酔ったローに絡まれる話





わずかに見下ろすところにある顔は、ほんのり赤く色づいている。わたしの胸にくっつけてくるおでこも頬も吐く息も、腰に回る腕も手のひらも。すべてがじんわりと、身体の奥深くに染み込むように、熱い。
ローはずいぶんと、ご機嫌だった。ひさしぶりの陸だと、だれもが意気込んで夜の街へ。めずらしくペンギンやシャチと連なって彼も出かけて行ったけれど、一足先に帰ってきてからはずっとこう。わたしを呼びつけ、膝の上に乗せ、ひたすらに抱きしめている。
「ねぇ、」
呼びかけてみても、返事はない。背中を軽く叩いてみても、身じろぐことさえない。どれだけ飲んだのかは知らない。こうしてくっついているのは嫌いじゃない。ただ、船内の食堂の真ん中で寄りそっているから、さっき船番として残っていたクルーがやってきて、すごくおどろかれた。ごめんね、とローに見えないようにジェスチャーをすれば、気にしないでとおなじようにこっそり返してくれたけれど、あとでからかわれそうで落ち着かない気持ち。
「ロー」
「うん」
「ちょっと」
「…………うん」
「離して、痛い」
おなかに食い込んでくる長い腕が苦しくて、指が周りきらない手首を掴み、指先に力を入れた。すると、それまでなんの反応も見せなかったローがゆっくり顔を上げ、腕を解き、わたしの背中を支えながらもう片方の手で胸の下に触れた。
「……どこが痛い」
「え?」
「痛ェんだろ?診てやる」
おれならできるとつぶやきながら、大きな手がシャツの裾を引っ張った。するりと中にすべり込んで、胸の真ん中やみぞおち、おへその上あたりを指先で撫でる。
「ね、ねぇ……」
「どこだ」
「やめてよ」
「楽にしろ」
「痛くないから、大丈夫」
診察するみたいにぺたぺたと触りつつ、くすぐるようにわき腹の肉をつまんでくる手のひらを引きはがす。ここで止めないといけない。もしも、いつの間にか服が消えている、なんてことがあったら大騒ぎだ。ローならやりかねない。わたしはよく知っていた。
「嘘つくな」
「ついてない、大丈夫。心配させてごめんね」
引きはがした手は繋ぎ、やさしく力を込める。ローはしばらくわたしの顔を見つめ、隠しごとをしていないか探っていた。絡んだ指を解き、その手で頬をはさんできたり、撫でたり、引っ張ったりして。ひと通り観察したあと、満足したのかふわ、とあくびをひとつ。今にも閉じそうな目を擦りながら、また寄りかかってきた。
「大丈夫だった」
「そうでしょ?」
「よかった」
「眠そうだね」
「あァ……」
「そろそろ、部屋に戻る?」
訊ねれば、彼は喉の奥で返事をしながらうなずいた。その仕草に、頬が緩むのを感じながら立ち上がる。素直な様がとてもかわいらしい。気難しくて頑固なところを普段目にしているから、なおさらそう見える。
テーブルに放り投げられていたまだら模様の帽子も忘れずに。手を引いて、ローの部屋に向かう。船の中がしんと静まり返っているせいで、足音がよく響いた。人の気配やモーター音がしない艦内は、まさに箱庭といった感じで、たまにしか見れない特別なもの。わたしはこの黄色い船の、時々見せる一面が好きだった。
重たいドアを開けると、古い紙やインクの匂いが鼻の先に漂ってくる。彼の私物が所狭しと並び、わたしの中では散らかっているように見えるけど、彼の中の基準では整頓された部屋の端にあるベッドまで連れていき、座らせる。
ローは黙ったまま、着ていたシャツを脱ぎ捨て、靴も脱いだ。そうして重力に従うように寝転がる。
「気分は?」
「悪くねェ」
「じゃあ、そのまま寝て。おやすみ」
「お前は?」
「え?」
「寝ないのか?」
「寝るけど……」
「じゃあ、お前も寝ろ」
「どこで……ここで?」
返事はなかった。かわりに、ローの手がわたしの腕を掴み、引っ張った。うっかりしていたら、肩でも抜けそうな、そんな勢い。いつもならこんなことはしない。彼は自分の身体の大きさ、そこから生まれる力の強さを知っていて、実はあらゆるものに気を遣っている。特にわたしに対しては過剰なくらいで、そんなに気にしなくてもいいと言っても、決して首を縦にふらない。バランスを崩し、ベッドに転がる。すぐに起き上がろうとしたけれど、大きな身体が覆いかぶさってきて、身動きが取れなくなった。
「寝ろ」
「い、いいよ……ベッドが狭くなるし……」
「いいから」
いつもより低い声。酔いと眠気のせいで覇気がなく、わずかに舌足らず。冴わたるアンバーが溶けて、はちみつへと姿を変える。とろりとこぼれて、わたしの顔に垂れてくる。
「ほ、本当にいいの?」
「……なんで聞く?不満か?」
「ロー、ひとりで寝るのが好きでしょ?」
「好きじゃねェ」
「えっ」
「お前と寝たい」
「……」
「お前と一緒じゃなきゃ寝たくねェ」
ローは、言い切った。彼がわがままを言うのはめずらしくなく、これまでたくさん聞いてきたけれど、こんなに子どもじみた言い方をするのは聞いたことがなかった。唇を尖らせ、駄々をこねることなんて、もしかしたらこれから先二度と見られないかもしれない。常に冷静で頭の切れる彼は、わたしの前でも頼もしく、尊敬できる人で。だからこそ、今目にしている態度が新鮮でありつつも、おどろきを隠せなかった。
「……わかった」
観念して、横たわる。マットレスの上で一番居心地のいい場所を探し、姿勢を整えて、枕に頭を乗せる。ローは満足げに鼻を鳴らし、笑った。得意げな笑みは後を引き、次第に肩まで震えるようになる。彼は隣に寝そべって、顔を手で覆った。
「いいな」
「うん?」
「お前がいる」
「うん、そうね」
「お前がいるんだ、おれの隣に」
「うれしい?」
「うれしい」
「いつも、よく、一緒にいると思うけど」
「足りねェ」
よく一緒にいるだけじゃ、足りない。
初夏の浜辺に寄せるさざ波みたいなやわらかい声で、言った。
「お前を、」
「うん」
「持ち運べたらいい」
「うん」
「手に持てるくらいの大きさで」
彼はささやきながらわたしに近づいて、唇の先を頬につけてきた。
「ポケットに、入れておく」
「それってすごく小さいね」
ローはまた小さく笑い、今度は下唇を噛まれた。キスをするというより、感触をたのしむみたいに前歯を立てて。
「……グミ」
「わたしの口が?」
「好きだ」
口に入れれば溶けてなくなるメレンゲクッキーみたいに軽く、そして喉が焼けるほど甘い言葉に、照れ笑いが止まらなくなった。
お菓子なんて食べないくせに。そう言うと、ローはしっかりと枕に頭をあずけて、目を閉じた。すぐそこにある眠りに落ちる前に、ひと言。淡くほほ笑みながら。
「お前が、いちばん、すきだ」



ワードパレット使用作品
5.今にも閉じそう/素直な/指先で撫でる
Thanks 憂/@torinaxx


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