66.未来はその手で掴み取れ

 投げナイフの要領で旗持ちの腕にナイフを掠らせ、突然の痛みに取り落とされた旗をダッシュで奪りに行く。旗持ちを任されているのであれば、ナイフが掠ったくらいで旗を落とすな──とは思うものの。これは本当に東卍の旗に誇りを感じている人間であれば、が大前提にある場合の話なのだ。

 稀咲の手先にあるにしても、もう少し真面目に擬態しろというか。むしろ駒の教育くらいきっちりやれというか。誰に詰めの甘さを指摘すればいいのかすら分からないお粗末さだ。旗持ちといい私といい、稀咲だって駒にする人間はきちんと見極めるべきだろう。

 と、まァ、そんなことは思っても。そもそもの話、投げたナイフは掠っただけであって。あくまでも一虎の持っていたナイフを捨てるために適当・・に投げた軌道の経由地に、たまたま・・・・旗持ちの腕があっただけだ。ナイフ自体は刺さってもいない。そもそもナイフの所有者は私ではないし、ついでにそのナイフも既に回収不能だ。
 だからまァ、何というか。私も一虎も多分、大丈夫だろう。傷害罪だって抗争なんてものをしている時点で今更だ。もしも万が一警察が来たら、念の為にナイフを持ち出した一虎を引っ掴んで逃げれば良いだけの話で。身代わりにできそうな人も、警察への賄賂だって用意できるのだから。

「よォ、無敵のマイキー」
「……オマエさあ」
「東卍の誇りは芭流覇羅の手中にあるけど」

 死ぬ気でダッシュして回収した旗を持って視線を向けた先、廃車に膝をつくマイキーを見下ろして「まさか、もう終わり?」とかなんとか言って。稀咲の前で余計なことを言われる前に、担いだ旗を振って意識を逸らした。
 ──いや、幼馴染が相手だとしてもこの程度で逸らされるんじゃない。しっかりしろ総長。

 そうして煽って見せれば、マイキーはゆっくりと瞬きをして。多少ふらつきながらも「上等だ」と立ち上がる。
 その姿をじっと見つめて、それから、マスクの中で静かに口角を上げた。流石のマイキー、東卍の頭としてもまだ潰れていないらしい。

 完全に殺る気の総長にもう一度旗を振り、「ちょっと待ってろ」とだけ言って視線を巡らせる。大人しくしてくれている辺りからしてこちらの意図は正しく伝わったのだろう。
 何せ流石に、この大仰な旗を持ったままで喧嘩はできないのだ。他人の誇りで誰かをタコ殴りにする真似もしたくないし、マイキーだってそれは避けたいはずだ。

 そうして。正しく旗に誇りを持つ人間として、元々当たりをつけていた人の元へと駆け下りた。驚いている様子はあれど、まァ、多分大丈夫だろう。

「なあ踏み絵、これ頼めるか? つーか持ってろ」
「は……?」
「誇り云々は好きにしろって感じなンだけどさ、喧嘩するなら普通に邪魔なんだよな」
「え、いや……ちょっと、」
「ハイよろしくー」
「はァ!?」

 困惑しきりの松野に旗を押し付け、元々は蹴り飛ばすつもりのなかったタケミチ君東卍の新入りを見て。それからどうしてか、昔によく見た泣く数秒前の様な顔でこちらを見る圭介に向き直った。

「ブッ飛ばして悪かったな。立てるか?」
「マジか……」
「あ? 何?」
「……何でもねえよ」
「そっか、じゃあ立て。流石に一人で全部はだりーンだわ」

 座り込んだままに目を白黒させ、ギリギリ聞き取れない程に小さな声で何事かを呟く圭介に手を差し出して。「潰しに行こうか、エドワード」なんて言って、いつかのようにゆるりと目を細めれば──少しの躊躇いの後に、その手が重ねられた。
 よしよし、圭介も稀咲への殺意は消えていないと見て大丈夫だろう。相変わらずのタフネスだな。

「……今日は泣いてねえんだな」
「は? いや……つーか、泣き虫は嫌いなんじゃなかった?」
「別に嫌いじゃねえよ。オマエならどんな風になっても」
「……あ、そう」

 わざわざ抑えられた声で言われた、急に何の話をしているのか、みたいな話題はサラッと流すに限る。本当に何の話をしているのか。抗争中に幼馴染を口説くとか馬鹿も大概にしろ。こんなところで硬派の皮投げ捨てンな。

「……ンで? 一虎はマイキーで、お前は稀咲だっけ? で、半間はどうせ下で遊んでて……ンじゃあ、あとは参番隊か。コレは本領発揮だなー」
「はァ? 堕天使ってくらい強えンなら大将首じゃねえのかよ」

