終わりに向かう世界
※終末もの
夏の盛りだというのに吐く息が真っ白なのは、ここ数年でよく耳にするようになった異常気象だから。
今夜は特に冷えるのか、氷でも混じっているような夜風が吹く。アイスティーの中を泳ぐとしたら、こんな気分かもしれない。ストローでくるりとかき混ぜると、流れるプールの完成。指先やつま先の感覚は、うまれた渦の中に消えていく。
建物の屋根の上に、藍色のインクをひとつ垂らした黒い空がある。月がなくて、かわりに星がきらきらとかがやく。最近はやけにその姿を見せている気がする。少し前に見たニュース番組で、新しい一等星が立て続けに観測され話題になっていたし、おそらく、増えている。雨後のたけのこではなく、星が増えているのは、なんともおかしな話。世界中で人口が減り続けているのに。
長く座っていたせいで痛くなったおしりとか足をほぐしたくて、ちょっと散歩してくると言って外に出ようとしたら、じゃあおれもとペンギンがついてきた。世界の滅亡を見届けよう、と急遽開催された映画鑑賞会を終えたばかりだった。いまや骨董品扱いのDVDプレイヤーにいろんなディスクを入れ、何時間も通して終末ものの映画を見続けた。隕石の落下を回避しようと足掻いたり、古代の予言通りに国が海に沈んだり、氷河期を彷彿とさせる大寒波がやってきて都市が凍ったり、暗号を解読して破滅の予言を覆そうとしたりとさまざまだったけれど、終わり方はどれもおなじ。数人の男女が生き残って、わずかな再生の希望を見せて、エンドロール。
「そういえば」
「うん」
「最後に見た映画の主演やってた俳優、住んでたところが水没して死んだんだって」
「へえ」
ネットのニュースに載っててさ、とペンギンがなんてことのないようにつぶやく。あの俳優はたしか、ここから気の遠くなるほど離れた外国に住んでいた。その辺りでは、海面上昇が深刻化しているのだとか。
「街の中心に住んでたのに、いつの間にか海になってたんだとさ」
「そっか……それならもう、海も行けないのかな」
「危ねェだろうな」
「もう少し、たくさん行っておけばよかった」
「お前、海好きだもんな」
「ペンギンだって好きでしょ?」
「まァな」
今年は寒くて行きそびれたけれど、彼とは毎年一回、電車を乗り継いで海に行っていた。海水浴場の近くに水族館があって、夏休みの親子連れやカップルに紛れながら周って見て、最後に海岸の近くを歩いて帰るのがわたしたちにとってお決まりの、夏の過ごし方だった。
水族館の売店にあった、メロン味のかき氷が好きだった。あれを食べれば、頭上に絶えず降り注ぐ鋭い日差しと、鉄板のように熱くなった道路の照り返しに参ることなく、家に帰れた。緑色に染まった舌を見せ合ってふざけることも、じゃれ合いながらこっそりキスをするのも、結構好きだった。
今はもう、売っていないんだろうな。そもそも、水族館が無事にやっているのかが、わからない。アジ、カニ、タコ、クラゲ、イソギンチャク、クマノミ、ヒトデとか、淡水魚。数えきれないくらい、いろんな種類がいた。エイとかウミガメとかアザラシにオットセイにイルカ。彼らも今頃どうしているのだろう。たくましく生きていてくれてたらいいな。
夜が深まっている中、道を歩いているのはわたしたちだけだった。鼻の奥が痛くなるほど透き通った空気に、ふたり分の足音が溶けていく。時間はまだ、夜の九時を迎えてもいなかった。以前なら学校や仕事帰りの人が行き交って、駅前にある繁華街のネオンがギラギラと光りかがやいていて、賑わっていた。治安もちょっと、悪かった。酔っ払いとかいたし、あやしい勧誘をする人なんかもいた。ターミナル駅と呼んで差し支えないほど大きな駅があったから、そのあたりはしかたのないことだけれど、それも過去のこと。今は閑古鳥が鳴いている。駅はまだあるけれど、住む人が減ったせいで著しく電車の本数が減った。駅前やその近くは、夜の空と同じ色に沈んでいる。
