帽子置き





空はよく晴れていた。
風は乾いていて、さわやかに肌をなぞっていく。
日差しは初夏のあたたかさがあって、首の後ろをじりじりと焼く。
わたしは、いつもなら部屋にいるけれど、今日は甲板の縁に背中をあずけて、倉庫で埃をかぶっていた古い本を虫干しがてらに読んでいた。内容はあまりおもしろくない。古いつくりの文字と専門用語が多く、とてもむずかしい。途切れ途切れに読むことしかできなくて、意味もわからなかった。ページの中にはセピア色のインクで描かれた植物や鳥の挿絵があったけれど、それもなんだかくたびれているというか、風刺画みたいに陰気なところがあって好みではなく、首をかしげながらページをめくっていた。
しかもこれは読むためではなく、重しかなにかを目的として使われていたようだった。樽の上に置かれ、その上にまた樽が乗っていたのが証拠。読まれない本というのはかなしいけれど、海賊船の倉庫の中にあったのだからそれもしょうがないのかもしれない。だれも読まないもんねなんて思っていたら、色あせたページに影がさした。頭の上になにかが乗って、見覚えのある飾りが首から下にあらわれる。視線を上げると目の覚めるオレンジ色が見えて、それがエースの帽子だと気づくのに時間はかからなかった。
「ちょっとかぶってろ」
声が降ってきて、顔を動かすと帽子がずれ落ちてきて、視界が狭くなった。本を置いて両手でつばを押さえると、今度は足に重みが乗る。ごろりと寝転がったエースが、わたしの膝を枕にした。
「寝るの?」
「おう、天気がいいからな」
「わたしは帽子置き?」
「嫌か?」
「そうじゃないけど」
「じゃあ、いいだろ」
彼はそう言って、すりすりと頭を動かしてわたしの太ももを髪でくすぐった。こそばゆくて、止めさせるために太ももに広がるつやのある髪を撫でた。黒くて、ちょっとくせがあって、結構やわらかい。指先でくるくる巻くと、簡単にバネみたいなうねりができる。わたしは彼のその髪質がおもしろくてお気に入りだった。よく、遊びすぎだと怒られるまで触ってしまう。今は気にならないのか、満更でもないといった様子で、目が合うとにやりと笑いもする。
人さし指に巻きつけて、跡がつけばすいて、伸ばして。彼はただじっとしていた。
「エースの髪、好き」
「お前も飽きねェな」
「飽きない、大好き」
「んなこと言うの、お前だけだ」
「よかった。もしほかの人がほめてたら、妬いちゃうかも」
「なんだそりゃ、変な奴」
エースは喉の奥で笑って、投げ出している足を揺らした。ブーツのかかとが、ゴツゴツと床板を叩く。機嫌がいいのかな。そうだったらうれしい。
近くに来てくれて、触るのも許してくれている。彼にとってよいと感じるなにかがあったとしたら、それをわたしが生み出していたとしたら、なんだかとても不思議で晴れやかな気持ちになる。彼のことが好きだから、たのしそうにしている姿を見られるだけで、それだけでなにもかもを受け入れて、包み込んで、抱きしめたくなってしまう。
「えへへ」
「なに笑ってんだ」
「ううん、なんでも……あ、ねぇ」
「あ?」
「わたしの足、寝にくくない?」
「いや、ちょうどいいぜ」
「そう? あんまりやわらかくないから、もしかしたら首が痛くなっちゃうかもって」
「ちゃんとやわらけェから安心しろ」
「あ、あとね……ほかの人に見られちゃったらどうしようって」
「気にすんな、見せつけとけ」
「えっ、いいの?」
「おう」
これは本当に珍しい。だってエースは人目を気にするほうだから。わたしも人前でベタベタするのは照れてしまって苦手だけど、彼はもっと苦手。手は繋がない。挨拶のハグだって拒むし、ただの会話さえ素っ気ないこともある。目が合ってもすぐにそらされてしまったり、キスなんて夢のまた夢。まあそれも人前での話。ふたりきりのときはそんなことはなく、もっと距離も近い。
「今日のエースはやさしいね」
「おれはいつだってやさしいだろーが」
「そうだけど、なんかちょっと違う気がする」
「違わねェよ」
手が伸びてきて、わたしの頬に触れる。指先で何度が撫でたあと、親指と人差し指で軽くつままれた。
心を開いてもらうのって、きっとこういうことなのだろうと思う。それまで受け入れがたかったことも、なぜか許せる気持ちになること。ちょっと大胆になってみようと行動してみること。もしかしたらただの気まぐれなのかもしれないけれど、わたしの心を弾ませるには十分だった。
「いつもとおなじだ」
「そっか……そうね、エースはいつもやさしい」
「あァ」
「そういうところが好き」
「知ってる」
そう言い、自信と余裕をたっぷり含んだ笑顔を浮かべる。わたしの好きな色、好きなあたたかさをしていて、つられて頬が緩む。胸の奥がいっぱいになって、大きく息を吸って吐き出せば、透き通った潮の香りが鼻の奥に残った。
しばらくするとエースは目を閉じて静かに呼吸をくり返した。
やがてそれが寝息に変わっていくのを間近で見た。
わたしも肩の力を抜いて、縁に背中をぴたりとくっつけて空を仰ぐ。
帽子がずれ落ちて、見えるのは、まぶしく冴えたオレンジ色だけだった。



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