 気を取り直し、声量を戻して。各々が狙う相手を指折りながら確認していれば、横から口を挟んできた馬鹿が居た。マジで馬鹿。堕天使は神に刃向かって負けたから堕とされたんだろうがよ。私が行ったら爆速で負けるぞ。
 とはいえ、昔の様にこの場で解説することすら面倒だ。どうも本気でそう思っているらしい圭介の様子に、どうにか溜め息と心の声を噛み殺して。一虎に動けるかどうかを確認すると、隣からは「ア? いい加減無視すンのやめろや」なんて声も聞こえてきた。当然フルシカトである。

「まだヘーき。殺るのはオレらだけ?」
「ン。エドが稀咲で、一虎がマイキーだろ?」

 「残りをこっちで引き受けるから」と言いかけて、微妙そうな一虎の表情が視界に入って言葉を止めた。聞けば「オレ、マイキーはいい」らしい。

「は? ……急にどうした」
「ちょっとな、心境の変化ってヤツ。だからオレは露払いでもやるよ」
「い、や……そうなるとこっちに大将首回って……」
「ン? ウン、そう言ってる」

 「堕天使ならヨユーだろ」なんて。憑き物が取れたみたいなすっきりした表情でカラカラ笑う一虎に──諸々の思考をすっ飛ばして「やっぱその呼び方死ぬ程ダッセェな」と吐き捨てる。今の一瞬で何があったのか。しかも、お前もかよ。
 少し視線をずらせば腕を組んでウンウンと頷いている圭介がいて。盛大に舌を打ちつつ、既に何に対して苛立っているのかも分からないままに手近な廃車を蹴り上げた。──いや、普通に足に響くな。鉄の塊に八つ当たりするのはやめよう。

 何でもいいから助けてくれの気持ちを込めて稀咲を見上げれば──一応の会話は聞こえていたらしく。可哀想なものを見る目を向けられていた。それも私に。マジであの野郎。

「ア゙ー…………もうそれで良いわ」
「全然良いと思ってねえだろ」
「最早どうでもいいンだよ。とりあえず、お前はあのいけ好かねえクソ野郎の眼鏡叩き割るまで戻って来ンな」
「ははっ! サブロー殺意やべー!!」

 声を上げて楽しそうに笑った一虎と、表情のみで凶悪に笑った圭介と。最早笑うしかない私とで参番隊の群れへと突っ込んで行く。
 途中の参番隊は三人で伸して行くものの。一虎からの「オマエらは行ってこいよ!」の声で、私と圭介は一瞬視線を合わせ──一虎の言葉通りに、方々へと駆け出した。圭介は、駒として使っていた人間が二人も牙を剥いてたじろぐ稀咲の元へ。私は待ちぼうけを喰らわせてしまったマイキーの元へ。

「おせーよ」
「悪ィけど、こんなハズじゃなかったんだよな。これ終わったらお前ンとこのバカなんとかしろって」
「……はは! いや、場地はもう無理だろ」

 道中で道を塞ごうとする参番隊をスルスルと避けて辿り着いた先で。喋りながらも飛んでくる蹴りをしのぎつつ「だってよ! 言われてンぞ新入り!!」と叫べば──遠くの方から「オマエらマジでうるせえな!!!!」なんて、腹から出した様な声が聞こえてきた。
 なるほど。稀咲を守る参番隊の相手をしながらでも、こちらに意識を割く余裕が残っているようで何よりか。

 それからも、とんでもなく鋭いマイキーの蹴りを避けて、避けて。顎に打ち込んだ拳底の影で足を払えば、足元だけは間一髪で躱された。
 やはり次兄相手のイメージトレーニングと本人は違う。普通に違う人間である以上理解はしていたが、まァ、何というか。こうも勝手が想像以上だと少しやり辛いものがあるな。

「何か前よりいい動きするじゃん」
「マジ?」
「ウン、まだ堕天使って程邪悪な感じはしねえけど」
「邪悪って……」

 マイキーの言った『堕天使って程邪悪な感じ』とは、まァ。その呼び方になったときも別に邪悪とまでは行かないはずなのだが。当時はただのノリだったわけであるし。
 それでも、危うく行方不明者を出しかける程に殺意に呑まれていた辺りは──邪悪と言えばそうなるのか。不味い、何も言い返せない。

