70:雁字搦めを抱くエデン

「──はい」
『あ、レンレン? 今度の集会って顔出せる? 正式に芭流覇羅吸収すンだけどさー』

 天国と地獄の着信音を拾い、面倒だな、と思いつつも席を立って。離れた場所まで行って出た電話は、案の定な内容だった。

「前に言いましたよね。無理です。半間からも聞いてません?」
『聞いてるけど……まさかまだ場地に会いたくねえの?』
「それもありますけど。そっちは・・・・喧嘩させてくれないでしょう。ンなところ好き好んで行くわけないじゃないですか」
『そりゃあ女に喧嘩はさせねえけど。レンレンなら参謀としてでもおいでよ』
「もう他から誘われてるんで無理ですね」
『エ、』
「芭流覇羅での私の派閥も全部あげる・・・ンで。それで手打ちにしてください」

 一方的に「それじゃあ」と言って切った電話番号は、その場で着信拒否に設定した。コレでもよく持った方だと思う。半ば強制的に天竺の創設メンバーとなって以降も続く東卍への勧誘の電話に、今の今まで耐えていたことを褒めて欲しいくらいなのだ。

 まずもって、天竺幹部達は東卍で挨拶をした武藤君以外、誰も私とマイキーの関係を知らないはずで。せいぜい抗争の場に来ていた兄が認識しているかな、くらいなのだ。
 そんな中で、が目の敵にしている血の繋がらない弟と無駄に仲良くして、変に勘ぐられることは避けたかった。武藤君に関しては──今は潜伏期間だと言って未だ東卍に籍を置いている以上、特に気にせずとも構わない。

 他で言えば、稀咲は私とマイキーに繋がりがあることは知っているが、それだって稀咲の為に繋ぎ直した縁という認識だ。──まァ、コレは何も間違っていないのだが。
 加えて、天竺が結成されて以降・・の稀咲はイザナ君と連絡を取っている様子はなく。とりあえずのところは無視でいい。天竺結成以前に関しては──考えるまでもないことで。

 稀咲が愛美愛主で成り上がる以前から稀咲の友達として動いていた私が、友達・・から求められた情報には色々なものがあった。初期の頃は何を探っているかを推察されないためか、一見して使い所の全くなさそうな情報だって聞かれて。その中には"無敵のマイキー"の家族に関するものだってあったのだ。

 とはいえ、前回での執心ぶりからして、なんとなく「これが本命なんだろうな」なんて感情は湧いていたが。それはそれ、稀咲が隠し通したいと思っていることをわざわざ本人に尋ねる程に趣味は悪くない。他の手段でも探りようはいくらでもあった。
 第一、それが正しく飼い主に求められた情報である以上、犬として信頼を積み重ねていく過程だった私に伝える以外の選択肢は存在しなかったわけで。元より稀咲がマイキーに取り入ろうが、圭介が死なない結果が手に入ればどうでも良かったのだ。

 その過程で、マイキーの兄真一郎君が大切にしていた人として、イザナ君の名前だって挙げた。黒龍の7代目総長で、真一郎君が亡くなって以降は灰みたいになっていることだって伝えたのだ。

 一方でその後、兄に連れられて顔を合わせたイザナ君は、私がかつて調べた通りのではなかった。それが稀咲に情報を流した後であった時点でお察しで。
 稀咲がマイキーを操るために、その当時から打っていたいくつかの布石のひとつがイザナ君、ひいてはこの天竺であることに間違いはない。抗争前にタケミチ君から聞かされた未来にも繋がるし。相変わらずの用意周到さだと評価するしかないだろう。

 稀咲にとっての『黒川イザナ』は、マイキーを空っぽにするための駒でしかないのか。或いは、マイキーの代替品にするつもりでもあるのか。それは流石に分からないが──と、何の話だったか。

