人形みたいなやつ。
 それが灰谷蘭と竜胆が初めて雅を見たときの感想だった。

 母親の従兄の子どもだという彼女は、幼心にもわかるほど美しい顔立ちをしていた。
 透き通るような淡い蜂蜜色の髪に、つるりとした陶器を思わせるきめ細やかな肌。憂いを帯びた瞳は硝子玉のように澄んだ御空色で、耽美で中性的な魅力があった。

 ビスクドールのような少女を目にした二人は、けれども別の理由で彼女に人形らしさを感じていた。表情がまったくと言っていいほど変わらないのである。

 蘭は雅の澄ました顔を崩すべく、あの手この手で彼女を脅かした。持ってきた数少ない私物を隠したり、後ろから押したり、物を投げたり、髪を引っ張ったり、同級生の返り血を見せたり。それでも雅の表情は変わらず、諦めを宿した瞳を蜂蜜色の睫毛に隠すばかりだった。
 突如、兄弟間に入り込んできた雅に警戒した竜胆は、あらゆる手段で雅を追い出そうとした。見かけたら舌打ちをしたり、聞こえるところで悪口を言ったり、物を盗ったり、おやつを横取りしたり。それでも雅は泣きもせず、家を出ようとする気配すら見せなかった。

 そもそも帰る家などないのだから、逃げ場がないのは当然のことだったのに。


 雅は日記帳を二冊持っていた。ひとつはこの家に来てから書いているもの、ひとつは灰谷家に来る前に書いていたものだ。
 蘭と竜胆が片方の日記帳を見つけたのは、偶然のことだった。母親に授業で使うからと買い与えられていた彼女の辞書のカバーの中に隠されていたのである。

 盗って困らせてやろうと思っていた双子は思わぬものを見つけ、顔を見合わせてニヤついた。
 雅が抱えていればさぞ様になるであろうキラキラと装飾された厚表紙のそれは、ずいぶんと分厚いものだ。「字がかけるようになったお祝いでママにもらった」と始めのページには書かれており、ヘタクソな文字が並んでいる。

 読める字になるまでページをぱらぱらと捲っていけば、滲んだ文字が目に入り蘭は手を止めた。

『さいきん、パパの目がこわい。
ママが泣いておこってた。パパになにか言ってたけど、パパはめんどくさそうにしてるだけ。ママもパパもケンカばっかりするようになって、おうちにいるのがイヤになった』

『ママに「いっしょに行こう」って言われた。
よくわからなかったけど、パパがこわかったから「うん」って言った。そしたらパパに見つかって、いっぱいぶたれてけられた。いたかった。わたしを守ってくれたママのキレイなお顔が赤くなって、こわかった。
パパはそんなわたしを写真にとってた。うれしそうだった。こわかったけど、ママのケガがしんぱいだったから、あんまり気にしないようにしてた』

『パパに「お前のせいでママが泣いた」って言われた。わたしがママについていこうとしたのがダメなんだって。
だからパパといることにした。ママは泣いてた。ママが生まれた国の言葉でたくさんパパにおこってたけど、パパはなんにも反応しなかった』

『ママがいなくなった。
パパのおねがいが、だんだんヘンになっていった。やだって言ったら、またなぐられた。いたくて泣いてたら、パパがまた写真をとってた。こわかった』

『「言うこときかないとママにケガさせる」って言われた。パパのお人形さんでいれば、ママにいたいことしないんだって。
ママ、わたしがんばるね』

 子どもながらの語彙力でありながらその日に何をしたのかが明確に記されており、父親が逮捕されたという記述に蘭と竜胆は無意識に止めていた息を吐き出した。
 そこから先は少しの間だけ入所していたという施設の話が書かれていたがとても読む気にはなれず、蘭は日記帳を閉じて元の場所に戻す。母親に連れられて出掛けていた雅が帰宅を告げ、二人は慌てて部屋から逃げ出した。

