37度5分


噛まれて熱が出た話

「話は終わったのかよ」
医療室を出ると、壁にもたれて立っているエースがいた。
「エース」
「なんか大事な話か?ずいぶん盛り上がってたじゃねェか」
その声に、少し棘を感じた。表情は固くないのに。むしろ、おだやかなのに。どうしてそんな顔をするのと思った瞬間、ふわりと体が浮いた。抱き上げられたのだとわかったころには、すでにエースは歩きだしていた。
「じ、自分で歩けるからおろして!」
身じろいでもびくともしなかった。しっかりした腕で両足をまとめて抱えられて、抜け出そうと肩を押してもどうにもならず、悪あがきに終わるだけだった。
混乱したまま、わたしは彼の部屋まで連れていかれた。ここに来るまでエースはなにも言わず、ドアを開けるのも乱暴だったし、足で閉めたせいか大きな音が立ったし、そのとき生まれた振動が部屋の隅々まで伝わるのを肌で感じとった。けれど、乱暴なのかと思えば、わたしをベッドに下ろす動作は丁寧だった。後頭部に手を添えられて、そっと横たえられて、それから彼が覆いかぶさってきた。
「エース……」
「なに、話してたんだ」
わたしの顔の横に手をついて、じっと見つめてくるエース。その真っ黒な瞳の奥には、いろんな思いや感情が混ざっているように見えた。
「べつに、」
「教えろ」
「なんでも、ないよ」
「無理やり聞き出したっていいんだぜ?」
「……どうしてそんなに怒ってるの?」
「怒っちゃいねェ、気に入らねェだけだ」
それって一体どう違うのか、わたしにはわからなかった。エースの機嫌の悪さは変わらずに、手のひらがわたしの首の後ろにあてがわれる。その手つきには、やっぱりやさしさを感じた。
「……熱が、あるって……」
「熱?」
「わたしは気にしてなかったんだけど、マルコとナースのお姉さんたちが診せてって」
思い返せば、今日はやけにたくさんの人に顔が赤いと言われた。食堂で朝ごはんを食べていたとき、ナースのお姉さんたちの手伝いをしていたとき、午後に少しだけ昼寝をして起きたとき。
「ちょっと、いつもより体温が高いだけで、なんともないんだけどね」
みんな心配性だよね、と笑って見せた。それでも、エースの態度は変わらない。
「なんで熱があんだ?」
「ないよ」
「いつもとおかしいから、いろんな奴らにベタベタ触られてたんだろ?」
ベタベタって、なにを言ってるのと思ったけど、そういえば顔が赤いと言われたとき何人かにおでこを触られた。といっても、よくある熱を測る仕草で大体はナースのお姉さんだったし、マルコは診察のために軽く触れた程度だったし。
まさかそのせいでエースはこんなに不機嫌になっているの?と首を傾げたくなった。
「いつの間にそんなに心が狭くなっちゃったの……」
「あァ?」
「なんでもない」
「なんで熱あんだよ」
「まだその話するの?」
「言え」
「ないってば」
「心配すんだろうが、言えって」
首の後ろ、襟足のあたりを熱い指先がすりすりと撫でてくるのが催促されているようで、わたしは一度息を吐いてから言った。
「…………かんだ、から…………」
「あ?」
「……エースが、噛んだから……」
「…………おれが……?」
「きのう、噛んだでしょ……」
言い終えて、急に恥ずかしさが込み上げてきて、手で顔を覆った。上から、「あ、」と思い当たったような声が降ってきて、余計に消え入りたい気持ちに襲われた。
思い出すと燃えてしまいそうになるくらい、理性の飛んだ夜だった。あっという間に、頭の中に記憶が、それはそれは鮮明によみがえる。久しぶりに大きな街のある島に寄港して、ログが貯まるまで遊び尽くして、最後の日に宿を取った。それが、昨日だった。
「あぁ、アレか……」
それまでの険しい雰囲気が一気に消え失せたエースは、ぽりぽりと頭をかきながら、どこかばつが悪そうな顔をする。
「……おまえがあんまりかわいいこと言うからだろ」
「そんなこと言ってない!」
「言ったじゃねェか。もっと、とか、痛くしてもいい、とかよ」
「い……」
言ってないともう一度大きな声で返したかったけど、できなかった。だって、言ったし。
記憶がよみがえるほど、頬が赤くなるのがわかった。もう耳まで熱い。エースじゃないけど、このまま火になっていってしまいそう。
「でも……熱があるって言われて、すごく恥ずかしかったんだよ……」
噛まれた跡を見られてしまうんじゃないかと、ずっとひやひやしていた。顔が赤いと言われても、熱があると言われても、かわしていたのはそのためだった。
そう、わたしは、自分の身体がいつもより熱を持っていたのを朝起きたときから知っていたし、それがエースに噛まれたせいだともわかっていた。
「そりゃあ、悪ィことしたな」
エースは困ったように笑って言う。わたしはたくさん神経をすり減らしたのに、どこ吹く風といった様子に見てとれて、なんだかくやしくて、ため息を吐いて枕に顔を埋めた。
「でもよ」
隣に寝転がって、わたしの太ももを掴みながら、喉の奥で笑って。
「噛まれんの、嫌じゃなかっただろ?」
添えられた指先にぐっと力がこもった。そこはちょうど彼の歯形がついている場所。デニムのパンツ越しにそこを触れられて、カッと全身の熱が上がったのを感じた。すかさず、エースのむき出しの肩に手のひらを振りおろした。
「いって!」
「ばか!もう知らない!」
枕を抱えてエースに背を向けた。彼は変わらず愉快そうに笑っていて、拗ねるなよと言いながら後ろから抱きしめてきた。枕にしがみつくように背中を丸めると、いじわるな指先がわたしの髪を撫でつける。甘えるような声色で名前を呼ばれて、つい絆されそうになるけど、でも、いまは簡単には振りむいてあげない。
だって、このままだと本当に顔から火を吹いてしまいそう。

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