ヴェガ





一年の終わりが目前に迫っている。
どこへ行っても忙しない。それからどこか浮かれている。
一年なんて、望んでいてもいなくても勝手にやってくるだろ。
このくらいの時期になるとおれは呪文のようにくり返し言い、そして必ずあいつが「そうね」と笑いながら応える。
おれにはそこら中にただようこの雰囲気をたのしむ情緒がない。ひねくれてもいるし、そもそも嫌いだった。
馴染めない自分を拒絶されているようで。なかったことにされているようで。少しもよろこべない。
一年の終わりは、普通の日。
ただ次の日が来るだけ。来なかったらそれまでのこと。
次の日だって、ただの、普通の日だ。

「これから星を見に行こう」
夕方。突然おれの家に押しかけるなり言うナマエに、めずらしいこともあるもんだとおどろいた。
「星?」
「うん」
「なんでまた急に」
「見たくなったから」
「理由はねェのか」
「ないよ。そういう気分」
「ふーん」
相変わらず自由気ままで、なにを考えているのかわからない奴。寒いのも、外に出るのも好きではないくせに。
おれはすぐに返事をしなかった。特に予定が入っているわけではなく、むしろひまをつぶすなにかがほしいくらいだったのに、玄関に立つナマエを見下ろしていた。ベージュのダッフルコートに白いマフラーを巻いて、同じく白いニット帽をかぶっているのがなんだかガキみたいでかわいくて。厚着のせいでいつもより首がまわらないのか、上目遣いをしてくるから余計にそう感じた。
「……行く?」
「あ?」
「まぁ、いいんだけど。思いつきだし。エースが行かなくても、わたしは行ってくるし」
「待てよ、もう暗いだろ。ひとりで行こうとすんな」
おれがなにも言わないから拗ねたのか、すぐにでもこのままドアを開けて出て行ってしまいそうだったから、慌てて止めた。
ちょっと待ってろ。そう言うと、ナマエは首に巻いたマフラーに顔をうずめながら笑ってみせた。

