清澄




つめたい空気の漂う冬の島は、花びらみたいな雪片が静かに降っていた。それなのに太陽は真上にあって、薄い雲はかかっているけれどよく晴れていた。あたりはしんと静まり返っていて、人の気配がほとんどない。立っているだけでもつま先の感覚がなくなって、気持ち悪い。
外に行こうと誘ってきたのはエースだった。どうしてわざわざ、とベッドの上で毛布にくるまりながら言ったわたしに、彼は笑いながらコートを投げつけてきた。
「たまにはいいだろ」
そう言って、追い剥ぎみたいに毛布を奪ってしまい、いつまでも渋るわたしにコートを着せて、引きずるように手を引いて部屋を出た。外に出た瞬間、顔中に刺すような痛みがして、肌がひび割れたと勘違いするくらい寒いのだと自覚してからはもうどうすることもできなかった。
「エース」
「あ?」
「寒い」
「そりゃあ、雪降ってっからな」
そういうことじゃなくて、わたしは帰りたいの。
それでも言ったところで聞き入れてもらえやしないだろうし、我慢しろとあしらわれるのが目に見えていた。
かじかんで、ぎこちない動きしかできない指先を見ながらため息をつく。口から出ていく息は白い。手袋を持ってくればよかったと後悔しながら、隣で平然としているエースを見上げた。彼もコートを着ているけれど、その下はいつも通りの格好であることを知っている。上半身が裸なのにコートを着ているなんてどう見てもおかしい。他の防寒具を身につけていないことも不思議でしょうがなかった。わたしはマフラーを巻いているし、靴下も二枚履いている。足を守るブーツはとても優秀な撥水加工が施されているから水気がしみてくることはないけれど、冷気は遮られていないから、足の裏を地面につけることさえ実はとてもつらい。それなのに、エースの足取りはおどろくほど軽かった。はりぼてみたいな薄着のくせに。いくら火だからって、ちょっとは寒がってもいいんじゃないかと思うほどに。
「どうしてそんなに元気なの……」
「鍛え方が違ェんだよ」
「船に戻りたい」
「なんだ、おれといるのは嫌だってか?」
「それは、違うけど……」
言いかけて、口をつぐむ。エースと一緒にいることはうれしいし、たのしいけれど、それとこの身を切るような耐えがたい寒さは別だった。指先に乗る爪の色は白っぽくなっているし、耳も鼻も冷えすぎて痛くなってきたし、髪もなんだかぱりぱりしているし。
今のわたしは全身が氷になったような気がしてきた。さっきまでいたベッドの中がとても恋しい。あたたかくて、しあわせな夢が見られるあの場所が。
思えば思うほど気分が落ち込んできて、それと同時に腹が立った。エースのバカ。わたしとおなじくらい寒い思いをすればいい。ありったけのつめたさを移すつもりで、彼の腕にしがみついた。
「おい」
「うるさい」
「なんだよ、聞いただけだろ」
「わたしはくっついただけ」
「歩きにくい、離せ」
「嫌だ、離さない」
「急に甘ったれんなって」
「エースのせいだもん、わたしは悪くない」
「まァ、いいけどよ」
ふっと笑って、エースは何食わぬ顔で歩き続ける。
それを見て、わたしがひとりで不機嫌になっているみたいで、とても嫌だった。無理矢理連れ出したことを悪びれたり、寒がったりすればいいのに。ううん、してほしい。わたしはエースのせいで、こんなにつらい思いをしているのに。
頭の中はぐるぐると止まない不満が煮えたぎりかけていた。相反するように、踏み固められてひたすら真っ白な道、雪化粧の施された木々、きらきらと輝く降り止まない雪が目を焼くほどにうつくしい。だから余計に嫌だった。

しばらく歩いてたどり着いたのは小さな湖のほとりだった。
氷が張って、薄鈍の空の色が映っていた。
こんなところじゃ、きっと魚は生きていないだろうな。それとも凍っていても泳いでいたりするのかな。
揺蕩う水面のやわらかさを微塵も感じさせないその広大な場所を見ながら思い巡らしていると、なぜか横から手を引っ張られた。
バランスを崩した身体はそのまま、隣に立っていたエースの胸の中に飛び込む。
「わっ、なに!」
「相変わらず弱っちいな。ちゃんと食ってんのかよ」
「食べてる、っていうか急に引っ張らないで!」
声を荒げ訴えたけれど、彼は掴んだ手を離そうとはしなかった。それどころかぎゅうぎゅうと力を込めて抱きついてきて、かさばる服を着ていることも相まって、とても苦しくなった。
「んー、やだ、離して」
「寒ィんだろ」
「寒いけど、」
「さっき、氷の中で魚が取り残されてたぜ」
「え……なに、いきなり」
「おれは火だから、お前をあっためてやれる」
背中に回っている腕が、なだめるようにそっと動くのを感じた。たしかに彼は火で、いつだってあたたかい。今も、何層もの無機質な隔たりがあるのに、指先の自由を取り戻しつつある。
「……くやしい」
「は?」
「ちょっとかっこいいって思っちゃったから」
「お、おう」
くやしい。自分があまりにも単純で、それから身体は正直なことが。
やっぱり寒いのってよくないと思う。
でも、火があるなら、ちょっとはいいかな。
なんて手のひら返しを頭の中に思い浮かべた。
エースの腕の中で、わたしの気分はかなり上向きになってきた。もう少しだけなら一緒にいてもいいかも。この湖一周分くらい。寒いの、我慢する。
そんな心変わりを伝えようとしたときだった。
突然、首筋に濡れた感触がした。短い悲鳴を上げて飛び上がった。違和感から逃れるように肩をすくめつつ、エースから離れた。ぐるぐる巻きにしたマフラーのすき間になにかが入り込んでいて、それがとてもつめたくて慌てて手で払う。
「隙だらけだぜ」
にやりと笑む彼の手には、いつの間にか白い塊が乗っていた。そこら中にある、手を伸ばさなくたって届く距離にあるもの。わたしと相性の悪い、雪。
「さ、最低!」
「はは、そんな怒んなよ、たのしもうぜ」
「もう帰る!」
「あ、おい、待って!」
「知らない!」
歩いてきた道を戻ろうとすると、今度はエースが慌てる番だった。無視をして先に進む。雪を踏みしめる音がせわしなく後をついてきた。ご丁寧にねじ込んでくれたおかげで、マフラーの内側がいつまでも濡れている。

やっぱり寒いのって、よくない。




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