 そう、今のところ天竺に関わりのある人間のうち、私とマイキーの関係を正しく・・・知る人は、武藤君以外に居ないはずである、という話だった。つまり何らかの弾みで天竺勢に知られてしまえば、確実に面倒なことになるのが分かりきっているわけで。

 兄には「聞かれなかったからって言わなくて良いワケじゃねえんだぞ」と詰られることが容易に想像できる。彼ら以外では、内通者の三文字が浮かぶ人だって居るだろう。武藤君を東卍に送り込んでいる時点でその可能性が浮かばないわけがないのだ。
 加えて、万が一イザナ君に知られたときが一番面倒で。これは言うまでもないだろう。彼自身、時間を掛けて実績を積み重ねてきた稀咲よりも慎重になるべき爆弾に違いないのだから。

 イザナ君に私の使い道を直に示す機会が十分とはいえない現状で、既に見えている地雷は取り除いておくべきで。そんなリスクを考えたら、どうでもいい幼馴染を切り捨ててしまうことだって当然の行動だった。
 ──あとは単純に、期を測っているわけでもなく、ただ単に本心から断り続けている勧誘をしつこく続けられるのは鬱陶しいことこの上なかった。本気で怠い。そもそもハナから東卍には行く気がねえンだワ。

 携帯を睨み付けながらそんなことを考えていると、丸い頭が影から覗いた。話し声が聞こえなくなったのを確認したらしい。ともすれば──天竺幹部会の最中に席を外した私に、今日の要件を伝えるためにわざわざ来てくれたのだろうか。

「サブロー、電話終わったか?」
「ええ、席を外してしまってすみません鶴蝶」
「それはイザナに言ってくれ」
「もちろん、戻ったら言いますよ」
「………なあ、また鳴ってるぞ」

 諦め悪く鳴り続けるShape of My Heartに、チラリとディスプレイを見て。着信音通りに龍宮寺の名前が表示されていることに内心で息を吐きつつも、流れる様に拒否設定をした。

 一連の動作をバッチリ見ており、こちらを訝しげに見やる鶴蝶には、肩を竦めて「他所からの勧誘なので、気にしなくて大丈夫です」なんて。そう言えば、我らが四天王筆頭の空気は幾分か和らぐ様子を見せた。
 現時点で私が天竺以外の手を取ることはないと理解してくれたのだろうか。反応からして好意的に受け取ってもらえたことは確かであるし、細かいところはどうでもいいな。

「この後は適当に流してから灰谷の家で飯も兼ねて続きをするらしい。サブローも来るだろ?」
「もちろんご一緒させて頂きましょう。飯炊き係でも何でもやりますよ」
「……やっぱ舎弟って飯係もするモンなのか?」
「いや、他は知りませんが……鶴蝶もするタイプなんです?」
「まあ……たまに」
「それなら今日一緒にやりません? 彼らもそれくらいじゃ怒らないと思いますし」

 それから、近所迷惑極まりない爆音を轟かせる集団に紛れて帰宅・・して。顔立ちを誤魔化すサングラスもマスクも外さないままに、鶴蝶と一緒に軽くつまみを作って。リビングで飲んで騒いでいる鶴蝶を含めた天竺幹部を横目にキッチンに椅子を出し、顔を見られない様に自分の食事を済ませた。

 リビングでワイワイと会話を弾ませる彼らについて、素直に楽しそうだなとは思った。混ざることができればどれほど楽しいか、なんて感情も湧いた。
 ただ、私がそこに混ざるわけにもいかないことは事実なのだ。灰谷兄弟の家で、彼らの隣で。兄のどちらにも似ていると言われるこの顔を晒すわけにはいかないのだから。

 そうして。長兄が舎弟の一人から貢がれて、気分ではないとして放置されていた日本酒を水の様に飲んでいれば──カウンターの向こうから、鶴蝶が顔を覗かせた。

「ちょっといいか?」
「うわ、え? 何かありましたか? 鶴蝶」

 慌ててマスクを付け直した仕草は不自然ではなかっただろうか。──いや、どう考えても不自然だった。顔を覗かせた鶴蝶自身が、何かを言いたげな様子でモジモジと下を向いていて、こちらを見ていなかったことに救われたか。

