エースが助けにくる話






※薄暗い
※暴力表現
※夢主がひどい目にあう



──自分が都合のいい存在だっていうのがわからないのか。
目の前に立ちはだかる屈強な体格をした男たちは、蔑みを含んだ目つきで見下ろしてくる。
氷よりもつめたく、ナイフよりも鋭利な視線は、簡単に心を抉ってくる。
わたしはただ、うつむくことしかできなかった。

海軍の制服を身にまとった彼らと目が合ってしまったのがいけなかった。
たくさんの人であふれ返った大通り。なにげなく視線をやったところに、海兵がいた。そのまま通り過ぎてしまえばよかったのに、わたしはなぜか凍りついたように立ち止まってしまって、それから急いで引き返そうとした。
彼らはすぐに気づいた。背中に向かって、おい!と怒声が投げつけられたから、逃げなければという一心で走った。人と人の間を縫って、全速力で。それでも撒くことはできなくて捕まってしまった。容赦なく腕を掴まれ、でこぼこした地面に叩きつけられた。
彼らはわたしのことを知っているようだった。足に上手く力が入らなくて、よろよろと立ち上がろうとする前に、今度は無理矢理立たされて、火拳のエースはどこだと問い詰められた。
混乱した頭の中では目の前の男を罵った。でも実際のわたしはどもりながら知らないと答えるのがやっとだった。
いつも一緒にいるのに知らないのかと鼻で笑われた。挑発してくる男の言動に鳥肌が立ってつい、気持ち悪いとつぶやいたら、耳の中で空気が破裂する音がした。
頬を打たれたのだと気づくのに時間がかかった。わたしを取り囲んで立つほかの海兵が、ほどほどにしろよと軽い口調で言っていて、自分の置かれた状況を理解した。
みぞおちの奥に穴が空いたように冷えた。足が震えて、さっと血の気が引いて、戻ってこない。急に世界からだれもいなくなって、ひとり取り残された気分になった。味方がだれもいない恐ろしさ。わたしの頬を打った男は興奮した様子で責め立てる。耳にもしたくない言葉の羅列が、体温をすべて奪う雨となって全身にまとわりついて離れない。
──知らない、なにも知らない。
言い返したつもりだった。けれど、喉が上手く震えなくて、情けない音が通り抜けただけだった。彼らが笑う。怯えたわたしへの嘲笑がいくつも重なって、押し潰そうとしてくる。
冷え切った身体の中に羞恥心が生まれた。自分が無力でなにもできないのだと知って。
そうして耳を打ったとどめの一言に、涙が出そうになった。
──海のクズに似合いの頭の弱い女。
──きっと随分勝手がいいんだろうな。
言葉も失うほどの言葉に、怒りと絶望を感じて、どうにかなりそうだった。
わたしとエースはそんなのじゃない。エースはあんたみたいにひどいことをしないし、馬鹿にだってしない。
わたしたちは、ちがう。
そう言えばよかったのに、あごと唇が震えて、喉の奥が締まって、なにも言えなくなってしまった。
気づけば海兵のほかに、たくさんの通行人が冷ややかな好奇心の目を向けていた。
無数の棘のような視線に、気が遠くなった。どうしよう。どうにもできない。くやしくて、このまま消えてなくなってしまえばいいのにと思った瞬間だった。
顔中に熱い風を感じた。
打たれた頬の痛みかと思ったらそうではないと察したときにはもうすべてが変わっていた。
視界いっぱいに広がる真っ赤な火。炎。ひりひりと焼けついて、皮膚が焦げてしまいそうな温度。まばたきをするたびに海兵たちを包み込んで、姿が見えなくなる。
「あ、」
「平気か?」
呆然と立ち尽くしていると、目の前で揺らめいていた炎が人の形になっていった。耳に馴染む声が、やけに落ち着いていて、胸が締めつけられた。
恐る恐る視線を上げる。そこにはわたしの様子をうかがうエースがいた。
「すまねェ、遅くなった」
彼の問いかけに返事をすることはできなかった。
どうしてここにいるの。なにをしてるの。わたしは彼になにをさせたの。
聞きたいことと考えなければならないことが山ほどあるのに、わたしはなにも言えないまま首を振ることしかできなかった。
「もっと早く助けてやりたかったんだけどよ」
「エース……」
「走れるか?」
手を差し出される。迷わずその手を取ろうとすると、またあの怒声が聞こえた。慌ててふり返る。燃えながらも構わずこちらに向かってくる海兵たちがいて、その姿があまりにも異様でぞっとして、後退りしてしまった。
「ちょっと我慢しろ」
エースはそう言い、わたしを抱え上げた。
目を白黒させているうちに、また目の前が赤くなった。さっきよりも強い熱さに耐えられなくて固く目をつぶる。
とても近くで、耳をつんざく悲鳴がたくさんした。
けれど、わたしは彼にしがみつくのに精一杯だった。