 とはいえコンディションも悪くなく、圭介が刺される要因も粗方取り除いた状態で今を迎えている現状では、当時程荒れる原因もないのだ。純粋に楽しい喧嘩をしているだけなのだから当然とも言えよう。
 つまり、普段意識している敬語が消し飛んでいても──まだ理性を消し飛ばすほどに荒れてはいないというわけで。

「考えごと? ヨユーじゃん」
「……わり」
「まあ良いけど。そういや全然関係ねえんだけどさー」
「全然関係ねえ話とか余裕じゃん?」
「ウオ、今の蹴り良すぎ! つーか灰谷兄弟の舎弟とか喧嘩したとかって話マジなの?」

 不思議そうな顔でギャラリーに視線を向けるマイキーに「つまりそういうこと」と言って踵を落とせば「つまりどういうことだよ。何か手振られたけど」なんて返されて。
 少しだけ笑いつつも「授業参観のつもりなんだろ」なんて言っていれば、踵を受けた体勢のままで重い蹴りが肩下辺りに当てられた。──ちょっと待て、この場所でそれは不味い。

 咄嗟に当たりどころを外したからか、どこかの兄貴次兄のせいで少しだけ外れやすくなってしまった肩には、命中こそはしなかったものの。グン、と蹴り飛ばされた刹那──軸足が、廃車から外れた。

 バネを使って上に跳んでいない分、さっきよりも飛距離は出ないはずだ。だとしても不安定な体勢で、なおかつ途中でどこにも叩きつけられていない以上、その衝撃は計り知れない。つまりは普通に転落死──マジかよ、こちとらさっき吐いたばっかだぞ。

 こうもあっさりと蹴り飛ばされるとは思っていなかったのだろう。焦った顔で「ヤベ、」と言ってこちらに伸ばされたマイキーの手は、ギリギリで空を切った。

 やけにゆっくりと見えた空中で周囲を見れば、青い顔をして身を乗り出す兄達が見えた。必死な顔で走ってくるタケミチ君も見えたが、まァ、アレは間に合わないだろう。
 圭介と一虎を探せば、揃ってこちらに気を取られ、盛大に殴られた様子が見えた。どちらにもかなり良いのが入った様に見えたものの、別にあれくらいで死にはしないから。
 稀咲の周辺には圭介を殺せそうな程に腕の立つ駒もなく、参番隊もバラけているからこそ、リンチをするにしても人数は足りないと考えて構わないだろう。

 ──だから多分もう、大丈夫だ。

 一応の悪足掻きとして更に視線を巡らせていれば、丁度叩きつけられそうな場所で半間と龍宮寺が揃って口を開けているのが見えて。──頭を回す間もなく、腹から声を出した。

「邪魔だ退け!!!!!!!」
「はァ!?」
「テメェ、マジでふざけんなよクソサブロー!!」

 各々がそう叫んだ刹那、全身に浴びた衝撃は思っていたほどのものではなかった。体の下から二人分の呻き声が聞こえてきたことから察するに、どちらも避けてはくれなかったらしい。
 直後に襲ってきた吐き気に飛び起きて、口元だけマスクを外して地面に胃液を吐けば視界が揺れる。飛び起きた拍子に痛んだ全身に舌を打って、その僅かな衝撃ですら体に響くのだからやっていられない。生きてるだけで丸儲けな場面ではあるが、それはそれ、今日はもう無理だ。

「わり……二人とも生きてます? 死んでません?」
「なんとか……クッションがいたからな……」
「骨と内蔵は? 腹の傷口開いてないですか?」
「多分へーき」

 マスクを戻し胃液のない場所に転がりながらそう聞けば、龍宮寺からの生存報告を聞くことができた。どうも私を受け止めようと動いてくれたらしい。私に巻き込まれて死ぬ、なんてことにならなくて本当に良かった。

 数ヶ月前に一度は救った龍宮寺の無事に安堵しつつ、サングラスを外し、揺れる視界を腕で覆って。最早何に対してかも分からずに少し呻く。
 本命とばかりに、顔を向けずに「半間は?」と聞くと、少しの間の後に「だりぃ……」なんて声が聞こえてきた。なるほど、意識はあれど今すぐに動くことは無理そうだ。
 私の体重と勢いが乗った龍宮寺の下敷きになってしまっては、流石のタフな死神であってもすぐには動けないのだろう。頭を打っていたようには見えなかったし、意識も飛んでいないようで何より。こっちは後で病院にでもブチ込んでおくか。

 それは、ここからどうしようかななんてことを考えていたとき。廃車から駆け下りてきて「レ……無事!?」と叫んだマイキーに舌を打った。今普通にレンレンって呼ぼうとしただろ。自分が吹っ飛ばした敵チームの奴の心配なんかするんじゃない。
 諸々を察したのか、少しの間の後で「平気だっつの」なんて言って、主語を引き受けてくれた龍宮寺には感謝しかない。やはり甘やかし慣れている。

