疑われたりする話
「お前ってキャプテンと仲悪いよな」
開いたドアにもたれながら、ペンギンはへらりと笑って、言う。
仕事はどうしたのと訊ねると、彼はなにも言わずに肩をすくめた。さぼってたら怒られるのに。ローに頼まれたカルテの整理をしながら、思った。
「最近、いつ話したよ」
「いつだろう」
二週間、ううん、二ヶ月かも。詳しい月日を覚えていなくて適当に口にすれば、彼は片眉を上げてみせる。
「なにした?」
「え?」
「二ヶ月も口きかねェとか、よっぽど怒らせたんだろ?」
「別に、なにも」
「なにもねェのに、口きかねェの?」
なにしたんだよ。なんて、にやっと悪い笑みを浮かべながら、食い下がってくる。そんなことを言われたって、心当たりはない。探りを入れられることに戸惑い、口をつぐむ。ペンギンはそんなわたしに、好奇心にあふれた視線を向けてくる。
「キャプテンがさ」
「うん」
「嫌いな奴を船に乗せるわけねェんだよ」
「そう、ね」
「じゃあ、なんでそんな仲悪ィんだ?」
ペンギンが首を傾げる。わたしはただ、曖昧に笑った。
「わたしたちって、仲悪いみたいよ」
胸の上に乗った頭に向けて言うと、彼は小さく息を吐いた。手持ち無沙汰で、黒い髪に指を通す。くすぐったかったのか、大きな身体が身じろいだ。
「こんなに仲良いのにね」
そう言うと彼は──ローはゆっくりと顔を上げ、キャミソールの紐がずり落ちてはだけたわたしの肩に、そっとキスを落とした。
唇の先が何度も、鎖骨の下や、肩の先や、二の腕の内側に触れて、離れる。そしてまた、わたしの胸の上に頭を乗せて、ゆっくりと体重をかけながら寝そべる。重くて固くて彼の身体は、パズルのピースがはまるみたいに、ぴたりと収まった。
黄色い鉄のくじらの中。インクと古い紙と透き通った薬の匂いが漂うその場所は、夜の底にもっとも近い時間に、鍵が開く。暗闇に慣れた目で、だれも寄せつけない重い扉に近づき、音を立てずに開くと、部屋の主は悠然と構えて出迎える。
いつからそんな習慣が生まれたのかは、記憶が曖昧だった。つい昨日のことのようにも思えるし、もっと以前からだった気もする。彼に訊ねれば、たしかめられるだろうけれど、必要じゃないからやらない。
寄り添わないと、目覚めが悪いから。だれに聞かせるでもない言い訳を、勝手に胸の中で唱えながら、続けている。
「ローはわたしのこと、大好きだもんね」
寡黙なようでいるけれど実はそうではなく、自らの胸の内を、ゆっくりと言葉を重ねて紡ぐ彼は、たしかにそう言った。ひそやかに続く儀式めいたやりとりを憂いたりしないように、ということだったらしい。誤解をしてほしくないと、いつになく真剣な面持ちで言われ、その姿をああ彼らしいと感心した覚えがある。
「お前もおれが好きだろ」
「ローには負ける」
ゆっくり息を吐きながら、笑って答える。墨の入った大きな手のひらが、肌の上を滑った。長い腕が背中に回って、しっかりと抱きしめられる。
好きよ。もはや馴染み深いベッドに、ゆったりと身体を委ねながら、つぶやいた。彼の息づかいと、安定した鼓動の音が、よく聞こえる。生きている音。いつもは、捕らえようとしても指の間をすり抜けてしまい、遠く離れてしまうのに。今はたしかにここにいることを、証明する、鍵。
目を閉じる。このままどこまでも行けそうな気がする。たとえ海の底に沈んだとしても、泡になって溶けずにすむかもしれない。わたしにも、彼にも、愛されて芽生え育った魂があるから、星になって空に座れるかもしれない。三百年もさまよわずに、いられるかもしれない。