そこら辺に放っておいたジャケットを拾って着て、家を出た。他愛もない話をぽつぽつと投げかけ合いながら駅に向かい、電車に乗る。
窓の外にはしばらく背の高いビルが立ち並んでいたあと、急に視界が開けて平らな土地が広がり、途端に未開発の郊外といった雰囲気に変わる。
最寄駅からたった数駅離れただけなのに、空が広くなって、遠くまで見渡せるようになる。都会特有の人工的な光が少なくなっていく。
「次で降りるから」
いくつか目の駅を見送ってすぐに、それまで静かだったナマエがおれの腕を引いて耳打ちするようにつぶやいた。
車内はそこそこに乗客がひしめいていて、どこかから聞こえてくる話し声も小さくボソボソと言った感じで、大きな声を出していい雰囲気でもなかったから自然なことだったんだろうけど、首のあたりがむずがゆくなった。やけに鼻にかかった声のアナウンスが森を切り拓いて作った公園の名前を告げる。大人でも満足して遊べるアスレチックがあるときいて、以前兄弟たちと一緒に行ったことがあるのを思い出した。
電車が止まると思ったよりも多くの人間が降りた。ちょっとした人混みにまぎれながら改札を通り抜けると、すぐに大きな橋があって、それからでかい看板が目に入る。いろんな施設の名前と、ここから何百メートルという表記と、左右に矢印。ほとんどの人間が右へと進んでいた。ナマエは迷わず左に行って、あとを追うと一気に周りが静かになった。
「向こうにある大きな公園、冬はイルミネーションがきれいで有名なんだって」
軽くふり返り、さっきの右側への道を指差してナマエが言う。
「へェ」
「デートにおすすめなんだって」
「じゃあ、なんでこっちに来たんだ」
「わたしはこっちでデートするの」
「……お前、デートのつもりだったのか?」
「そうだけど?」
なんだと思ったの、変なエース。と、小さく笑いながら言われて、心臓がわずかに変な跳ね方をした。
デートだとは、思わなかった。てっきりこいつのひまつぶしに付き合わされたとばかり。
趣味の合わないおれたちは、いわゆる普通のデートというものはしない。
おれはじっとしていることが苦手で、海に行ったり山に行ったりするのが好きだし、ジムにも行くし、それが無理ならスポーツ用品店や楽器屋に行ってあれこれ試したり買ったり、とにかく外に出て動いていたいタイプ。
反対にナマエはとにかく大人しく静かに過ごしたいタイプ。本を読んだり、映画を見たり。たまにふらりと散歩に行くけど、そのときも本屋に寄ったり、なにやらむずかしいアートが置いてある美術館やいつか潰れそうな寂れた水族館に寄ったり。一番よくわからないのはわざわざカフェに入って真っ黒なコーヒーを飲みながらまたそこで本を読んだりすることだ。そんなの家でできるし、金を払ってまでコーヒーを飲む必要があるのか。あいつはたのしいよと言っていたけど。
「どういう風の吹き回しだよ」
「なんとなく」
「またそれか」
「またそれよ」
歩道に沿って立ち並ぶ街灯の、青白い明かりにナマエの横顔がぼんやりと浮かぶ。満足気にほほえんでいて、マフラーに乗る髪の先が歩くリズムに合わせて跳ねる。
道なりに歩いていたけど、ほとんど人とすれ違うことはなかった。たまにランニングをしている人が颯爽と駆けて行って、おれも走りたいだなんて思っていたら、少し道を逸れたところに長い階段が見えた。明かりが届いていなくて、上の方は真っ暗でどこまで続いているのかわからない。
「この山の上に公園があるんだよ」
「山なのか、ここ」
「そうだけど、エースの知ってる山からしたら、かなり低いかも」
「まァ、どっちかっつーと丘にしか見えねェ」
「丘ってこんな感じなの?」
「走り抜けるのにちょうどいいぜ」
おれがそう言うと、ナマエはえーっと声を上げておどろく。「わたしはここに登ると必ず筋肉痛になるのに!」と続けるから今度はおれがおどろいた。いくらなんでも貧弱すぎる。
「じゃあ、この階段も余裕?」
「余裕」
「すごい」
白い息を吐きながら、ナマエが先に階段を上がる。おれは数段分遅れてあとに続く。筋肉痛になると言っていたから、もしかしたら途中で立ち止まったりするんじゃないかと、そうしたら背中を押すか尻でも叩いてやろうと思っていたら案外すんなり進んで行った。さすがに心配しすぎた。
最後の段を上がりきると、だだっ広い空間があった。山とは言い難い小高い丘の上にあったのは、またまた公園とは言えないまっさらな場所。
「見てごらん」
視界の端に真上に伸びるベージュのなにかが見えたと思えばコートの袖。ナマエが指を差していた。手首までさらしたそれにつられて視線を向けると、そこには想像していたよりずっときれいなものが広がっていた。
暗い空に浮かぶたくさんの星々。わずかに大きさの違う白い点が散らばっていて、目を凝らせば最初に見えた数よりも多くあることがわかった。
「きれいでしょ」
「おー」
「ここ、プラネタリウムなんか行く必要ないくらいよく見えるんだよ」
「プラネタリウム行ったことねェから、わかんねェ」
「この間一緒に……ああ、エースは寝てたっけ」
それじゃあわからないね、とナマエは眉を下げてくすっと笑う。なんだか前もこんなふうに笑われた気がする。