「サブローの飯、美味かった」
「そりゃ……どうも」
「それで、その、少し頼みたいことがあるんだが……」

 そこはかとなく言いづらそうに口を開いた鶴蝶曰く、私が料理を作るところを見ていたいそうだ。例えば味付けとか手際とか。何でも、ついさっき隣で作っていたときはよく見ていなかったらしい。
 ──はて、隣で見ていた限りであれば、鶴蝶も調理に慣れた人間の手際だったはずだが。そう思って首を傾げていると、手をワタワタと動かした鶴蝶から「上手い奴のを見て気付くことってあるだろ?」との弁明が入った。

「はは、お世辞でも嬉しいですね。ありがとうございます」
「や、割と本気で……それで……」
「ええ、そういうことなら構いませんよ。向こうの様子はどんな感じでした?」
「まだまだ食えそうだったな」
「OK、でしたら鶴蝶はここに座っててください」
「……良いのか?」
「そのために来たのでは……?」

 鶴蝶を椅子に座らせ、冷蔵庫を開け、鶴蝶の言葉を元に大皿でラザニアでも作るかなんて考えて。玉ねぎ人参、にんにくと。ラザニアを茹でながらも切った食材に、適当に取った調味料で下味を付けていく。長兄が気まぐれでポンと買っていたオーブンで焼いたら完成だ。
 鶴蝶は終始「見ているだけは申し訳ない」みたいな表情でソワソワとしていたが、焼きあがったラザニアの良い香りで顔が綻んだから。結果良ければ全て良しだ。たんとお食べ、最年少。

 本当にソワソワしていた鶴蝶には取り皿を出してもらい、出来上がったラザニアを持って「追加でーす」なんて言ってキッチンを出る。
 リビングのソファで騒いでいた天竺幹部達に「味見はしてませんが自信作です!」と笑えば、方々から「味見してねえのかよ!」なんて案の定なツッコミが飛んできて。思わず、声を上げて笑ってしまった。

「サブローのラザニアとか久々に食うな」
「一回極めたものは飽きますからね」
「なあー、オレまたアレ食いたい」
「どれです?」
「クラムチャウダー」
「それは真冬まで待ってください」

 「マジでこれ味見してねえの……!?」なんて言いながら豪快に食べる獅音君も、無言で黙々と箸を進めるモッチーもイザナ君も。「分量測ってたか……?」と首を傾げながらも食べる手を止めない鶴蝶も、あくまでも舎兄としての立場で話してくれる兄達だって。束の間のこんな日々だって、見ているだけでもこんなに楽しいのだ。

 ──不意に、スっと冷えた頭で少しだけ笑って。それから、この場の楽しい空気を壊してしまわないように小さく息を吐いた。

 アイツ圭介がこの場に居なくたって、生きていると分かっているだけで心から笑えてしまうのだから。それで良いじゃないか。
 ようやく自分の人生本来の目的のために動けていることを実感できるのだ。間違いなく良い傾向だろう。──だというのに、何をそんなに気にしているのか。

「サブローは食わねえの?」
「……え? ええ、つまみ食いで充分です」
「はァ? なんだそれ一番ウマいやつじゃん」

 考えごとの最中に声をかけられたこともあって、獅音君からの問いへの返事は一拍遅れてしまったが、まァ。特に気にされていない様子であるから。大した問題はない。

 ついでに言えば、ラザニアの前の調理がてら、役得として『一番ウマい』とまで言わしめるつまみ食いは本当にさせてもらった。当然、鶴蝶がこちらを向いていないときに限ったのだが。
 灰谷兄弟と近い彼らの前でマスクを外したくないからという理由はあれど、結構な量のつまみ食いで腹八分になってしまったこともまた事実なのだ。これといった弁明はせずとも構わないだろう。