建物のすき間から、黒い煙が上がっているのが見えた。
離れた場所にいるはずなのに、風に乗って焦げ臭い匂いが漂ってきていて、鼻の奥が痛くなった。
あれから途中で降ろされたわたしは、エースに手を引かれながらひたすら走った。周囲はパニックに陥っていた。すれ違う人々が火事だと叫んでいた。
戻ることはできないから、かわりに想像する。勢いよく燃え盛る火。街中に飛び火して、建物が次々と崩れていく様子。
自分のしたこと。エースにさせたこと。事の大きさを知る。
ようやく立ち止まることができたのは、一本の細い路地に滑り込んでからだった。
ここなら安全だ、とエースはけろっとしながら言った。それが本当かどうかはわからない。海軍がどこかに潜んでいるかもしれない。わたしの頬を打った海兵が追いかけてきているかもしれない。不安はつきなかったけど、それよりわたしは息が上がって過呼吸のようになっていて、整えるのに必死だった。
壁に背中をつけて座り込む。もう一歩だって歩けない状態だった。足は痛いし、エースが近くにいるから、腰が抜けてしまった。
「大丈夫か?」
隣にしゃがみ込んだ彼が、落ち着いた声で訊いてくる。返事をしたくてもまだ上手く話せなくて、うなずいたけど、伝わったかはわからない。
「ごめんね」
長く、本当に長く、なにも言えずにいた。
身体に力が入らなくて、ぼんやりと白い砂埃のついた靴の先を見ていた。ようやく出せた声は、とてもかすれていた。
「なにがだ」
「巻き込んじゃって……迷惑かけたよね」
「気にすんな」
「エースはなんにも悪くないのに、わたし、ひどいことさせちゃった」
うつむいて、自分の手を見るとぶわっとにじんでぼやけた。下を見なければよかったと後悔しても、遅かった。まつ毛が濡れた感覚がしたころには、こらえきれなかった涙が頬を伝っていった。
「エースのこと、知らないって嘘ついちゃった」
一度言葉が出てしまうと、抑えていた感情が爆発する。ふり返りたくもない光景が脳裏によみがえる。地面に打ちつけられたときの衝撃。腕を掴み揺さぶってきた男の手の感触。怒声。罵声。嘲笑。火だるまになりながらも立ち塞がろうとする人間の姿。
吐き気がする。涙が止まらない。目が痛い。泣きたくなんかない。わたしがいけないのに、泣く資格なんかないのに。
エースは弱い奴が嫌い。わたしがいつまでもくよくよしていると必ず叱る。止めなきゃ。嫌われたくない。止めなきゃいけないのに。目頭がずっと熱くてなかなか冷めない。
「ごめん、ごめんね」
「おい、落ち着け」
ちゃんと息吸え、とエースの手のひらがしゃくり上げるわたしの頭を撫でた。言われたとおりに深く息を吸い込もうとしても、身体が言うことを聞かない。浅くて短い呼吸ばかりをくり返してしまう。嗚咽混じりの謝罪をするたびに、罪悪感がふくらんでいく。
こんなことをさせるつもりはなかった。それなのに、結局わたしはエースに助けられて、自分の力でどうにかできたことはひとつもない。わたしは本当に、どうしようもなく無力だ。
「いーんだよ、これで」
エースがやわらかい声で言う。
「お前は悪くねェ」
「エース、」
「泣くな。お前に泣かれると、どうしたらいいかわかんなくなる」
「でも、でもっ、」
「おれが勝手にやった」
