ひっそりと時間を過ごす話





なァ、ナマエ知らねェ?
あー、そういや見てねェな。

だれかがドアを開け、それからそんな会話が聞こえた。
すぐに、肩まで毛布をかぶった。
別に、悪いことなんてしてない。けど、心臓が忙しなく拍動しだす。
重ねた足を近づけるみたいに背中を丸めれば、大きな手のひらが毛布の上に乗った。

寝てんのかな、聞きてェことあんだけど。

思ったよりも近くで声がして、今度は頭まで毛布をかぶった。
大きく息を吸って、止める。
そんなわたしを見てなのか、密着している身体からくっと喉の奥で笑う声がした。
「ペンギン」
シャッ、と勢いよくカーテンが引かれたのは予想通り。隣にある身体が寝返りを打つ。頭の横で、マットレスがいびつな悲鳴を上げた。
艦内の一画に設けられたベッドルームには、三段ベッドがいくつか並んでいる。そのうちのひとつの一番下の段が、ペンギンのスペース。窮屈だけどなんか落ち着くんだよなァ、と以前彼が言っていたとおりここは狭くて暗いのに、腰を落ち着ければ落ち着けるほど、離れがたい気分になってくる。
「あ?」
「お前、ナマエ知らねェ?」
ペンギンの起き上がる気配がする。わたしは毛布の中に隠れているけど、話しかけてきたクルーは気にしていないみたいだった。バレないようにしてくれたのか。ちょうど視覚になったのかも。彼の身体が大きくてよかったと思うのと同時に、見つかったらどんな言い訳をしよう、とヒヤヒヤする。
「知るわけねェだろ」
「だよなァ」
「てか、おれ、眠いの限界だから寝るわ。しばらく起こすなよ」
「おう、悪かったな」
クルーは残念そうな声で告げて、離れていった。ドアの閉まる音のあと、しんと静まり返ったベッドルームに、またカーテンの引かれる音が。
少しずつ毛布から頭を出すと、ペンギンが枕に頭をあずけながらわたしを見ていた。
「すごい、見つからなかった」
「なんで隠れた?」
「なんとなく」
おもしろいかなって。
使い古して毛足の寝た毛布の中に、落とし込むようにして言った。
ペンギンはちょっとだけ呆れた表情を見せ、それからまた喉の奥で笑った。ガキみてェ、と揺らぐ声でひと言。たのしそうにしながらわたしの前髪をかき分けて、生え際に指先を入れてぐしゃぐしゃにする。
「ねぇ」
「ん?」
「眠いなら、わたし、帰るけど」
「え、なんで?」
「今、言ってたじゃん」
「嘘だよ」
「嘘なの?」
「うん。全然眠くねェ」
だから、帰んないで。またマットレスが軋んで、しっかりした腕で毛布ごと抱きしめられる。今の彼はいつものつなぎを脱いで、半袖のインナー姿だった。薄着だと体温を感じやすくなって、触れている部分の温度が上がっていく気がする。少し暑苦しくて、うわぁと変な声が出た。
「暑い」
「おれはちょうどいい」
「離して」
「やだ」
「ねぇ、苦しいってば」
「我慢して」
耳元で甘えたようにささやかれ、頭の後ろがくすぐったくなった。本当のことをいうと、まだこの距離感に慣れていない。だれよりも彼の近くにいて、触れ合っていると思うけれど、彼を前にするといつだって堅牢な胸骨に守られている心臓は騒々しくなる。恥ずかしさを隠すように唇を噛んだ。
ペンギンはいろんな人に対して距離が近いように見えて、実はかなり慎重で常に一定の間隔を保っている。こうして体温を分け合うほどだれかと身近にいることはなく、その特別をわたしにだけ許している。そう、本人から聞かされたことがあるから余計に、照れてしまう。
わたしの仕草に気づいたのか、ペンギンの手のひらが頬に触れた。親指が、下唇を撫でる。ふとひらめいて口を開くと指先がそっと、下の前歯を乗り越えながら入ってきた。
「ぇ、あ……」
「素直に口開けんのかわいすぎねェ?」
指先にぐっと軽い力が入って、舌のざらついたところを触れられた。一瞬、びくっと肩が跳ねて、身構えた。自由を封じられているせいで、唾液がどんどん溜まる。そのぬるついた感覚がちょっと変で、離してほしくて首を横にふったけれど、彼はわたしの反応をおもしろがってにやりと悪い笑みを浮かべるだけだった。
なんだか、くやしい。目の上あたりに力を入れてにらめば、彼は「ごめんごめん」と言いながら人差し指までも入れてきた。
