毛づくろい
真っ直ぐに伸びる白銀の刃は、血の一滴すらつかない。
つい数秒前まで、山のような体躯の屈強な男たちを斬り伏せていたというのに。
鋭すぎるあまり、水分すら両断されたのかと思うほど。
昼間の空に浮かぶ細い月みたいに、きらめいていた。
凄惨たる様相。
人が倒れている。
腕がなかったり。
足が曲がっていたり。
首を掻き切られていたり。
内臓がこぼれていたり。
首がなく、胴体だけ転がっているのも、あった。
目や喉の粘膜を麻痺させ、刺激する焦げ臭い匂いもした。
脳を支配し、恐怖に陥れ、足をすくませる火薬の匂いも、した。
痛みに苦しむうめき声、すすり泣く声、奥歯を噛みしめ呪いの言葉を吐く声も、あった。
わたしはゾロをじっと見つめていた。
彼は咥えていた刀を鞘に収める。
無骨な指先も、しっかりした肩も、呼吸も、乱れたところがなかった。背筋を伸ばし、凛然とした様子で立っていた。
異様だ。足元には地獄がある。流れた血のせいでぬかるんだへどろが、恨めしい、口惜しいと叫んでいる。
だというのに、彼の佇まいはうつくしい。
汗が浮かんで、おでこやはだけた胸元がつやめいているせいもあるだろうけど。目に焼きついて離れない、姿だった。
いつまでも呆けて見とれていたせいかもしれない。
ゾロの顔がゆっくりとこちらを向き、まだ冷めきっていない熱を帯びた瞳と、かち合った。
瞬間、鳥肌が立つ。
それまで聞こえていた、風の音すら消えた気がした。
肌が敏感になる。うぶ毛が逆立ち、開いた目が閉じられなくなった。
ゾロは黙って、こちらへ近づく。一歩ずつ距離が縮まるにつれ、落ち着いていたはずの心臓が、うるさいくらいに脈打ちはじめた。
耳の中の気圧が変わる。なにかに胸を強く締めつけられたのか、息苦しくてしょうがない。立ち尽くしたまま、手のひらをぎゅっと握りしめた。薄っすらと汗をかいていた。
ゾロは、鼻から血が出ていた。
殴られたとは思いがたい。ぶつけたのかもしれない。理由は想像もつかないけれど、痛々しかった。垂れた血は唇の山を乗り越え、あごへと伝っていた。気に留めていないのか、ぬぐいもせずそのまま、汗に混じって首へと流れていた。
距離が縮まるほどに風に乗って、生臭さと金属の混ざった匂いがする。つい、腕をさすった。肌に爪を立て、浅く引っかく。彼のブーツの底が小さな砂利を踏みしめて、その音がやけに響いて聞こえて、背筋に寒気が走った。
つま先が、触れ合う。立ちはだかる壁みたいに威圧感を出す彼は手を伸ばし、後頭部を掴んできた。
息を吸う。流れるように唇が重なった。舌が入り込んできて、歯列をなぞられる。錆びついた味が舌にのる。息ができない。酸素を求めて口を開けば、角度を変えて口づけられた。唾液の混ざる音が頭の中で反響して、目の奥から涙があふれそうになった。
「なに」
気が遠くなるような感覚をどうにかふり払い、傷跡の走る広い胸を押した。当然、そんなことをしてもびくともしなかったから、彼の唇を噛んでみせた。
離れていくとき、血の混ざった唾液が細い糸となって、切れるのを見た。
「ねぇ」
「あ?」
「なに」
「無事だな」
「そうだけど」
「だったら、いい」
「よくない」
口の中がべたべたする。
不満を込めたひと言をつぶやけば、彼はにやりと意地の悪い笑みを浮かべながら、一度だけわたしを抱きしめた。
「行くぞ」
なにかを確かめるように背中を撫でられ、それから何事もなかったかのように、離れて行った。
ふり返る素ぶりも見せず、ひたすらに前を向いて歩く。距離はどんどん離れていって、陰鬱とした場所にひとり、取り残される。
バカみたい。
気持ちの悪い口元を手の甲で拭い、ため息をつく。
ゾロの血の味が口の中をどこまでも広がっていって、ちょっとだけ吐き気がした。