#05はちみつパンケーキ E
「どうして世界征服するなんて言い出したのよ、アンタ」
リビングのソファでテレビを見ながらマゼンタは隣で日記を書いているシアンに尋ねる。
少しムスッとした様子のマゼンタに対し、シアンは視線を日記帳に向けたまま機嫌良さそうに答えた。
「シアンは最初からそのつもりで“碧”を結成しましたよ?」
「……ならせめて最初に言いなさいよ。今までは目的も無しに行動してたんだから。あったとしても仲間探しとか金稼ぎとか、そのくらいだったじゃない」
ソファ前のテーブルには、高価なワインボトルとグラスが置いてある。マゼンタは慣れた手つきで真っ赤な液体をグラスに注いだ。
くるくる変わっていくテレビの画面も、視界に入る程度で内容も聞き流し状態。この家にはよくある光景だった。
グラスを回しワインの香りがすっと鼻を掠める。するとシアンはボールペンを動かしていた手を止め、顔を上げマゼンタへ視線を向けた。
「…世界征服なんて無理だと笑いますか?」
マゼンタはシアンの珍しく真剣な表情に微かに目を見開く。そしてワインを一口、口に含んだ後、フンッと鼻で笑った。
「“世界最凶”のアンタと、この私と、サルファーにクソガキと、苦労して連れてきた天才ハッカーがいるのよ?それにまだ仲間候補はいるんでしょ。出来ない方がどうかしてるわ」
マゼンタの発言にシアンは眼球が零れ落ちそうなくらい目を見開いた。心なしか言った本人の顔がほんのり赤い事に気付き、ニヤリと笑う。
「…23時46分、マゼンタ突然デレる……っと」
「何書いてんのよアンタ!!!全くデレてないわよ消しなさい!!」
「残念でした〜マーカーなので消えませ〜ん!!」
「何でそこだけマーカーなのよ!!」
プライドの高い彼女がこうも素直にものを言うのは珍しい。明日は雪か…と考えていると、部屋の案内が終わったのか、2階からハニー達が降りてきた。
「シアン様、本当に良いんですか?私なんかが一部屋使っても…」
「勿論なのです!それとネット環境とか諸々ハニーさんに全部任せようと思いまして!」
「シ、シアン様…!!!」
「いや感激しすぎやろお前…」
そう言いながらサルファーは夜飯の準備を始めようと台所へ入る。
「もうすぐ0時まわるけど、お前ら何も食ってへんやろ。ホットケーキミックスまだ残っとったから、それでもええか?」
「ホットケーキ!お願いするのです!!」
「えっ、で、でもサルファーさん!今日の晩飯当番って僕なんじゃ…」
“とーばんひょー”と汚い字で書かれた壁掛けの小さなホワイトボードには、曜日ごとに家事当番の分担がされている。今日の晩飯当番はソレイユだ。
「お前も疲れとるやろ。オレは今日1日何もしてへんのやから、大人しく休んどき」
そのまま卵を割って本格的に作り始めたサルファーの後ろ姿に、ソレイユは心を打たれた。
「あっ……兄貴って呼んでもいいですか!?」
「何や兄貴て!?別にええけども!」
「兄貴!!僕も手伝います!!」
「いやだから休んどけゆーたやろ!!」
賑やかな台所を見て、ハニーは思わず笑ってしまい、はっとする。
笑うのなんて、何年ぶりだろう。あの真っ暗な空間に入ってからは一度も……いや、もっと前からだ。
いつの間にか時計は0時をまわっていて、外も暗い。暗いはずなのに、どうしてこんなにも明るいんだろう。
昔のサルファー先輩は、こんなに生き生きしていなかった。マゼンタも、他者と絡んだり仲間をつくるのを好むタイプではない筈だ。
…データが変わっている。いや、変えさせられたのだろう。
きっと、全部あの人に。
暖かい光、碧色の太陽。
ここならきっと、私も…
「ほい、ハニー」
「えっ…」
サルファーがお皿を持ってやって来る。目の前に出されたのは、自分の大好物である蜂蜜のパンケーキ。
「私の好物…覚えていてくれたんですね」
「おー。“共食い”で覚えとったわ」
「…………」
最後ので台無しだが、やはり彼は良い人だと思う。
はちみつパンケーキを頬張る。甘い。ちゃんと味を感じる。出来立ての温かさも、少し焦げた苦味も、全部、懐かしい。
かつての“当たり前”が戻って来た嬉しさに、思わず涙が零れた。そんなハニーにサルファーとソレイユはギョッとする。
「えっ!?す、すまん不味かったか!?」
「ご、ごめんハニーさん!僕ちょっと焦がしちゃって…!!」
「……もう、分かってないわねアンタたち。女にも泣きたい時くらいあんのよ!」
深く追求すればハニーが困るのを予想してか、マゼンタの言葉にも微かな暖かみを感じた。ああ、やっぱり皆いい人だ。
1人で逃げて死ぬという道を選ばなくて、本当に良かった。
「本当に……ありがとうございます…っ、シアン様にも…皆さんにも…っ、どうやって恩を返せばいいのか……っ」
ポツリと呟いた本音は溢れ出したら止まらない。甘くて、しょっぱくなってしまったはちみつの黄色が、パンケーキに染み込む。
ポロポロと大粒の涙を溢すハニーに、シアンは優しく微笑んだ。
「…その恩は、シアンたちの世界征服を“碧”として協力してくれれば、それで十分なのです。もう誰も、キミを見捨てたりしない」
そう言って頭を撫でるシアンに感極まって抱きつく。シアンはハニーを、子供をあやすように抱き締めた。
「ずっと…怖かったんですよね。真っ暗な中、独りで」
なんだか家族に会った気分だ。
寂しい時、悲しい時、いつもお母さんはこうして私を抱きしめてくれていた。
「キミの帰る場所は、ココなのです。ひとりでいいなんて思わないで」
あまりにも優しいその手の温もりに、大粒の涙がシアンの服を濡らした。
「ハニーさんの心からの『ただいま』が聞けるのを、シアンは待っていますよ」
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