シンイチローを20回振ったオンナ

雨に表る

 エマは激怒した。必ず、かの万年ヘタレの兄をどうにかせねばならぬと決意した。
 エマには政治がわからぬ。エマは、界隈では名の知れた不良兄弟の末っ子である。意中の相手を振り向かせるべく様々な努力をし、言うことを聞かない男共の尻を叩きながら暮して来た。けれども恋愛に対しては、人一倍に敏感であった。

 エマは最近、夢だったバイク屋を開業させた佐野家長男を正座させ、目の前で仁王立ちしていた。
 高校時代は暴走族を創設し、ダサい髪型をキメていた真一郎。今では足を洗い髪も落ち着いたが、バイク屋を始めたせいで趣味に対する熱は拍車がかかっていた。そう、バイクである。

 男の子っていっつもそう! と想い人を浮かべながら、次いで恋敵のバイク(ゼファー)を思い出して眼前を睨んだ。真一郎は震えた。

 真一郎が幼馴染の佳代を好いていることはもはや公然の事実である。
 少なくとも初代黒龍のメンバーは全員知っているし、中には「姐さん」と呼ぶ者までいた。呼ばれた佳代は「まああの子達より年上だし、強ち間違ってないわねぇ」とほけほけ笑っていた。姉違いである。

 一番上の兄よりも三つ年上のお姉ちゃん。
 佐野家に馴染めなかったエマの手を取り、「エマちゃんって言うの、素敵なお名前ね」と微笑みかけてくれた佳代。

 佐野家は男の子ばかりだから、困ったことがあったら遠慮なく言ってねとポケットから飴を出した佳代は、ママよりもママみたいだった。
 そのときにくれた飴が黒飴だったせいか、しばらくの間おばあちゃんなのかもしれないと本気で悩んだが。概念はおばあちゃんだけど、ウチにとってはママでお姉ちゃん! ということでエマは結論付けた。属性が多い。

「真兄、お姉ちゃんのこと捕まえる気ある? 数撃ちゃ当たる方式でムードもへったくれもない告白ばっかしてるから、お姉ちゃんに『なんだか真一郎くん、軽くなったというか……軟派になったわねぇ』なんて言われるんだよ!?」
「うっそ、オレそんなこと言われてんの!? まっ、え、マジでショックなんだけど」
「そりゃあ、そう言われても仕方ないだろ……」

 呆れたように真一郎を見下ろすイザナ。風呂上がりに麦茶を飲もうと台所に向かっていたところ、妹による説教を目撃した次第である。
 イザナも佳代の包容力に負けた口なので、真一郎には早いところ彼女を嫁にしてもらいたかった。だから今回は全面的に妹の味方である。
 それに、兄の告白のムードのなさにはイザナも少々文句を言いたかった。

「この前、姉ちゃんが夕飯作ってる後ろ姿見ながら『え、結婚して』とか言ってたし」
「真兄!!」
「ちがっ、それはつい口から出たやつで! つかイザナ、聞いてたのかよ!?」
「いやだってあれ姉ちゃんにも聞こえる音量だったからな??」

 ちなみにそれを聞いた佳代は、「最近は大っぴらな愛情表現をするものなのねぇ」と苦笑していた。確実に本気だと思われていないヤツである。
 相性は悪くないだろうし、あとは真一郎が押してくれればなんとかなりそうなものなのだが……。エマは情けなく蹲る兄に視線を落とした。

 真一郎は男にモテるタイプの男だが、佳代は同性異性にかかわらずモテる。それは恋愛的な意味でも、友愛的な意味でも、はたまた親愛的な意味でもだ。
 一種のカリスマ性とも取れるそれは偏に人生の五分の一ほどしか生きていないとは思えないほどの包容力が原因なのだが、本人に自覚がないのが厄介だった。

 そんな佳代は真一郎の影響で不良にも知り合いが多い。その知り合いも佳代の包容力にやられた者が大半だが、それもまあ必然であったと言える。
 というのも、大概の不良は家庭環境や自分の心に何かしらの不和を抱えているものなのだ。

 さて、そうした前提条件がある上で問一。
 滅多なことでは物怖じしない包容力カンスト人間が、よしよし辛かったわねぇ頑張ったのねぇなんて不良を受け入れてしまえばどうなるか。
 答え。面白いくらいコロッと落ちる。

 補足だが、佳代の包容力は何も不良特攻ではなく、一般人にも十分通用するものである。その辺りは佳代のあだ名遍歴(中学時代お姉ちゃん=A高校時代ママ=A大学時代おばあちゃん=jから察して頂きたい。

 つまり、早く捕まえないとどこぞの馬の骨に掻っ攫われる可能性が高いのだ。これは佐野家にとって由々しき問題である。
何故なら現状、外掘りは真一郎が何もしなくても埋まっているはずなのに肝心の本丸が落とせていないからだ。なんてこった。

