54.ニブルヘイムの橋は掛けたまま

 芭流覇羅の溜まり場であるゲーセン──の、奥。
 スロットも置いていない、暴れられる程には広くない。切れかけの蛍光灯はチカチカしていて、換気扇だって断末魔を上げている。そんな部屋で一人、そろそろ換気扇くらいは分解して掃除をすべきかな、なんて面倒極まりないことを頭の端で考えつつも、煙草を蒸かしていた。

 学校帰り、なおかつテスト初日でそこそこに集中力を擦り切らせた今。これからある予定の前に、ニコチン補給をしておこうという魂胆があったのだ。ヤニ切れで進行に支障を出すわけにもいかないのだから。

「左衛門みっけ」
「……おはようございます」
「ひゃは♡ もう昼過ぎてっからなー?」
「テスト受けて来たんだから知ってるっつの……」
「あー……ね。だから草臥れてンのな」

 しばらくそこでぼんやりとしていれば、今日も綺麗に立てられたトサカが顔を覗かせた。いつだったかに、本人からはセットに一時間掛けているとは聞いたが──今日もセット時間に見合った見事な頭ではないだろうか。

 黄金の鶏冠トサカといえば。チーム名の元ネタでもあろう北欧神話において、ヴァルハラに住む雄鶏グリンカムビであるが──稀咲はそこまで考えて芭流覇羅なんてチーム名にしたのだろうか、とか。唐突に浮かんだ話は心底どうでもいいモノだった。
 半間がニワトリであるならば、私は狼かワタリガラスか、語り手グリームニルか。それとも愛機の通りにワルキューレ戦乙女か、北欧神話における裏切り者のロキか。そう思ったことだってどうでも良いのだ。なんとなく、ワタリガラスかワルキューレかロキのどれかだと思うし。

 ただ──まァ。稀咲が半間のことをニワトリだと思っているのであれば、それはそれで腹を抱えて笑う自信があった。というか、今度稀咲と半間が並んでいる姿を見たら思い出して笑ってしまいそうだ。耐えてくれよ私の表情筋。

 そんなことをぼんやりと考えている脳内を他所に、当の暫定ニワトリは「おつかれさん」とだけ言って。当然の様に隣に並びながらも、自分の煙草に火を付ける。流石に「サボりゃ良いのに」は言っても無駄だと思われたらしい。まァそう。
 次いで、なんでもないことの様に聞かれたのは「最近表に全然居なくね?」だった。──まァ、そもそも、元々表にはあまり居なかったのだけれども。圭介の踏み絵以降は本当に全く顔を出していないのだ。気付かれていたのであれば、そりゃあ聞かれることもあるよな、というのが正直な感想で。

 言おうか言わまいか迷って、一度煙を深く吸い込んだ後に「あまり顔を会わせたくない人が、居るんですよね」とだけ吐き出した。
 同じ様に一度煙草に口を付けて、たっぷりと間を開けたあとに「場地?」と聞いてきたからには──やはり、バレバレだったのだろう。元より相手は何だかんだで察しのいい半間だ。隠し通せるとも思っていない。

「何だ、流石に分かりますか」
「いーや? 今のはカマかけただけ」
「ダッル……」
「ぶっちゃけこの前蹴り飛ばしてたコーラと迷った」
「コーラ……? 何?」
「名前何つったっけ? 眷属の奴」
「エ、あれコーラ君だったんだ……ヤバ、全然覚えてない」
「ばはっ! オマエもコーラ呼びじゃねえか」
「……橋本君ですよ。覚えてあげてください」

 と、まァ。つまり私は上手いこと、死神の鎌を首に掛けられたと。半間本人にはそんなつもりはなさそうではあるものの、意味としてはそのままだ。本気で怠い。適当にはぐらかせば良かった。
 苛立ち混じりに舌を打つ私をいつも通りの高い位置から見下ろして、「喧嘩でもしたン?」なんて。どうも話が戻ってしまったらしいその問いには、何と答えたら良いのかが分からなかったから。話を逸らすためにも、どうしてそう思ったのかを聞いたのだ。

「いや、なんつーか……場地が左衛門のこと気にしてた気がした? みたいな?」
「……はは、なんですかそれ」
「だから元々知り合いなんかなと思って」

 違うのかと傾げられた首を横目に、深く息を吸って。ゆっくりと紫煙を吐きつつも「昔に少し会っただけですよ」とだけ言っておいた。別に何も間違っていない。ずっと昔に会っていただけの幼馴染だ。
 何なら今回で一緒に居た期間だって、もう既に半間の方が長かったりする程度の──言ってしまえば、その程度のはずなのだ。私はともかく、今の圭介にとっては。

「それで、そのときに割と結構な喧嘩をしてたンで。何となく顔合わせ辛いんですよね」
「アレ? そういうの気にするンだ」
「まだここに居る時点で分かるでしょう」
「あー……そういやそうだな。アニキとは仲直りすんの?」
「できたら良いですけどね」
「フーン……」

