手はじめにラスクでも作ろうか
※夢主にちょっと個性がある美味しくないパンを買った。
たまたま寄った島のパン屋さんで見かけた。
つるんと丸い白パンや、バターの香りがするバケットやバタール、クロワッサンたちが並んでいる売り場のすみっこで、茶色のかごに積まれていたそのパンを見つけてしまって、迷わず手に取った。
「サンジくん、ジャムある?」
船に戻って、キッチンにいた彼に訊ねた。
「パン、買ったの?」
「うん。ねぇ、ジャムある?」
「いちごとブルーベリーとマーマレード、どれがいい?」
「いちご」
彼は戸棚から赤い瓶を取り出して、わたしの手に乗せてくれた。白くてごわごわする包み紙をテーブルに広げると、美味しくないパンが急に存在感をあらわす。このパンは味がよくないくせに大きい。それはもう、枕みたいに。
「切ろうか?」と彼が気を利かせてくれたけど、「このパンを食べるときはルールがあるの」と返して、はしっこのほうをちぎって食べた。口に入れた瞬間は甘くておいしいと思ったけれど、噛んでも噛んでもちっとも味が出なくて、喉の奥まで苦いものが流れていくような気がした。やっぱり美味しくない。
「ナマエちゃん、何をそんなに困ってるんだい?」
「困ってないよ」
「かわいい眉が下がって、かわいいけど、おれにはすごく困ってるように見えるよ」
「パンが美味しくないの」
何の味もしないのよ、と一欠片をちぎって彼に差し出す。目に見えて一瞬戸惑ったあと、すぐにふにゃふにゃになりながら口に入れた。
「どう?」
「……ホントだな、何の味もしねェ」
「美味しくないパンだからね」
「小麦の質が悪いんだな」
「小麦を作るのに向いてない土地で無理やり作った安い小麦を使ってるんだって」
そう言えば、彼はまたちょっと顔をしかめた。
「なんつーか、努力は認めるって思うぜ」
「ほんとにね」
わたしはもう一欠片、口に放り込んだ。
「子供の頃、よく食べてたの。すごく貧しかったから、このパンくらいしか買えなくて」
そう言ってもう一欠片。やっぱり味がない。
「家族と分けて食べなきゃいけなかったからね、向こうが透けて見えるくらいうすーく切って、よく噛んで食べてた。腹持ちをよくするために」
出してもらったいちごのジャムをつけて食べてみる。いちごの味しかしなくて、とても甘い。
それから少しだけ、昔の話をした。彼は黙ってわたしの話を聞いていて、パンを食べながら、ときどき相槌を打ってくれた。
「こんなに美味しくないパンなのに、なぜかなつかしくてしかたないんだよ」
「うん、わかるよ」
「今は、サンジくんがとっても美味しいごはん食べさせてくれるのに」
「それは、お褒めの言葉をありがとうございます、レディ」
わざとらしく畏まった口調で言う彼の目元が笑っている。なんだかおかしくて、わたしもつられて笑う。笑いすぎて涙が出そうになった。
「でも、確かにこれは、なんか、こう……」
「うん?」
「上手く食えねェかなぁって思っちまう」
「出来るの?」
「出来る。けど、ナマエちゃんの思い出を変えちまうかも」
「いいよ」
わたしの言ったことに彼が目を丸くしたのがおもしろくて、もう一度、いいよと言った。
だって、わたしはこのパンを美味しく食べる方法を知らない。
「どんなふうに変わるのか、とっても楽しみ」
そう言うと、彼はしばらくぽかんとした顔でこちらを見つめていたけれど、やがてゆっくりと微笑んで言った。