 既に何本目かのビールを片手に「酒は?」と気を回してくれるモッチーには「しこたま飲みました」なんて言って笑う。
 これも嘘ではないのだが──鶴蝶と兄以外から揃って胡乱な視線を向けられているのは何故だろうか。本当にかなり飲んで、いつもより回りの鈍くなった頭では分かったものではない。

「マジで? 顔色変わんなくね? 相変わらず顔とかほぼ見えねえけど」
「な。別に酔ってる感じにも見えねえし……」
「……や、それは多分マジだ。キッチンにあった一升瓶も空になってた」
「いやそれは流石に飲みすぎだろ」

 若干引いた様子で暴露してくれた鶴蝶の言葉を聞いて、帰ってきてからのこの時間でそんなに飲んでいたかと首を傾げる。
 それでも、そのペースで飲んでいたのであれば頭の回りが鈍くなって、余計なことまで考えてしまうことにも頷けるだろう。

 おもむろに「オレちょっと吐かせてくるワ」と腰を上げた長兄に連行されるままにトイレまで向かって。なかなか吐けない様子を見かねたのか、無言で腹に一発入れられてようやく吐くことができた。
 吐いたせいで気持ち悪い口の中と痛む腹に眉を顰めつつ、幾分か回る様になった頭ではまた別の違和感が浮かぶ。

 前提として、長兄が弟妹に手を上げること自体何ら珍しくはない。機嫌が悪ければ普通に殴られるし、骨を折られたことすらある。当然しっかりやり返すが──いや、秒で脱線したな。しっかりしろ。
 ともかく、必要に駆られて手を出す場合は一言声を掛けるはずなのだ。少なくとも、今まではそうだった。

 そもそもの話、我らが長兄はこういったことで率先して行動するタイプではない。大概次兄に押し付けて、面倒そうな顔をした次兄が仕方なく動く。それがいつものパターンだった。
 見た感じで酔いが分かり辛いことだって、私も含めていつものことで。──だとしたら。

「……もしかして兄ちゃん、割と酔ってたりする?」
「アー……かもなァ……」
「何杯?」
「3……4? いや、6……?」
「よーし今すぐ吐け」
「そうする……」

 力なくも『そうする』と言った割に「蓮の飯吐くのもったいねえー……せっかく作ってくれたのに……」なんて言って、イヤイヤと首を振る長兄には少しだけ笑ってしまった。
 いや、そう言ってもらえること自体は作り手冥利に尽きるのだが。それで急性アルコール中毒にでもなったら困るのは兄ちゃんだろうが。

 問答無用で喉奥に突っ込んだ手でようやく吐いた情けない姿に、蹲ってまでヒーヒー笑い転げてしまったのはもう仕方がなかった。私だってそれなりに酔っているのだ。

「ただいーまー……」
「竜胆の兄貴ー、ちょっとベランダ借りますね」
「良いけど……もしかして兄貴も吐いた?」
「ええ、自分がどれだけ飲んだかすら覚えていないそうなので。こう、ガッと手を突っ込んで」
「ウワー、舎弟のクセに容赦ねえー!」
「……いや、オイ。待て待て、ちょっと待てってサブロー! そっちはベランダじゃねえ!」

 誰かが爆笑している声を聞きつつキッチンへ向かうと、次兄の慌てる声が聞こえた。どうもわざわざ追いかけてきたらしい。

「ここキッチンなんだけど!?」
「知ってますよ、追加です」
「オマエもさっき吐いたんだろ!? やめとけって!」

 そんな次兄の制止を聞き流して、さっきまで日本酒を飲んでいたグラスに中身を追加した。隣でシンクに凭れて頭を抱える兄貴の姿だって、一応は視界に入っているものの。飲みたいときには我慢せずに飲むべきだろう。
 リビングに背を向け、マスクを外して。シンクに凭れつつも首を傾げ、うっそりと目を細める。口角を緩く上げた口元で、戯れに「竜胆の兄貴も飲みます?」とグラスを傾けて煽ってみれば──即座にひったくられて飲み干されてしまった。当然、爆笑しながらも自分用にもう一度注ぎなおしたのだが。今ので完全に酔いが回ったらしい兄貴はトイレにでも放り込んでおけば勝手に吐くだろう。

