めた灰谷が三人と斑目獅音、それから望月莞爾と鶴蝶だ。
 ふむ──今日ここで天竺を結成するつもりだったのだろうか。いや、武藤君が東卍に居る以上それはないか。望月の傍の机にメジャーが置いてあることから察するに、結成に先んじて特服を仕立てるつもりだったのか。武藤君も居ないのに?

「レンって誰? オマエ、サブローじゃねえの?」
「アッ……」
「申し遅れました、左衛門三郎です」
「いやいやいやいや、流石に無理があるって」
「欲しい情報、潰したいチームなどがありましたら、なんなりとお申し付けください。もちろん、見合った対価をご用意の上で」
「聞けよ。つーか商魂逞しすぎな」
「あ、対価は基本煙草で構いませんよ。気分的にマイセンだと嬉しいです」
「聞けって」

 純粋に意味が分からないという顔をして「オマエらの舎弟どうなってんの!?」なんて喚く斑目に、次兄は短く「喧嘩中ッス」とだけ返していた。長兄はずっと私の背中にへばりついて、後ろから肩に顔を埋めているので使い物にならない。そろそろ暑苦しいから離れてくれないかな。

「蘭見てみろって。コレで喧嘩中は無理があんだろ」
「兄貴……? 何かあるんスか?」
「嘘だろ? 見えてねえの?」
「や、見えてるッス。でもマジで喧嘩中なんで」
「だから……ええ……これオレがおかしいのか……?」

 平然とした顔でシラを切り通す次兄のおかげで良い感じで話も流れてくれそうだな、みたいなことを考えていた折──「で? さっき竜胆から何か聞こえたが?」と加勢をしたのは川崎呪華武の総長、望月だった。残念、流されてはくれなかったみたいだ。
 諦めて「左衛門三郎は姓、下の名前が蓮です」と言えば、各所から「はァ?」なんて声も聞こえてきた。何さ、苗字だけ名乗るのなんてアンタらもやってンだろ。旧姓ではあるが。

「基本下の名前は名乗っていないので、今後機会があればサブローとでも呼んでください」
「まァ……とりあえずはそれで良いか」
「ええ、くれぐれもよろしくお願いします」

 極悪の世代ともあろう人達が大人しく引き下がってくれたのは、やらかした自覚のある兄が揃って睨みを効かせているからか。或いは──少し考えかけて思考を放棄した。正直、引き下がってくれるのであればどうでも良かったのだ。


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