そう言い切る彼の表情に、迷いは見えなかった。力強い眼差しでわたしを見つめるから、思わずどきりと心臓が跳ねた。
「お前を助けたことも、あいつらに喧嘩を売ったのも、ちっとばかり火加減間違ったのも、全部おれがやった」
「そんな、」
「それによォ、おれがやったことを自分のことみてェに言うな」
エースの手のひらが頬に触れて、やわらかく包んでくる。親指が目尻の濡れたところを拭う。
わたしの顔を簡単に覆えるくらい大きな手。火に代わることもあるのに、ちっともこわくない、やさしい手。
「お前は悪くねェんだよ、な?」
言い聞かせるみたいにエースは言って、返事を待つように首をかしげる。
「……うん」
うなずいた瞬間、また視界が歪んだ。やさしい手をぎゅっと握る。離れていってほしくなかった。
いつだって、わたしの一番そばに居たのはエースだ。わたしはむかしからひとりぼっち。それでも気にしないで生きてきたけれど、もうどうやってひとりでいていいのかわからないくらい、彼の存在が大きく、身体に馴染んでしまっている。
彼は太陽。その日差しはあらゆるものに平等に降り注ぐ。わたしにだってそう。きっとこうして助けてくれて、守ってくれて、なぐさめてくれるのも、特別なことではなくて自然で当たり前なただの思いやりなんだろうけど。
それでもうれしいと思う。愛を感じる。
わたしにも、おなじ数だけ返せたらいいのに。
自由な彼にすぐに置いていかれる身では、なにもできないのがとても歯がゆい。
「ほら、もう泣くなって」
エースは困った顔をしながら笑う。わたしは鼻をすすって、涙でべとべとの顔を手の甲で擦った。
「かわいい顔が台無しだぜ」
「かわいくないよ」
「殴られたところ、痛くねェ?」
「……少し」
「やっぱ、もうちょい燃やしてくるか」
「やめて、帰るのが大変になっちゃう……エースにこれ以上ひどいことさせられない」
「じゃあ、早く帰ろうぜ」
エースはわたしの手を掴んで立ち上がらせると、そのまま歩き出した。泣き腫らした目のせいか、ひっそりとした狭い路地の中がとても暗く感じた。こわくなって繋いだ手に力を入れると、「歩けるか?」とエースが訊ねてくる。
「おんぶしてやろうか」
「大丈夫、歩く」
「無理すんなよ」
「一緒に歩きたいから」
それから路地を出て、広い通りをなるべく目立たないように歩いた。
その間、わたしもエースも一言もしゃべらなかった。
街はまだ燃えているみたいで、あちこちから煙が上がっているのが、通りすぎる家や店のガラスに映っていた。
ときどきすれ違う人たちもみんな前を向いていて、歩いたり、立ち止まったりしながら空を仰いでいた。
だれもわたしたちのことを見ていなかった。いままで住んでいた場所が変わっていくのを見るのに夢中になっていた。
わたしはふり返らなかった。すっかり疲れてしまって、なにも目に入れたくなかった。エースも前を向いていた。もうここには用はなかった。
焦げたにおいに追い立てられるように、注目されないことが、なんだかこの世界でふたりきりになった気分のように感じながら、どんどん街から離れていった。



ワードパレット使用作品
7.都合のいい/一番そばに居た/情けない声
Thanks 憂/@torinaxx


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