 ──いや、ンン……? どうせ吐かせるにしても、先に水も飲ませておくべきか。

「水飲めますか?」
「も……ちょい待って……」
「まあ飲めなくても飲ますンですけどね。ハイ、がぶ〜」
「ガボッ……ゲホ、やっぱオマエ相当酔ってンな……!?」
「ハ? 見たままですよ」
「見て分かんねえから聞いてんだよバカ!」





 酔っ払いを一人でトイレに放置するのは危ないとして、唯一ほとんど飲んでいなかった鶴蝶に竜胆の兄貴・・・・・を任せることにした。「喉に手突っ込んででも吐かせてくださいね」と言い残しておいたから、まァ、鶴蝶なら大丈夫だろう。容赦なくやり切ってくれると信じている。私はそろそろ本当に煙草が吸いたいのだ。

 そうして、マスクをつけ直し、追加で日本酒を入れたグラスを片手にベランダに出て。ポケットに入れていた煙草に、家で使う用のターボライターで火を付けた。タワマンは風が強くていけない。

 スゥ、と肺いっぱいに空気を吸い込めば、アルコールの回った頭が僅かに揺れる心地がする。その後は、なんとなく深く肺に入れる気にもなれなかったから、ぷかぷかと煙を蒸した。煙の輪は失敗したが、まァ。誰も見ていない以上気にすることでもない。

 ──思えば、普通の不良みたいなこともそうでないことも沢山してきた。未成年飲酒、未成年喫煙、バイクでの暴走行為、他の不良への暴行、とか。
 天竺に入ってからは、薬の横流しとか、不良以外へ手を出すとか。うっかり殺してしまえば一生ムショ生活な強盗と、個人的にいい気分のしない強姦だけは「割に合いませんよ」とやんわりと止めていたが、それだけだ。最早半グレと言って差し支えないことも、キッチリ証拠を消しながらやってきた。

 そんな王国を作ったのは人間不信の王で間違いはない。しかし、そんな王を止めなかったのは付き従う王国民でもある。裏に誰が居るかを知っていて加担した私を含めた、天竺の王国民だ。

 イザナ君の目的のために進んでやっている。間違いなく、私が楽しいからやっている。圭介のことがなくたって、自分の意思で生きていけることを証明したかったから、気の赴くままにやっている。

 ──それでもたまに、僅かに残る倫理観が邪魔をして嫌になることがあった。タイムリープをする前ですら大層な倫理観なんて持ち合わせていなかったというのに。こういうときばかり顔を出して、本当に嫌になる。

 だからこそ、そんな日は酒を浴びて、いつかの父親の様に山のほど煙草を吸って。それから、誰かと殴り合いをすればいくばか落ち着いてしまうはずだった。
 ただ、妙に冷静な狂いきれていない今の頭では半端な倫理観が中学生のストレス発散方法ではないと踏み留まらせようとすることに、また違う種類のストレスが溜まる。完全に負のループでしかない自覚がある分、余計に嫌になった。

 新しい煙草に火を付ける。完全に酔いを覚まして、いつもの私に戻ってからでないと彼らの元へは戻れない。
 新しい煙草に火を付ける。
 新しい煙草に火を付ける。
 新しい煙草に、火を付けた。