「いーい? 今度の武蔵祭りでお姉ちゃんの手をさりげなく引いて、人気の少ない静かなところでちゃんと! 真剣に! 告白してよね。間違ってもいつもみたいに軽薄な告り方はしないこと!」

 ズビシっ、と真一郎を指差すエマ。

「武蔵祭りって、あと一週間もねぇじゃん! 心の準備は!?」
「どうせしてもしなくても大した差ないだろ」
「大丈夫だよ。真兄が今まで晒した失態はお姉ちゃんも知ってるんだから」
「オレの弟妹が辛辣すぎる」
「「だって事実でしょ(だろ)」」

 狼狽える真一郎ヘタレに、容赦など必要ない。
 だって万次郎が律儀に数えていた告白20連敗に、今度こそ終止符を打ってくれないと困るのだから。

◆◆◆





 武蔵祭り当日。

 夜の帳が降り始めた境内、浴衣姿の佳代と真一郎は橙色の提灯で彩られた屋台を巡っていた。
 母に「せっかくだから着て行きなさい」なんて勧められ、父は何故か半泣きで見送ってくれたのだと恥ずかしそうに笑う佳代に、真一郎はエマが市古家に根回ししたのだと瞬時に悟った。

 見慣れない浴衣姿と、普段下ろしているせいで見えない想い人のうなじは心臓に悪い。心なしか、佳代側にある左半身が熱く感じる。
 真一郎は人差し指で頬を掻きながら、隣を歩く幼馴染に普段通りを意識して声をかけた。

「あ、あーっと、相変わらず人多いな」
「そうねぇ。こんなにいると迷子になりそうだわ」
「じゃ、じゃあ、その……手! 手繋がないかっ」
「あら、ふふ。はぐれるわけにはいかないものね」

 真一郎はエマに言われた通り、さりげなく佳代と手を繋ぐことに成功した。
 もしここに佐野兄妹が居れば、「さりげなく?」と首を傾げたことだろう。しかしまあ、野次馬根性丸出しの万次郎はイザナが押さえているので安心してほしい。

 幼少期は幾度となく、正確には子ども扱いする佳代に手を引かれていたのだが、第二次性徴など疾うに過ぎた佳代の手は柔くて気持ちが落ち着かなかった。

 あんまりにもおっかなびっくり触っていたせいか、佳代のほうから力を込められ真一郎は思わず肩を揺らす。
 手汗掻いてねぇかな。つか手小せぇな。そんなことを考えていたせいか、足元を駆けて行った子どもに反応するのが遅れた。
 反射的に身体を仰け反れば、すぐ近くには佳代の顔。あ、いい匂いする。

 ひょわっと跳ねた心臓のことなど露ほども知らず、佳代はにこりと微笑んだ。

「真一郎くんは何か食べたいものある?」
「んぇ!? や、焼きそばかなあ!」

 ちらりと見えた屋台の看板を挙げる。もはや思考は追い付いてなどいない。
 と、佳代が値段を確認して巾着袋からがま口財布を取り出そうとしたので慌てて止めた。時折思うが、お前のその年下に発揮される孫扱いはなんなんだ。
 残念、真一郎は知らないが彼女は同級生だろうと年上だろうと平気で孫扱いする。

「オレだって働いてる身なんだから、流石に大人しく奢らされねーよ。す……女に奢られるとかダセェし」
「あらそう? なら、私は向こうのイカ焼き買って来るわね」
「おー」

 ここは日本列島の東に属する東京であるため、イカ焼きはイカを丸々焼いたものである。イノシシもタヌキも草も食す佳代だが、一番の好物は魚介類だった。

「ここじゃ人多いから、もうちょい静かなとこ行こうぜ」
「そうねぇ。なら、奥宮はどうかしら?」
「オクミヤ?」
「神社の奥にある社殿のことよ。あの辺りまで人も来ないと思うし」

 うまいこと佳代を人気のないところへ誘い出せた真一郎は、心の中でガッツポーズをした。なお、過去形である。

 余談だが、佳代は自覚がある(しかし本人は認めていない)タイプの雨女であり、大事なイベント事は大抵雨の中行われていた。小中高大の入学式卒業式然り、転校挨拶然り、林間学校然り、修学旅行然り、成人式然り。

 ところで何故この話を挟んだかというと、真一郎が一世一代の告白(21回目)をしようとしたまさにそのとき、ゲリラ豪雨が邪魔をしたからである。

 結果として佳代と真一郎は帰らざるを得ず、最後の告白のつもりで台詞を考えていた真一郎は雨に濡れたことも相俟って知恵熱を出した。
 見舞いに来た佳代に熱に浮かされながら交際の申し込みを通り越してプロポーズをした真一郎の締まりがない21回目の告白は、ドアの隙間から盗み見ていた万次郎によって撮影された佐野家のホームビデオに今なお残されている。



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