4.遺物は我が手にありて

 ──2002年春

 不味い飯、ウザい教官、ペラい布団、狭い部屋。唯一の収穫は大将と出会えたこと。唯一の癒しと言えば、可愛い弟と一緒であることくらいか。

 ここに生意気でイカれた可愛い妹もいれば最高ではあるものの。わざわざこんなところに連れて来る必要もないとして置いてきた以上、此処を出てから堪能する他ないだろう。
 そもそも妹が何かをやらかしたとて、性別的にオレらと一緒の少年院には入れないのだ。だからこそ外に置いてきたとも言える。一緒に居られないと分かりきっている地獄に突き落とす必要もないのだから。

「灰谷蘭!!」
「あー? 今日はまだ何もやって、」
「手紙だ」
「……ハ?」

 する気もない更生のためだとされる日課を無感情にこなし、ようやく訪れた自由時間で。鬱陶しくも教官から絡まれたと思ったら──言われた言葉は、いつもの様な煩い小言ではなく。ただ一言、手紙だと。
 とりあえず渡されるままに受け取ってしまったが、ネンショーに届けられる手紙は原則三等親以内だったはずだ。もしくは更正に必要だと判断された場合、だったか。

 封筒の厚さから考えても、用件人間なおふくろではない。こちらから連絡をしたとしても返信はそう多くなく。向こうからの連絡なんて、たまに用件だけの短文が来る程度なのだ。
 昔に教えられた口座に定期的に結構な金が振り込まれるからには、オレと竜胆への情もないわけではないことくらい知っているが──それはそれ、そんな人がそこそこの厚みになる手紙を寄越すとは思えない。

 クソ親父は昔からオレらに関わろうとしないから絶対に違う。そもそもおふくろの地雷に手を出した以上、紙に文字を綴ることができる状態でいられるとすらも思っていない。どうせ灰谷が増えた時点で死んでいるはずだ。
 祖父母に至っては顔すら知らない。叔母はとうに死んでいると聞いた。更正に必要だと思われる様な手紙を、わざわざ送ってくる様なトモダチなんかは居た記憶もない。

 では誰から──そう思って視線を遣った記名には知らず口元が緩んでいた。なるほど、確かに。具体的にいくつになるのかの計算はややこしいからとしていなくとも、三等親以内であることに間違いはないか。

「何だ、手紙か?」
「そー、オレの可愛い……」
「……可愛い?」

 寒い季節が過ぎ、暖かい風が吹くようになって、暑くなって、また寒くなって。その寒さを通り越して、それからようやく届いた手紙だった。筆無精なところはおふくろの血筋だろうか。
 そんなどうでもいいことを考えて──旧姓のみの記名と、後から入ってきた奴らから少しだけ聞いたオレらの舎弟・・についての噂を思い出して、一度言葉を止めた。ここで知り合った不良相手に、何と言ってやることが正解なのかと迷ったから。

「ふはっ、オレの可愛いおチビから」
「……外にも弟が居ンのか?」
「みたいなモンだけどー? 何で?」
「いや、お前……竜胆に向けるのと似た様な顔してンぞ……」

 なるほど、顔に出ていたらしい。適当に誤魔化したあとも不思議そうな顔をするモッチーには、ついぞだとは言わなかった。
 何せ蓮は、あくまでも性別を誤魔化している舎弟としての記名で送ってきたのだ。心配性なアイツであれば、そこには何かの意図があるに違いないのだから。

 性別を誤魔化したい理由も聞いているし、「性別で必要以上に舐められたくない」と言ったことには納得もした。「手負いの獣かよ」とは笑ったが。
 それに反応した蓮からは、女だったら特に報復の手段に強姦が入ると言われて、だからこそ何があっても自分の身を守れるようになるまでは誤魔化しておきたいとも聞いて。確かに、とも思ったのだ。可愛い妹がその辺の野郎に、ボロ雑巾の如くブチ犯されることはいただけない。

 まァ、それを聞いたときですら、蓮ならその辺の不良くらいであれば軽く潰せるだろうとも思ったが。何事にも例外と想定外があるとまで言われてしまえばそれまでだった。

 だから、というか何というか。いくらオレが嫌いではないと思っている相手だとしても、これだけはオレから誰かに漏らすわけにはいかないことなのだ。
 少なくとも、蓮自身がもう大丈夫だと安心できるまでは黙っておかなくてはならない。我ながら、途中で脇道から生えた妹相手に甘い自覚はある。

 かさりと小さな音を立て、年頃の女にしても飾り気のない数枚の便箋に目を通す。几帳面な字で書かれていたのは──オレらだけ・・でネンショーに入ったことへの文句と、竜胆と揃って刑期が延ばされたことへの控え目な不満と。あとは、迎えに行くからこれ以上延ばされてくれるな、なんてお叱りで。
 意識しているのかいないのか。言葉の端々から伺える『寂しいので早く帰ってきてください』の心情には、わざわざ意識せずとも目元が緩んでしまう。

「ウワ、弟みたいなモンってそういう……」
「……あ? 何?」
「いや……ソレ、封筒の記名からして例の舎弟だろ。ヤベえって噂の」
「何勝手に見てンだよ。金取るぞー?」
「あー……今は金ねえけど、とりあえず鏡見て来いよ。悪いことは言わねえから」
「……はは、ご忠告どーも」