 ──それは、あと何本で戻れるのかと静かに息を吐き出したとき。カランという特徴的な音と共に、やけに凪いだ「一本くれよ」の声が聞こえてきた。

「へえ、意外。イザナ君も吸うんですね」
「不良だったらだいたい吸うだろ」
「……ま、それもそうですね」

 マスクを外している顔を向けないままに、随分と中身の減ってしまった箱を差し出した。「げ、コレめちゃくちゃ重いヤツじゃねえか」なんて声も聞こえてくるが、まァ、ただの独り言に聞こえたから軽くスルーしたのだ。
 その間──声の方向に顔を向けることなんてできるはずもなく。色んな意味で、今の顔は天竺の王たる彼に見せられるモノではない。

「……これ、誰かが吸ってたのか」
「ええ、父親が」
「ファザコン?」
「オ゙ェ……キショすぎて吐くんでやめてください」
「さっき吐いてたじゃん」
「それはそうなんですけど」

 柵の前に並び、ポツポツと話し出したイザナ君に適当に相槌を打っていれば、とんでもない言葉が聞こえてくる。そんなイザナ君に文句は吐けても、ぼんやりとした素顔を向けることはやっぱりできなくて。
 それからも、イザナ君に聞かれるままに煙草を吸い始めた経緯とか、灰谷兄弟の舎弟となった経緯とか。後者に関しては随分と話し慣れてしまった建前を話していく。面倒だな。何も面白くもない話を聞かせる趣味はないのに。

 あまりにもぼんやりとしていたからだろう。話が途切れたタイミングでイザナ君から言われた「なァ、灰谷」の呼び掛けに、普通に返事をしてしまった。ああクソ、今日は本当にダメな日だ。

「へぇ、やっぱり?」
「……いつから、」
「確信したのはここに来てから。飯食うってなってもオレらの前じゃ全然マスク外さなかっただろ。飯運ぶ以外は近寄っても来なかったし」
「……舎弟として弁えていたんですよ」
「一人で食ってるときも背中向けてたし? よっぽど顔見せたくねえンだなって感じ」
「あ゙〜……」
「……でも正直、会う前から察してはいたな」
「はァ!?」

 そのまま話し出したイザナ君曰く、ただの舎弟・・が、少年院に手紙を届けられるわけがないとはずっと思っていたらしい。その時点で血縁のある身内であると察していた。
 しかも今、珍しくも晒されている素顔は──やはり、やけに距離の近いあの兄弟に似ていると。

 もういいやとそちらに顔を向ければ、まじまじといった様子で眺められた。「綺麗な面じゃん? 兄貴みたいな覇気はねーけど」との、微妙に褒められているのか貶されているのかも分からない言葉に眉を寄せて。少し考えて、結局のところ「まァ、間違いなく灰谷・・ですからね」と返すに留めたのだ。
 おそらく、喧嘩をしている割に目立つ傷もなく──という意味ではあるのだろう。ただ、そもそもの話、綺麗な顔をした兄のどちらにも似ている私の顔が綺麗でないわけがない。

「オマエ、やっぱ格好寄せてただけじゃなくてマジで似てンのな。パーツは結構蘭の方か?」
「パーツはって……なら骨格は竜胆の兄貴ですか」
「骨格ってか位置? 若干竜胆よりも女顔って感じはするけど」

 次いで「どうせオレのことも知ってて黙ってたんだろ」と言った王の声からは、不思議と怒りは読み取れなかった。このまま殴って追放でもしてくれた方が楽なのに。そんなことをぼんやりと考えながらも、小さく首を縦に振って肯定する。
 ──まァ、実際に女なのだから、そりゃあ女顔だろうとは思ったが。それを言わないだけの頭は残っている様で何よりか。

「よく考えたらさァ、ネンショーにも居なかったオマエのこと、便利だってこと以外何も知らねえなって。オレばっか知られてるのとかキモいから何か喋れよ」
「理不尽ですね。しかも一言余計ではー?」
「はは、今の言い方蘭そっくりじゃん」
兄妹きょうだいなンでね。似ますよ、そりゃ」