「あ」
ぽつぽつと他愛のない話をしていると急に、ペンギンが立ち止まった。なぜか空を見上げていて、視線を追うと星だらけの空に短い線が引かれ、消えた。
「あ、流れ星」
「願いごと、しとけよ」
肩をすくめ、ジャケットの襟に埋めていたペンギンの首元が、さらされている。
彼はちょっと、首が長い。「なで肩気味なんだよ、おかげでスーツがいまいち似合わねェ」と何度かぼやくのを聞いたことがある。
スーツ、似合ってたけど。彼はサラリーマンだったけれど、スーツを着るのはときどきでいい会社に勤めていた。そのときどき着てみせるスーツ姿が、様になっていて好きだった。それを素直に伝えると彼は照れ隠しなのか、「会社にもっと様になるやべー奴がいるんだぜ」と端末に保存していたそのやべー奴って人の写真を見せてもらったことがある。その人は背が高くてモデルみたいだったけれど、ペンギンの方がずっとよかった。その会社は人が減り過ぎたことでなくなってしまって、彼がスーツを着ることはもうないみたいだけれど、たまに思い出しては恋しくなる。
「おい、」
ペンギンのきれいな首元を見ていると、喉仏が動いた。白い息を吐きながら、わたしを呼んでいた。
「お前、見てた?」
「……ううん」
「見ろよ」
「間に合わなかった」
「おれのこと見てるからだろ」
「もっとゆっくり落ちてくれれば、間に合った」
「はは、無茶言うなって」
そんなやりとりをしているうちに、またひとつ星が流れ落ちた気がした。見上げてみても、細かい穴みたいな空しかなかった。
「ねぇ」
「うん?」
「もし本当に世界が終わるとしたら、最後になにをしたい?」
なんてことを訊くのがばからしいのは、知っている。
だって「もし」じゃなくて、「本当に」世界は終わるから。
ただ、彼とはそういう話をこれまでしてこなかった。たぶん、していない。ぼんやりと、けれど確実に、「今」という時間を一生懸命生きていたから、そんな空想じみた話は必要なかった。
「どうしたよ、いきなり」
「さっき見た映画の影響?」
「へェ……そうだな……おれは多分、いつも通り。飯食って、寝る」
「ふーん」
「お前は?」
聞き返されて、そうかわたしにも答えが必要か、と気づく。なにかしたいことあるかと訊かれると、案外むずかしい。わたしから訊いたことなのだけれど、一体なんだろう。ペンギンと一緒にいること?それはまあ当然だとして。
そもそも世界の終わりなんて想像したこともなかったし、自分がその当事者になるなんて、考えたこともなかった。もしもの話なんて、想像すらしたことがない。
「……こうやって散歩するかな」
ひゅう、と首筋につめたい風が入ってきた。マフラーを巻き直す。ペンギンが意外そうな顔をしていた。
「マジ?」
「うん、きっと、そうする」
「菓子とか、山ほど食うとか言うと思った」
「おなかいっぱいにしたら、死ぬ間際にゲロ吐きそうだし」
「はァ?そんなこと気にすんのか?」
「ペンギンだって、ゲロ吐いてるわたしなんて見たくないでしょ?」
「そんなおもしろいもん見たら絶対忘れられなくて、死に切れねェよ」
どうしてなのか、ははは、と愉快そうに、そしてちょっと意地悪な感じで笑うペンギンに口をゆがめる。彼のツボは、おかしなところがある。こういうときは相手にしないに限る。けらけら笑っているのを横目に先を歩くと、「お前ってやっぱおもしれェな」と肩に腕を回してくっついてきた。
嫌だ、離して。嫌だ、離さねェ。ふらふらと身を寄せながら歩いていると、ペンギンのジャケットのポケットが震えた。
「お、」
「なに?」
「これから気温が二十度下がるってよ」
端末に表示された天気予報の通知を見ながら、明日は氷点下だなとつぶやく。
「今日は一緒に寝るしかないね」
しょうがないなぁ、と首を振ると、ペンギンはまた笑いながらわたしにくっついてきた。
夜道に彼の笑い声が響く。
あれからよく、夜に空を見る。
