犬と狼の間



カルピスとカルピスソーダ。自動販売機の前で。どちらにしようか散々迷って、買ったのはカルピス。
駅前の整備された道。家路へと向かう人が行き交う中。小さな悩みに立ち尽くしていると、エースがやってきて。何をしているのかと聞かれわけを話せば、呆れたように笑いながらもなぜかカルピスソーダを買って、「ナマエはカルピスにしろよ」と言ってくれた。
一緒に帰りながら半分ずつ飲み合おう、という提案にうなずいてわたしは缶のプルタブを起こした。彼の持っている缶の方が、開けた時の音が大きかった。アルミのふちを食んで傾ければ、冷たくて甘い味が口を通って身体に流れ込んでくる。よく知る味。大好きな味。爽やかで甘酸っぱい。
「ナマエってあれか?ゆーじゅーふだんってやつか?」
ちょうど半分を飲み終えて、隣を歩く彼に持っていた缶を差し出せば、なんてことを言われながらカルピスソーダの缶と交換してくれた。
「どうだろう。エースにはそう見えるの?」
「まァな」
わたしが半分だけ飲んだ缶をあおりながら、エースは言った。
優柔不断。そうなのかな。わたしも缶をあおりながら考える。炭酸は喉の奥を弾けるけど、思考は鈍く回転するだけ。それよりも、こっちのアルミのふちが、いつもよりひときわ甘く感じられることが気になっていた。
「おれ、ナマエの悩んでる顔見るの好きだぜ」
口ごもったままでいると、耳の近くで静かに囁かれて肩がはねた。飲み込んだはずの炭酸が、胸の奥でぱちぱちと弾けている感覚がした。それに合わせて、心臓が緩やかに鼓動を早めていく。
「……好きって……何それ?」
「お前にも見せてやりてェくらいかわいいんだぜ」
「そう言われると見たくないよ」
「じゃあ、おれだけのもんだな」
ひひ、と小さく笑うエースに、わたしは戸惑うしかなかった。
実は、さっきから、わからないことが多すぎる。飲みたかったジュースの片方を彼が買ったこと。優柔不断と言われたこと。アルミのふちが甘いこと。好きだと言われること。
考えれば考えるほど何も思い浮かばなくて。納得できる理由が見つからなくて。甘いと感じていたカルピスソーダの味もなんだかぼんやりとしてしまって、口の中が麻痺したようだった。
「エースって変ね」
とにかく何か答えなきゃ。舌に刺激が欲しくて、一口飲んで言う。
「そうか?」
「わたしのこと好きって言うし」
「好きだからな」
「どうしていいかわからなくなるよ」
「だったら好きって返せばいいんじゃねェか?」
またしても、わたしは口ごもる。そんなことできるはずがない。本当は薄々勘づいてはいる。彼の言う好きは、ただの好きより色や濃さが違うことを。
「エースのことは嫌いじゃないけど、でも……」
だから、言えない。好きと返すのは簡単かもしれないけど、同じ色かと言われたら違うような気もして。ジュースひとつで悩んでしまうわたしには、とても難しいことだった。
やっぱり優柔不断なんだろうか。黙って歩いているせいで、アスファルトを叩く靴底の音が目立って聞こえる。
「じゃあ、教えてやるよ」
隣に見えるスニーカーのつま先が、ふいに止まった。それから指先が伸びてきて、空いていたわたしの手に彼の手が触れて、簡単に拐われていった。
あっという間に大きな手のひらに包まれる。じんわりとあたたかさが伝わってくることが急に恥ずかしく思えて、それでも繋がっている手から目はそらせないでいた。
「おれァ、少しでもおれのことを考えてるナマエが好きなんだ」
手のひらに唇が触れた。一段と熱を持つその場所に、落ち着いた低い声が皮膚をくすぐって、身体の中に溶け込むのがわかった。
喉の奥がぎゅっと締まる。離してほしいのに、離してとは言えなくて。でも、やめてほしくって。
どんどん早くなっていく鼓動を抑えようともう片方の、飲みかけの缶を持つ手に力を込めた瞬間、手のひらの上で乾いたリップ音がした。
「あっ、」
声を出さなければよかったと思った。
カッと、体温が上がったのを感じたから。
真下から炙られているみたいに、足の裏から全身を熱い血が駆け巡って、胸や顔や頭に溜まりだしたから。
「あんまりいい顔されると、食っちまいたくなる」
エースの唇が弧を描くのがわかる。彼は気分がいいらしい。自分の指先越しにある黒い瞳が、楽しいと、そう言っている。
濃密な他人の気配が漂う道の真ん中で立ち尽くす。
目をそらしたら、本当に食べられてしまいそう。

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