 ――人形みたいじゃない。人形になることを強いられてきたんだ。

 それが判明した頃には、雅は自分達を避けるようになっていた。
 道徳の授業など爆睡を噛ます二人だったが、こんな彼女の父親と同じことをしていたというのが耐え難く、どうにかできないかと頭を突き合わせて相談した。

 結果、泣き落としか向こうの罪悪感を煽るようなやり方をすれば落とせるのではないかという結論に至った。ベクトルは違うがこの二人も間違いなくクズだった。

 恐らく意識していたわけではないが、蘭と竜胆にとって突然放り込まれた雅という存在は壊れにくい玩具のようなものだったのだろう。けれども箱を開けてみればひび割れて壊れかけた玩具だったものだから、乱暴に扱う気にはなれなかった。玩具は壊れてしまっては面白くなくなってしまうから。
 あるいは、好物だというカステラを分け与えたとき、微かに上がった口角を見た日から絆されていたのかもしれない。

 二人は徐々に距離を詰め、さながら野良猫を相手にするがごとく餌付けと言葉で懐柔していった。
 その甲斐あってというのも変な話ではあるが、こちらが言葉を発せば応えてくれるぐらいには溝が埋まったのだ。今までも無視されていたわけではないが、すべて首を振ることによって応えられていたため、初めて声を聞いたときには「あ、ちゃんと喋れんだ」と思わず言ってしまったくらいである。

 雅の変化は意識が前世のそれになったことが大きいのだが、もちろんそんなことなど知らない蘭と竜胆は素直に喜んだ。チュートリアルと銘打たれた命の危機を父親のことがフラッシュバックしたのだと勘違いした二人にとっては余計に喜ばしいことだったのだ。

 どこから嗅ぎつけたのか自分達と同じ家に住んでいると知った連中に雅が狙われたときには守ってやったし、遊び場を知らない雅の手を引いてやるくらいには心を砕いていたのである。

「どうやったらいいこ≠やめられる?」

 だから雅から初めてそんな相談を受けたとき、喧嘩帰りのような高揚感が沸き上がった。
 母親からいいこ≠押し付けられていることは知っていたので、日頃の仕返しも込めて雅の望みを叶えてやることにした。具体的には夜中に連れ出したり、喧嘩の現場に引っ張っていったりしたのだ。

 雅は頭がいいのか、与えられたテキストなどやらずとも小難しい内容をすぐに理解できる。だから母親が馬鹿みたいに買って来る教材は無駄なものだった。雅から聞いて初めて知ったが、そもそもあのドリルはだいぶ先の内容のものばかりらしかった。

 雅がいいこ≠カゃなくなるのは時間の問題で、母親がそんな雅を見捨てるのもまた時間の問題だったのだ。

「明日、違うおうちに引き取られるの」
「「……は?」」

 いつもと同じ無表情で、けれどもその目に喜色を載せた雅が告げる。唖然とした二人の姿がその硝子玉に反射して、酷く滑稽だった。

 雅はわかっていたのだ。いいこ≠カゃなくなったらどうなるかを、恐らくは自分達に相談したときから。
 確信した瞬間、胸の奥から何かがどろりと沸き上がって来たような気がした。呑気に自分達と離れることをうれしそうに語る雅が酷く憎らしい。雅は二人のものなのに、勝手にいなくなろうとするなんて許せるわけがなかった。

 年下の少女に隠していた残虐性が顔を出し、この獲物を喰べてしまえと囁く。声に従うように、蘭は雅の白い首筋に牙を立てた。少女の小さな呻き声に呼応するように滲んだ血が滴を作る。やけに喉が渇き、舌を這わせてその血を舐めとった。
 痛みに涙を流す雅に、竜胆の背筋がぞくりと震えた。白皙を伝う涙が落ちてしまう前にと、啄むように口付けて残らず吸い取る。

 柔い肌に傷が付く様には、どこか快感すら覚えた。

 雅が、顔を上げる。
 その表情はすでに元に戻っており、物足りなさを覚えつつも普段と異なった顔が見られたことに気が昂ぶっていた。