憎悪ではっきりしない頭で、オレを裏切った場地を刺そうとした──ら、その腰にまとわりついていた東卍共々、場地はもの凄い勢いで横に吹っ飛ばされた。思わず「は?」と声が出たのも当然だろう。
下手人はそれなりに綺麗な前転を決めて着地した先で、こちらに背を向けてしゃがみ込んでいる。廃車の影へと派手に吐いていたらしいソイツは、しばらく呻いた後、目元だけで緩く振り返った。
今日に限っては被っていたフードも落ち、いつもの胡散臭いサングラスの奥で怠そうに目を細めて。それから、ご丁寧にも、吐くために外していたらしいマスクを戻してから立ち上がる。
「……わり、流石に
「いや、エ……?」
「でもまァ、今のは踏ん張れなかった奴が悪ィってことで」
「はァ……!?」
一度派手にブッ飛ばされて、懲りずに跳んで戻ってきたソイツは「ソレ、こっちのセリフなんだよなァ」なんて言って。聞き慣れない荒い口調もそのままに、ナイフを持ったままだったオレの手を、初めて顔を合わせた日よりも、少し厚くなった気がする革手袋で包み込んだ。
オレと目線を合わせるためか少し屈んで、いつものサングラスがずり下がった拍子に、初めてその中を見た。普段から何種類持っているのかと聞きたくなる程のカラーレンズで隠されていたソレは、透き通った青紫の瞳だった。
この特徴、どこかで──いやでも、しかし。初めて何のフィルターも通さずに見たその目に虚を突かれたとしても。オレには癖だと言って、頑なに崩さなかった胡散臭い口調が崩れていたとしても。コイツはサブローに違いないのだ。
だって、遠くから跳んで来て場地を蹴り落とせる奴なんて他に思い浮かばない。ここまで派手なサブローの喧嘩は見たことがなくとも、口許が引き攣る様な噂が山ほどある"堕天使"の喧嘩であれば、その程度のことはできなくもないのかとも思ってしまう。
何せ、半間とのあのタイマンで息切れ一つしていなかったのだ。その半間をもってして人外と言わしめるサブローであれば、そのくらいできなくては。──まァ、流石に吐いてたけど。
そんなサブローは、抗争の最中だからなのか、いつもの比較的静かで冷たい雰囲気はギラギラとした荒々しいモノに変わっている。しかし、いつもよりドスは効いている割に、特別低いわけではないいつもの声で。
一見すると優しそうにも見える垂れた目を少し細めた、いつもの冷たい笑い方で──いや、違う。コレはもしかして、笑っているわけではないのか。まさか、今までもずっと。
「……何だよ。全然羽根捥がれてねえじゃん」
「あ? あー……ソレの文句は半間に言ってくれ」
「は……?」
「付けたのアイツなんだよ。あと一虎、武器使用ナシってルールは覚えてるか?」
「ハ?」
オレの呟きは軽く流すことにしたらしい。唐突に形だけのルールの話を持ち出されて、思わずぽかんと口を開けた。
サブローだってそのルールが形だけであると理解はしているのだろう。気まずげに視線をウロウロとさせた後、「……悪い、言い方を変える」と言って、内緒話をする様に耳元に口を寄せられた。
「前に言ったよな。お前の感情はお前のモンだ、味方は見極めろって」
「急に何を……」
「
落ち着いた静かな声が、モヤがかかった脳みそに染み込んでくる。オレが殺したかったのは、マイキーで。マイキーだけのはず、だったけれど。
視線をオレから外したサブローにつられてそちらを見れば、随分と下の方で脇腹を押さえた場地が呻いている。
だって、場地はオレを裏切ったから、殺さないといけなくて。味方である稀咲を殴り飛ばした時点で、オレを裏切ったも同然で──アレ?
──オレが殺したかったマイキーを守った稀咲って、そもそも誰の味方なんだ?