 微妙に話を逸らそうとしている私を察してか「両親が一緒なのか」と本筋に戻そうとする王は、それでもなお終始穏やかだった。諦めて「父親だけですよ」と言ってしまえば、あとはもう喋ることしかできない程に気味が悪かったのだ。

 父親が母親を殺したこと。
 父親に連れ去られたは良いものの、ギリギリ足りない程度の食べ物と屋根を与えられた後はずっと殴られ、挙句ニコチン中毒にされたこと。
 兄との今の繋がりは血縁であってこそなのだとしても、血の繋がった父親からは愛なんて感じられなかったこと。

 血縁に夢を見ているらしいイザナ君の境遇に被せる様にそう話せば、「ふうん」なんて微妙な返事が返ってきた。それはそうか。ぽっと出の私に何が分かるのかという感じなのだろう。
 当然、分かっていて真一郎君を見捨てた私にはこれっぽっちも分からない。理解しようと努力する気もない。私には私の考え方と最優先があるし、イザナ君にはイザナ君の考え方と最優先がある。別個体どうしで理解し合えるはずもない。

「失望しました?」
「まァ、それなりに。何でオレにまで黙ってた」
「聞かれなかったので」
「それやめろって蘭が言ってたぞ」
「無理ですよ。誰がこんな面白くもない話を進んで喋りますか」

 正しく『それなりに』失望したと言った王は、それでも噂に聞く癇癪を起こすこともなく。やはり「出ていけ」ということすらなかった。
 稀咲のときの様に明確な使い道を示した覚えもない今、どうしてそこまで私を内に入れるのか。

 どうせ私は稀咲の代わりで、頭の出来すら一周目なはずの稀咲の下位互換で。単純な喧嘩の腕に限れば稀咲よりは自信もあるが、正直それだけだった。情報網だって、私一人欠けたところでどうとでもなる。ただ喧嘩が強い人ならばいくらでも居る。
 そんな私は稀咲が合流したらお払い箱だろうに、なんて。今更ながら拗らせすぎているな。いつか稀咲が合流するかもしれない天竺であれ、稀咲が合流した場合でも離れるつもりもないのに。

 そうぼんやりと現実逃避をしている間にも、ポツポツとイザナ君から聞かれることに適当に答えていく。
 少年院にまで届いていた"堕天使"の噂は本当なのか。尾鰭はついていると思いますけど、概ね本当です。
 オマエにもスミは入っているのか。流石に入れてないですね。痛いの嫌いですし。
 アイツらのことはどう思っているのか──そろそろ面倒になってきたな。

「彼らのことは、」
「ああソレ、ずっと気になってたんだけどさ。兄貴のことすげえ他人みてえに話すよな。何で?」
「……ほぼ他人ですよ。兄なのはその通りですが」
「はァ?」
「大事な人を増やしたくないンですよ。元々キャパも多くないですし、増やしすぎるとどこかしらに手が回らなくなる」

 流石に兄から可愛がられていることは、それぞれの普段の態度からして理解している。前回まででもそれを理解していたからこそ、今回でも他人としてではなく、妹として二人に会いたかったのだ。損得勘定もなく、素直に甘やかしてくれる人が身近に欲しかったから。

 それでも──全く同じ重さの感情を返すことは、やはり難しかった。タイムリープなんてことができてしまうからこそ、余計に難しいのだ。同じ重さを返してしまうと、彼らが死んだときに目も当てられなくなることなんて、それまでのことから分かりきっていたのだから。

 これは私の自分勝手な甘えで、私の弱さだ。

「だから、自分以外は他人です」

 だからこうして、いつか自分が傷付いてしまわないように線を引くしかない。そう吐き出した言葉に、不思議と心の内が冷えていく心地がして。どうしようもなくなった末、そっと目を伏せた。

 ──何でだろ。嘘、ついてるわけじゃないのにな。


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