流星群が来る日もあれば、月食の夜もあるし、オーロラが見えることもある。瀕死の地球は、パーティが好きなのだろうか。人間を飽きさせない催しを、よく開いてくれる。
窓辺に座って空を見上げるとき、隣にはペンギンがいる。お互いになにをするでもなく、ただ一緒にいるだけだけど、なんだか今まで以上にそういう時間が心地いい。会話をしなくても、そばにいるだけで満たされるものがあるなんて、世界中を探してもきっと彼だけなんじゃないだろうか。
今夜も月がなく、雲もない。多すぎる星々が、競い合うようにらんらんときらめいている。
「きれいだね」
「おー」
「明日も晴れるかも」
「かもな」
「晴れたら、お花見しに行こうよ」
近所にある丘の上の公園に、狂い咲きの桜がある。花壇の花々も、いつも手入れされているおかげでかわいらしく咲き誇っている。だれが手入れをしているのかはわからないけれど、ときどき数少ない街の住民が眺めているのを見かける。
あれは、知らない間に心に負った傷を癒やしてくれる、色鮮やかな絆創膏たちなんだろう。これまで花に興味はなかったけれど、すっかり色褪せた街で咲いてくれてうれしいと、いつの間にか感じるようになっていた。
ペンギンがあくびをした。眠そうな目でこちらを見て、「寝ようぜ」と言う。部屋に戻り、ベッドにもぐり込む。重ねた毛布に、抜け出したときのぬくもりが残っていて、あたたかかった。
「ねぇ」
「ん?」
「キスしたい」
毛布から顔を出し、暗闇の中で言うと、ペンギンが小さく笑った。
「今?」
「したくない?」
嫌なら、いいよ。負けず嫌いな彼は、こういう言い方に弱い。少し間があって、シーツの擦れる音がして、それから下唇を包まれる感触があった。すぐに離れてもう一度、今度は長く触れた。ちゅう、と湿った音を立てて離れて、しばらく見つめ合ったあと、そっと腕の中に閉じ込められた。
「いい匂い」
「うん?」
「お前、いつもいい匂いで、落ち着く」
さっきのお返しと言わんばかりに、わたしの首筋に顔を寄せて、すうっと大きく息を吸った。くすぐったくて身体をひねろうとするけれど、彼の力にはかなわなかった。おとなしくしておくことにする。ついでに目の前の広い胸におでこをつける。規則正しい鼓動が聞こえる。生きている音。呼吸の音も伝わる。顔を上げ、わたしの大好きな首元にそっと指先を這わすと、血の流れる音、脈打つ感覚がわかった。
安心する。彼もまた、わたしのためだけの絆創膏。
「くすぐってェ」
「ずっとこうしていたい」
「うん」
「このまま死んじゃってもいいくらい」
「そのうち、本当にそうなるかもな」
今朝、聞いたラジオ番組のことを思い出す。この世界が深刻な危機に直面しているという内容だった。いままで観測されなかった現象が次々と起こりはじめていて、このままだとあと十年足らずで地球上のすべての生命が絶滅するという。
そのときわたしは朝ごはんの焼いたパンを食べ終え、りんごジュースのおかわりをコップに注いでいた。ペンギンはコーヒーを飲みながら、新聞の占いコーナーに見入っていた。
今日の最下位は牡牛座のあなた。忘れ物に注意しましょう。ラッキーアイテムは──。
一緒になってのぞき込んで目についたところを追っていたら、急に音声が乱れ、ざらざらと砂嵐のような雑音が混じった。ラジオは聞くのを止めた。
「やっぱり、海に行けばよかったな」
「今度、海、見に行くか」
「いいの?」
「いいぜ、溺れたら助けてやる。おれ、泳げるから」
「うん」
明日は寒くねェといいな。
わたしの背中を撫でながらつぶやくけれど、ペンギンの声は眠気のせいかとろんとしていて、随分となめらかだった。
「おやすみ」
そう告げると、彼は眠りに落ちながら、笑ったようだった。
器用なことするのね、なんて思いながら、わたしも頬を緩ませながら目を閉じた。
ワードパレット使用作品
11.いい匂い/離して/おかわり
Thanks 憂/@torinaxx