「……アー、どうする? 芭流覇羅はまだ続けるか?」
「当たり前だろ、って言いたいところなんですけどね……」

 あくまでも敵対するチームの人間として対応をしてくれている東卍のツートップに、サングラスを持ったままの手をヒラヒラと振って。声を出すことすら怠そうな総長代理の代わりに「流石にもう動けないです」と言えば、腕の下から揃って「だろうな」とでも言いたげな表情を向けられているのが見えた。

 ──何だよ、ゲロ吐きまくってて悪かったな。



 そうして、東卍の勝利に終わった抗争で。瞼を下ろして地面に転がったままに、威勢のいい「撤収だ!」なんて声をぼんやりと聞いていれば──二つ、影が差した。

「兄貴、コレ生きてると思う?」
「喋ってたし死んではねえと思うけど……」
「だよな……!?」

 傍らにしゃがみ込んで「良かったー……」との声を零す影は、どうやら様子を見に来てくれたらしい。一応、言葉だけは舎兄として取り繕う気はあるらしい。──が、しかし、ついさっき吐いたばかりの胃液を平気で踏んでいる時点で、完全には取り繕えてはいなかった。
 何せ、これが本当にただの舎弟相手であれば、靴が汚れることの方を嫌がって避けるはずなのだ。やはりというかなんというか、随分と心配させてしまったらしい。

「竜胆……の、兄貴」
「……おう」
「ケツからゲロ吐いたみたいになってますよ」
「ハ?」

 私が声を出したことに、何度目かの安堵の息を吐いて。次いで視線を足元に向けて「ミギェッ……」みたいな形容し難い音を吐いた次兄は、しゃがみ込んでいたその体勢のままで横に跳んだ。
 回らない頭で何かに似ている動きだなァ、としばらく考えて。パッと浮かんだそのまま「ああ、カエルですか」なんて言って上体を起こせば、次兄とは反対の側で長兄が爆笑していた。やめろ、頭に響く。

「サブロー、オマエ……もっと言い方あんだろ……」
「おや、それは失礼を」
「ンフ……まあまあ竜胆、サブローが元気そうで良かったじゃん」

 ある程度は復活したらしい長兄からされた「帰れる? 病院まで連れてってやろーか?」なんて申し出は、サングラスを掛け直しながら少し考えた後で丁重にお断りさせてもらった。もう既に必要のない設定であるとはいえ、一応、彼らと喧嘩をしたからこそ芭流覇羅の誘いを受けたのだ。仲直りしたとでも言えば良いのだが。本命の理由だって他のところにあるのだが。

「は? 何で」
「半間、置いて帰るわけにはいかないので。コイツこそ病院にブチ込まないと」
「あー……ね。了解」

 そうして、「ほら、オレらは先帰るぞー」と言って、次兄を引き摺って撤収して行く長兄をぼんやりと眺めて。去り際の長兄に蹴飛ばされてはいても、話は普通に聞いていた様子の半間に「動けます?」と声を掛ける。まだ無理らしい。なるほど。

「横抱きか俵担ぎか」
「……できるモンならやってみろよ」
「OK、おんぶですね」
「だりぃ〜……俵担ぎですらねえじゃん……」
「そもそも今はどっちも無理だって気付いたンですよねえ」

 顔だけをこちらに向けた半間に「腕、もう上がらないですし」なんて言って笑えば、謎に可哀想なものを見る目を向けられていた。じゃあ言うなといったところだろうか。仕方ないだろ、言ってから気が付いたのだから。

「横抱きなら万全のときにでもやってあげますって。そんな残念そうな顔しないでくださいよ」
「してねえンだよなー?」
「はは! 知ってますよ、って首! と腹! 絞まってる絞まってる」
「ばはっ♡ 絞めてンだワ」
「もっかい吐くぞ。お前の脚に」
「やめろよ汚ねえな」

 ──と、まァ。そんな感じで。身長に見合う長い手足で軽く首と腹を絞められつつも、おそらく意図して力を抜いている半間をどうにか背負って。背中に感じる視線を無視し、半間一人分以上に重い足を動かしたのだ。

「……煙草、持ってます? 半間を病院にブチ込む前に吸っておきたいンですけど」
「アー……バイクにならある」
「ンじゃあそこで一服でもするか……」
「顔はいーの?」
「バイクの影覗き込むヤツなんか居ないでしょう」
「ひゃは♡ そりゃそう」


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