 途端に拗ねた様な顔になった半間には少し笑ってしまった。笑ったままに「半間が総長代理な内は居座るつもりですよ」なんて言えば、怪訝そうに「ソレが冗談だったら流石にキレるからな」と言われてしまって。またひとしきり笑ったのだ。
 こんなに楽しい場所をそう易々と──10月31日にもならないうちに──手放すと思っているのであれば、随分とまァ。

 とはいえ、正直に言えば。圭介と結構な喧嘩をしていたといっても、そこまで引き摺っているわけではない。『結構な喧嘩』は常日頃からやっていたことであるし、元々そこまで引き摺る様なモノでもない。けれどそれは、今この場で言うべきではないから。
 そこまで考えて、一度肺の中の空気を出し切った。──いい加減、半間相手に誤魔化し続けるのも苦しくなってきたのだ。

 タケミチ君には、芭流覇羅を居場所と定めた一虎はそう易々と離れない、みたいなことを言った記憶があるが──それは正直、私も同じだった。
 時期的にかなり考えなければいけないことも多くなって、ままならないことも増えたが、芭流覇羅自体は間違いなく楽しいのだ。チーム全体への仲間意識は特になくとも、ここには半間が居て、稀咲も比較的近くに居て、圭介だってまだ生きている。これで他に何を望むことがあるだろうか。

「左衛門さァ、アニキと仲直りしたらソッコー戻りそうじゃん」
「ははっ! 言えてる」
「だりぃ〜……言えンな……」
「ま、しばらくこちらから仲直りする気は起きないので。その辺は心配しないでくださいよ」
「しばらく、なァ……」

 全力でバカをやれる半間が近くに居て、ここに稀咲も居れば最高で。兄は多分──特に長兄は──二人とは合わないだろうから、そのうちできるらしい天竺に居てもらって。あとは圭介が、どうせなら一虎も連れて東卍に帰ってくれたら理想そのものだった。
 コレはまァ、どんな結果になっても11月になれば泡と消える理想であるし、寝不足だったときに現実逃避も兼ねて考えたモノでもあるのだが。

「は〜……もうオマエ一生アイツらと顔合わせンな」
「おっと、結構難しいこと言いますね。こちとら一応六本木がホームですよ?」
「……そーだった」

 フゥ、と煙を吐いて。数秒ぶりに「だりぃ〜……」と零した半間の声を流し聞き、そろそろ予定のある池袋に向かうかと脚に力を入れる。
 煙草を灰皿に押し潰し、近くに置いていたペットボトルのお茶を飲み、マスクを付け直していれば──事務所の扉が叩かれた。返事をする前に開かれた扉から「サブローいる?」と顔を覗かせたのは一虎だ。

「居ますよ」
「今時間ある? 場地が話したいって言ってンだけど」
「ないです」
「……は? 今理由聞いて断った?」
「や、本当に時間はないです。今から池袋行くンで」

 平べったい目をして「誰か代わってくれます? 他所のチームのトップに頭下げに行く係。当然喧嘩をして帰ってくるわけにはいきませんけど」と一虎を見つめれば、何度かの瞬きの後にそろっと視線を逸らされる。半間は無言で新しい煙草に火をつけた。絶対ェ動かねーから、のポーズだろう。
 つまりはお互い、自分では無理だと理解しているのだ。もしくは普通に怠いのだろう。気持ちは分かる。私だってほとんど関わりのない相手だったら怠さが勝つのだから。

「そういうことなので、また後日」
「『後日』なら良いの?」
「機会があれば」
「いや、それ作る気ねーやつじゃん……?」

 困惑気味に吐かれた一虎の言葉を聞かなかったことにして、事務机の上に置いていた微香料の消臭剤を一通りブチ撒ける。
 単車で匂いも飛んでくれよ、なんてことを願いつつも部屋の外に出れば──まァ、居たのだ。壁に凭れて腕を組み、少し俯いている幼馴染が。解かれた髪で顔なんて見えたモノではない。

 もう既に半間と居た時間の方が長くなっているとしても、相手は保育器からの幼馴染だ。本当に言いたいことがあるのだろうな、ということは流石に分かっていた。
 けれど生憎、私は圭介と無闇に関わりたくない。何なら大義名分としての予定もある。外せない予定であるからには──今、この場で圭介に応えることは無理なのだ。たいへん心苦しいが。

 そうして、言葉どころか視線すらも交わることなくその場をあとにした。通り過ぎざま、手触りの良い丸い頭をひと撫でしてしまったのは許してほしい。どうしても今、圭介は生きているのだという実感が欲しかっただけだから。



「ひゃは♡ アレは狡ィわ」
「……半間でもそう思うんだ?」
「あー……まァ、ぶっちゃけ無意識っぽいのが余計にな」

 煙草臭さの中に甘くないレモンの消臭剤が香る、小さな部屋の中で。可哀想になァ、と零された音は──おそらく、本人達には聞こえていなかった。


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