なにそれ、全然謝ってないじゃん。これ以上好き勝手をさせたくなくて、歯を立てた。甘噛み、のつもり。歯の先を浅く食い込ませる。ペンギンは、目を丸くした。すぐに手を引っ込めようとしたけど、それは遅いと気づかせることに成功した。
「痛っ……」
ぱっと口を開ければ、離れていった長い指先には、わたしの歯型がついていた。
やめてって言ったときにやめないからよ。ちょっと得意気になって言う。
ペンギンは、いたずらをしかけていた自分の手に視線を向け、少し考えるような顔をした。それから、いきなりわたしの後頭部に手を添え、引き寄せた。
「えっ、」
ちゃんとした声を上げる間もなく、唇を奪われた。それも、触れるだけの軽いキスじゃなくて、唇を噛んで、息づかいを奪うようなもの。不意をつかれまごついたせいで、息つぎをどうすればいいのかよくわからなくなった。あっという間に苦しくなる。がんばって胸板を押し返しても、びくともしなくて、腕の力が緩まなかった。
ペンギンは、唇をふさぐだけにとどまらず、わたしを押し潰す勢いで体重をかけてきた。彼の肩を強く掴んで叩いても、やっぱりびくともしなかった。目を閉じながら、舌先から逃げるのに必死だった。
どのくらい時間が経ったかわからない。名残り惜しげに唇の先が離れ、解放されたとき、髪の毛がぐちゃぐちゃになっていた。
「な、にするの」
「なにって……お前が煽ってきたんだろ」
「煽って、ないし」
「無意識かよ」
わたしのおでこに自分のをそっとぶつけ、顔を見合わせて、質悪ィ、とペンギンはため息をついた。
間近にある瞳の中に、わたしの影が見えた。
「手加減」
「うん」
「できなくなるかと思った」
「謝らないよ」
「お前なァ」
「好き勝手のがいけないんじゃない」
「でも、好きだろ」
「好きじゃない」
「嘘つけよ、いっつもかわいい顔するくせに」
「してない。ペンギンの勘違い」
「いーや、してる。おれ、知ってる」
「わ、」
「見てる」
ちゅ、と湿った音を立てて、鼻先に触れるだけのキスを落とされる。反射的に目を閉じると、まぶたにもおなじように。それから頬に触れて、あご、首筋、鎖骨と順番になぞるように触れられて、ぞわぞわとした感覚が背筋を走った。
「ちょっと」
「ん、」
「やめてってば」
「嫌だ」
「くすぐったい、から」
「うるせェなァ、もっとするぞ」
「そうしたらもう、触らせてあげない」
「はは、それは困る」
ペンギンは小さく笑い、わたしの身体を抱き寄せる。まだ心臓が忙しなく動いていて苦しくて、もしこのまま彼のペースに飲まれてしまったら、この狭い巣穴みたいなところから逃げるのはむずかしいと思ったけれど、彼はただ乱れた髪や背中を落ち着かせるように撫でるだけだった。
「……もうちょっとしたら帰るからね」
「なんで?一緒に寝てようぜ」
「あのね、仕事あるの」
「そんなん後回しでいいだろ」
「よくない」
長い腕の中で身じろぐと、不満そうな表情を向けられた。わたしだって本当は、この心地よさに身を委ねていたいけど、でも、そういうわけにはいかない。
「キャプテンに怒られる」
「バレなきゃ大丈夫だって」
「絶対バレる」
「お前、隠しごと下手くそだもんな」
「ひと言、余計」
「本当のことだろ」
「もういい。怒られたら、ペンギンのせいにする」
「あ、それはやめろ」
キャプテン、キレると怖ェんだって。ペンギンは、真剣に言う。どれだけ頭が上がらないのだろう。気持ちはわかるけど。
毛布の中で重ねていた腕を解いて、外に出す。ずっとあたたかいところにあったから、肌が火照っていた。手を伸ばし、ペンギンの頬を軽くつまんだあとに、そっと撫でる。それから、彼がしてみせたように鼻の先と、上唇の先に触れるだけのキスをすれば、きょとんとした表情のあとに頬を緩ませてにこっと笑う。
「かわいいな」
だれにも聞かせないように。わたしにだけ、伝えるように。ペンギンは、ささやいた。
甘く鼓膜を叩き、耳を包むその声は、海の泡みたいに音もなく消えていった。



ワードパレット使用作品
14.バレないように/密着/顔を見合わせて
Thanks 憂/@torinaxx


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