公園には下に広がる景色が見下ろせる場所があって、そこに面したベンチに並んで座った。
「流れ星見えるかな」
「どうだろうな」
「ちょうど流星群の時期だから、見えるといいんだけど」
ベンチの背もたれに背中をあずけて、真剣な目をしながら空を見るナマエの横顔を、空を見るふりをしながら盗み見る。
こいつがなにかに熱中している様子を見るのは好きだった。長いまつ毛を伏せてまばたきするのとか、いまはマフラーに埋もれてわかりにくいけどたまに口角が上がったりするのとかが、特に。おれと向き合っているときには絶対に見られない表情で、それがなんだかおもしろいから。
「エース」
ふいに名前を呼ばれて、反射的に肩を揺らす。
「おう」
「誕生日、まだ祝われるの嫌い?」
そう訊かれた瞬間、自分の身体のどこか奥深いところが鈍い音を立てて軋むような気がした。
忘れていたわけではない。むしろ毎年その日が近づくと思い出す。
「……好きじゃねェ、別に」
おれは本心をさとられないように、静かに答えた。うそだ。本当は、もうそんなに抵抗がない。兄弟やダチのおかげで、悪くないとまで思っている。
生まれてすぐに母親が死んだおれにとって、誕生日というのはよろこばしいものではなかった。ガキの頃はとにかくつらくてなるべく考えないようにしていた。ナマエはそういった複雑だった時期のおれを知っている。だからなんだろうけど、あいつがおめでとうと言ってきたことは一度もない。そんな話すら、触れなかった。昔はそれでよかった。でも、いまは少し損をした気分というか、かまわず言いたいように言わせておけばよかったと感じている。自由を愛してる奴から自由を取り上げたみたいで、胸が痛む。
「そっか」
「うん」
「わたし、おめでとうって言いたかった」
「言いたきゃ、言えばいいだろ」
ナマエは応えなかった。しばらく沈黙があって、風に吹かれて草木がざわめく音が目立って聞こえるようになった。
「……いつまでここにいるんだ」
耐えかねて、言う。出した声は思いのほかかすれていた。
「そうね……もうちょっと」
「寒くねェ?お前、寒いの嫌いだろ」
「エースと一緒だから大丈夫」
「でもよ、」
「あのね」
「あ、あァ」
「エースが好きだよ」
「な、なんだよ、急に」
「すごく、好き」
「…………」
「こうして仲良くしてくれるの、とってもうれしい」
「…………」
「できればずっと一緒にいたい」
「……なァ、言っててはずかしくねェか?」
「全然」
自信満々に、きっぱりと言い切られたら口を閉じるしかない。こいつのふとした瞬間の大胆さは、いつまでたっても慣れない。なんというか直球すぎて、しかも全部まぎれもない本心だから、とにかく身も心もびっくりする。
「そうか……」
「うん」
「おれも……まァ……好きだ」
「うん」
「たぶん……たぶんな」
「曖昧ねぇ」
「うるせェ、わりィかよ」
どうしても照れてしょうがなくて、隣にある気配とか背筋がくすぐったくなる笑い声から逃れるように真上を見る。どんどん夜が深くなっているから、さっきよりも星がはっきりと見える。熱くなった顔を撫でる風のつめたさが際立っている。
「ねぇ、へそ曲げないでよ」
おれの手に、ナマエの手が伸びてきて触れる。氷みたいに冷えた細い指先に、そういえばきょうはじめて繋いだと気づく。
「エース」
ナマエの気配が目の前にやってくる。腰を浮かせておれを見下ろす。わたみたいなやわらかいマフラーがあごに触れ、実は動くたびに甘い匂いが漂ってくる髪が顔にかかって、白い息を吐く小さな唇がおれの口を塞いだ。
「好きよ」
湿った音を立てて離れていったあと聞いた言葉に、身体中の血液が沸騰するような感覚に襲われた。
心臓の鼓動がどんどん速くなっていくのがわかる。ナマエは笑っている。なにかを言いたくて、言い返したくて、声を出したいのにちっとも喉が震えない。カラカラに干上がっているみたいに張りついてどうしようもない。
「は──はずかしい奴……」
「嫌ならおめでとうって言わせるのね」
「だからって……なァ、おい!」
「あはは、急に元気になった」
エースはおもしろいねぇ、と他人事みたいに言うナマエ。
なんか、なんというか、やっぱりこいつはなにを考えているのかわからない。
火が出るほど火照った顔を手で覆う。もう片方の、繋がった手もじんわりと手汗をかいているけど、離すのは癪だった。おれの手汗で気持ち悪い思いをすればいい。
「おめでとうって言わせてくれるなら、もっとあっさりした感じに祝ってあげるけど」
「だから、言いたきゃ言えばいいだろうが……」
「いいの?ほんとに?」
「あんまりしつけェとおれの気が変わるぜ」
「じゃあ言わない」
「あ?」
「ふふ、冗談。来年言うから」
「おう」
「約束」
繋いだ手が解かれ、頼りない小指を差し出される。おれは黙って自分の指を絡めて、ナマエが満足するまでじっとしていた。
ひときわ冷えた風が首筋をかする。
氷は溶けたようで、細い指をもうつめたいとは思わなかった。


2023.01.01 Happy Birthday Ace

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