一応、稀咲からは、ポーズとしてマイキーを守ることは聞いている。きちんとオレが殺せる様にするとも聞いている。だとしても、稀咲が参番隊の奴らを引き連れて来たのであれば、ソレはどうしたって難しくなるワケで。
──何で? 稀咲は、いつから。
徐々にモヤが晴れてきた頭でそんなことを考えていると、徐に顔を上げた場地が眉を寄せた。オレから微妙に外れたところを見て、次いでその視線はオレの手元に移動する。手元のナイフの前、一体
酔ってしまいそうな程に目まぐるしく回る思考の中で、そういえばと思い出したことがあった。いくつかの違和感と、ずっと昔の話だ。
これは前から思っていたことではあるれけど、サブローの声は圧がある割に、音だけで聞けばそれほど低くはなかった。声変わりはとっくに終えているはずなのにも関わらず、だ。今まででも気になったのは声だけだったから。個人差もあるよな、で済んでいたのに。
イカれた噂だけではなく、大前提として半間が頻繁にタイマンを張りたがる相手だから。事実、派手なタイマンができる奴だから。そもそもが芭流覇羅内で見劣りする程の存在ではなく、オレよりタッパもあったから。だから何の疑問もなく、普通に、野郎だと思っていた。
それでも、さっき初めて握られた手は。革手袋越しとはいえ、六本木を制したこともある程に喧嘩に慣れた痩せぎすの野郎にしては柔らかくなかったか。
しかもサブローは、場地が芭流覇羅に入ってからもずっとわかりやすく避けていた。オレが場地にサブローのことを話したときだって、場地は首を傾げるばかりで会ったことはない様子だった。
それだって、自分が連れてきたわけではない新入りは必ず顔を確認して、徹底的に裏を取るサブローの動きにしては違和感があったのだ。基本的に誰にだってフレンドリーなサブローが珍しいなと思って、多少居心地が悪くなったことだって確かだ。
とはいえ、これだっててっきり、サブローが
稀咲が良しとしたから、わざわざ会って確認するまでもなく。稀咲が良しとしたから、サブローが気に入っているわけではない人でも、芭流覇羅に居ることを受け入れたのかと。
でも、さっき小声で言われた言葉は稀咲に従っている人間としてはあまりにも不自然なもので。他には、稀咲だって場地を良く思っていなさそうで。
もしも仮に、場地に対するサブローのその態度が、稀咲を理由にしたモノではなかったのだとしたら? オレはちゃんと聞いたワケではないけれど、元々場地と知り合いだったらしいし──ああ、つまりそういうことか。
『渋谷から出た後』、つまり元々は渋谷に居たって、サブロー本人も言っていた。何なら、サブローは自分から男だと言ったこともない。──なるほど、嘘は言っていないな。
いくつかの引っ掛かっていたピースを繋ぎ合わせて、そうして浮かんだ可能性は突拍子もないものだ。分かっている。それでも納得せざるを得なかった。
だってまさか、いつかの場地がアツく語った
「サブロー……オマエ、」
「あ、さっきよりもだいぶマシな顔になったな? ヨシヨシ、偉いな一虎」
「いや、は? オイ」
いつものように言いたいことだけを言って。オレの声をガン無視したサブローは、頭に乗せられていた方とは反対の手にオレのナイフを掲げて見せる。──嘘だろ、いつの間に盗られたんだ。
驚いているオレをいつものようにシカトして「
「
「……?」
「都合の悪いことをやるンならさ、こうすれば良いンだよ」
これは、と思った一瞬で良いイタズラを思い付いた様な顔に変えて、抑えた声でそう言って。視線もくれずにひょいと投げた先で。
オレが場地を刺そうとしていたナイフは、マイキーを守りに出しゃばってきた参番隊の腕にヒットした。それから、何度か軽い音を立てて廃車の間に消えていく。
ナイフが掠ったらしい旗持ちの呻き声が聞こえる。ぐるぐると慣れない頭を回している最中の突然の行動に驚いて、飛んで行ったナイフからサブローに視線を戻せば──さっきまで居たところにはもう、居なくて。
「よォ、無敵のマイキー」
息を詰め、必死に視線を巡らせた先。東卍の旗を落とさないうちに奪い取ったその痩躯は──慣れた様子でマイキーを煽っていた。
サブローのその様子を見て、また少しだけ考えて。ついさっき聞いた言葉に納得したと同時に、その前にシカトされた疑問は確信に変わった。
確かに、今のはパッと見ナイフを投げ捨てただけだ。確かに、廃車の間に入ってしまったナイフは
確かに、普段の胡散臭い口調を崩したサブローはどこにでもいる不良みたいに口が悪かった。確かに初めて見たサブローの瞳は──まさに、昔に場地が熱く語った通りのものだったのだ。
不意に、当時はずっと続くと思っていた懐かしい平穏を思い出す。マイキーにブチ壊された──いや、あの懐かしい平穏をブチ壊してしまったのは。オレを止めようとしていた場地を付き合わせて、都合の悪い証拠を残してしまった自分だ。
「……何だ、全部オレのせいじゃん」
力なくそう呟いた頭の中では、さっきまでいっぱいいっぱいに詰め込まれていた誰かへの殺意など何処かへと消えてしまっていた。サブローは『都合の悪い証拠を残した奴はそれを償う義務がある』と言った。だとしたら──サブローの言った通りなら──オレにはすべきことがある。
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