 完全に半身を引いてこちらを見るモッチーの肩を軽く殴り「見なくてもわーってるよ」なんて言って。とりあえずは竜胆を探しに行くかと腰を上げた。そうとは知らないまま、まんまと誑し込まれてしまっていた可愛い弟は、妹の中にあるこれ・・を知っているのだろうか。

 蓮は基本的に、自分に都合の悪い意味のある言葉はこちらが聞くまで話さない性質タチだ。それが単なる事実ではなく、自分の感情になるとより分かりやすくなる。
 だからきっとオレが読み取った寂しさも、わざわざ意識して込められたものではないのだろう。オレには竜胆みたいな取り入り方をしなかった蓮にとって、間違いなくオレに宛てられた手紙から読み取った感情寂しさは、どう考えても都合の悪いものなのだから。──本当に、手負いの獣もよく懐いてくれた様でなによりか。

 ──元々蓮は、自分の旦那と自分で産んだガキよりも、自分の妹とそのガキの方が大切だったおふくろを誘い出すための餌でしかないつもりだった。ボロボロのガキがオレらのところに顔を出した時点で、詳細は分からずとも、おふくろが一番大切にしていた方の宝物が壊れてしまったのだと察することは簡単だったのだ。
 であれば、残った宝物がオレらのところに来ることで、おふくろからの視線と関心がオレらにも向くのではないか。そう考えたから、わざわざに招き入れた。最初の頃は、コレで役に立たなかったら捨ててやろうとすら思っていたのだ。

 ただ──その餌自身にかなり早い段階で絆されてしまったこともまた事実だった。
 それなりの環境で生きてきたはずの手負いの獣が、オレらの前では警戒心を忘れた様に眠ってしまったり、頬を摘んだときの嫌がり方が、共に育ったわけでもないはずの昔の竜胆そっくりだったり。風呂に入れる段階でそのガキの服の下を見て、本心から「これは見ていられない」と眉を顰めてしまった時点で、もうただの餌扱いはできないのだと察したのだ。
 普段から喧嘩三昧で、他人を殴ることも、果ては殺すことも何の感情もなくできてしまうのに。喧嘩自体はかなりできるはずのが、どう見ても一方的に痛め付けられた痕に無関心を保てなかったのだから。

 他にも、本人は食えればそれで良いと思っている様な料理を、オレらに捨てられない為にと頑張る程に健気で。竜胆と二人で調子に乗って教え込んだら、オレらに負けずとも劣らない喧嘩をする様になってしまった程には生意気で。クソ親父に囲われていたときの様に、また一人ぼっちになるかもしれない寂しさを、少しの反抗心に置き換えて心を守っている辺りが可哀想で。

「本当にアイツ、可愛いなァ……」

 一人でも十分生きていける強さ非道さはあるくせに。誰かを周りに置いておきたいのは、その方が楽しいからなのだろうか。それともオレが知らないだけで、本当は一人では生きていけないのか。正直、絆されてしまった以上どちらでも良かったのだ。オレの妹はこんなにも可愛いのだから。

 そんなことを考えているときに見つけた竜胆は、オレの顔を見た途端に「エ、兄ちゃんその顔何? 怖……」なんてことを小さく呟いて。当然、ムカついたのでとりあえず一発殴っておいた。弟だって、相変わらずこんなにも可愛い。
 可愛い弟妹と、喧嘩ができる仲間と、大将が居ればもう何も要らないとすら思えてしまう。あんなにおふくろに執着していたのが、既に遠い過去である気分だ。

「はァ!? わざわざ殴りに来たのかよ!?」
「いやー? 違うけど別にいいや」
「マジで何……!?」
「……なんかさ、やっぱそろそろ蓮に会いてえなって思ったんだよな」
「それはそう」

 ぶすくれた顔で「その話から何でオレが殴られたのかは全然分かんねえけど」なんて言って殴ったところを擦る竜胆に、蓮から来た手紙を渡す。「オレには来てねえンだけど!?」と不満を零しながらも、次第に花でも飛ばしている様な顔になって読み進めていく竜胆を見て──思わず、少しばかりの笑みが溢れた。あーあ、オレもこんな顔してたんかな、みたいなアレだ。

「返事、どうしような」
「飯マズいし少ねえから絶対に来ンなって書いといて」
「ははっ! ソレは絶対書くワ」
「どっかのチームを一人で半殺しにしたとかヤベえ奴とつるんでるとかいう噂に全ッ然触れられてねえのが怖えンだよな……」
「は……? それ初めて聞いたんだけど。アイツ何やってんの?」
「オレに聞かないで」

 それから。途中で「面白れえモンが見れるって聞いた」と顔を出した大将には──後でモッチーは殴るか、なんてことを考えつつも、可愛い可愛い舎弟・・から手紙が届いたのだと笑っておいた。
 器用にも片眉を上げ「手紙が届けられる舎弟、な?」と返されたからには、まァ、モッチーとは違って色々察したのだろう。具体的には血縁とかを。

「んふふ、心配しなくてもそのうち紹介するからさ。楽しみにしててよ、大将」
「ふーん……そんなに良い・・奴?」
「そりゃあもう。サイコーに」

 狡猾で、悪辣で、傲慢で、空っぽ・・・。頭も回るし、喧嘩だって間違いなく強い。そんなオレらの妹であれば、大将のお眼鏡にも適うだろうから。──ああ、もう既に引き合せるのが楽しみだ。


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