#05はちみつパンケーキ D
薄暗い空間で、必死に螺旋階段を駆け上がる。カンカンと響く自分の足音はまるで警報のようだ。
最上階にたどり着き見えた唯一の扉を押し開ける。広がるのは彼女がいた暗闇ではなく、大きく雑に開いた壁の穴から覗く満月の夜空。いつもなら見える筈の愛しい存在は、そこにはいなかった。
「ハ…ニー……」
この世でいちばん大切なものを失った。
螺旋の上を全力で駆け上がっても、“紅の修羅”のスピードには敵わなかった。蚊の鳴くような声で呟いた愛しい名は月に満ちて溶けていく。
隠すのに最適な場所だった。
今まで誰1人として怪しむ者はいなかった。
けれど、たった1人の少女に全てを奪われた。
「クソッ!!」
ダンッと壁を殴る。その微かな振動すら、今の自分を表すかのように感じてしまう。
どんなに悔いても、どんなに嘆いても、彼女は戻ってこない。どんなに手を伸ばしても、彼女には届かない。
「何で……」
さっきまで、簡単に触れることができたのに。
「“紅の修羅”……」
全てを奪った人物に、憎悪の色が脳を支配する。頭が、目が、心臓が、全て黒に塗りつぶされていくような気がした。
「次は必ず………殺す!!」
***
「え……ア、アジト……?」
目の前に聳え立つ大きな一軒家にソレイユは目をパチクリさせた。
さっきまで、本当についさっきまで…つい数秒前まで、自分たちは黄の国にいた筈だ。なのに何故、オレンジタウンを通って半日以上かけて漸く辿り着く距離を、一瞬で移動出来たのか。
「お、おいシアン!これどうなって…」
「ああ、シアンの能力なので気にしないでください!」
いや気になるし…という言葉は飲み込んでおく。…ていうかそれなら行くときもそれで良かったのでは、という疑問も必死に飲み込んだ。そんな彼の後ろでハニーは混乱していた。
「…え?アジト…って……?」
「この家よ」
「え!?」
ハニーは平均よりかなり大きめの3階建一軒家に目をパチクリさせた。
なんて家庭的なアジトなんだろう。まさかメンバーでルームシェアなんかしていないだろうな……なんてあり得ない事を考えてみる。
するとシアンは、鍵がかかっていなかったらしく普通にドアノブを回して扉を開け、中へ入る。マゼンタとソレイユもその後ろに続いた。
「ただいまーなのです!!」
「ただいまー」
「た、ただいま…」
「(ただいま!?)」
やっぱり家!?ルームシェアしてるの!?とハニーは混乱する。もしかしてまだ他に仲間がいて、今この家にいるのかもしれない……そう思い恐る恐る中に入った。
「…お、おじゃまします……?」
「何言ってるのですかハニーさん!ハニーさんも仲間なんですから、ただいま〜ですよ!!」
「えっ……で、でも…」
そんな会話が聞こえたのか、玄関の先にある扉が開いて、金髪の長身の男が出てきた。
その姿に、ハニーは目を見開いた。
「おかえり〜えらい遅かったなぁ」
「え、でも帰りは一瞬でしたよー?」
「……ちゃんと連れて来れたんやな」
サルファーはシアンの後ろにいるハニーに目を向け、小さく笑う。それに気づいたハニーは慌ててシアンの横に出た。
「ご、ご無沙汰してますサルファー先輩…」
「久しぶりやなハニー。めっさ顔色悪いで」
「さ、再開して第一声がそれですか……」
仲睦まじげに話す2人を見て、シアンは首を傾げた。
「おや、お二人は結構仲良しなのです?」
「前言うたやろ何回か話した事ある奴や〜て」
話した事がある程度で、然程仲が良いわけでは無いのだと思っていたが…思いの外親しい仲だったようだ。
「それにしてもサルファーを先輩呼びとは……ハニーさんおいくつですか?」
「わ、私は19です」
「ああ成る程、サルファーの方が年寄りだったのですね!」
「ジジイみたいに言うなや」
19歳とはつまり、シアンやマゼンタの1つ上という事になる。今の所は20歳のサルファーが最年長だ。
シアンがメンバーの年齢をハニーに伝えると、彼女は慌てて首を振った。
「で、でも私に敬語とか使わなくても大丈夫ですよ!」
「ああ、シアンのこれはポリシーってやつなので気にしないでください!寧ろシアンの方が年下なんでタメでいいのですよ!」
「い、いえ!シアン様にタメで話すなど無理です!」
「「シアン様!?!?」」
ハニーの言葉に全員が驚く。
しかしそんな彼らもお構いなしにハニーは熱弁し続ける。
「こんな汚い人間を救ってくれたお方なんですよ!?それに、あんな大勢いる前で堂々と、世界征服宣言!痺れます!尊敬します!!」
「ちょい待て何や世界征服て」
「“碧”の最終目的なのです」
「オレ聞いてへんぞ!?」
ハニーの奴、こんな性格やったか?と疑問を持ったサルファーだったが、サラッとぶっ込まれた衝撃的な発言に動揺する。しかし遠い目をしたマゼンタとソレイユを見て悟った。…シアンはそういう奴だ、と。
「シアン様、これからどうぞよろしくお願いします!」
「いえいえこちらこそ、よろしくなのです!」
お互いに正座で向き合い、行儀良くお辞儀する二人。
取り敢えず一つ言うなら、
「いや、ここ、玄関やねんけど」
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