ふいに名前を呼ばれ、目を開ける。目の前に、角灯のオレンジを吸った瞳があった。やわらかく、黄みの深い色。目は口ほどに物を言うと言うけれど、彼の目はまさにそう。このまま眠ってもいいと、わたしに伝えているみたいに、ゆったりと凪いだ視線だった。
自然と頬が緩み、笑う。そのまま呼吸をくり返すと、あっという間に眠気の波が顔にかかる。手足から力が抜けて、徐々に意識が沈んでいく。
おやすみ。完全な眠りに落ちる前に、ぼんやりとした意識の中で、言った。
耳の近くで、ふっと息を吐くように、笑われた気がした。
ローと散歩してくるね。
つなぎを脱ぎ、半袖のインナー姿になったペンギンに言った。デッキブラシで甲板の掃除をしている真っ最中の彼は、ぐっと眉間にしわを寄せながら、またもわたしの顔を探るように見る。
「船長と?」
「うん」
「どこ行くんだ?」
「すぐそこ」
「すぐそこって?」
「それほど遠くないところ」
「なんで?」
「ローが散歩したいんだって」
「なんで船長がお前と散歩するんだよ」
「わからないけど、そういう気分なんじゃない?」
「……変なことしないよな?」
「なに言ってるの」
いつまでも疑ってくる彼に思わず吹き出すと、「笑うところじゃねェだろ!」と声を上げられた。なにをそんなに気にすることがあるのやら。ひとりで顔を青くしたり、赤くしたりと忙しい彼が、おかしかった。
「じゃあ、朝帰りでもしてこようかな」
「はァ!?」
「冗談」
「なっ、なんだよ、おどかすんじゃねェよ……」
「勝手におどろいてるだけじゃない」
「うるせェ、急に仲良くなりやがって」
「もともと仲良しだけど」
「嘘つけ」
ペンギンはそう言ってため息をつくと、握りしめていたデッキブラシ動かし、また甲板を磨き出す。彼の前を通りすぎるとき、「気をつけろよ」と声をかけられた。
「朝帰りしてもいいみたいよ」
靴を脱ぎ、裸足になって、砂浜を歩く。足の指の間に乾いた砂が入ってきて、くすぐったい。ときどき触れる白い飛沫はつめたくて、気持ちがよかった。
初夏の日差しが降りそそぐ海は穏やかで、風は透き通って清らか。わたしたち以外に、人の気配はなく、たまに波と風の音に海鳥の鳴く声が混ざるくらい。太陽は真上にあるのに、閑静とした様がどこか現実的ではなくて、まどろみの中のようにも思えた。
本当に朝帰りしたら、きっと、ペンギンがおどろくだろうけど。足の甲を滑り落ちる泡を見ながら、言った。ふり返ると、ローは険しい表情を浮かべながら、こちらを見ていた。能力者でもあるし、単純に濡れるのが嫌いな彼は、わたしと距離を開けて歩いていた。その長い手を伸ばしても、届かないくらいの間隔。きっと、傍から見たら、よそよそしさを感じるかもしれない。
「変な顔」
「うるせェ」
「その顔はなにかが気に入らないのね」
知ってるよ、ローのことなら、なんでもわかる。風が吹いて、髪が泳ぐ。手で押さえ、整えながら言えば、ローの眉間に深いしわが刻まれるのが見えた。
「もう、怒らないの」
「……怒ってねェ」
「ちゃんとわたしの顔を見て、言えば?」
「おい」
「怒らせたつもりはないよ」
「…………言ってみろ」
「え?」
「今、お前はだれといるんだ、言ってみろ」
「なにそれ」
「言え」
「やだ、もう。すぐやきもち妬くんだから」
あはは、と声を上げて、笑う。ローの表情はますます険しくなった。わたしの言うことも、態度も、気に入らないみたい。ついには立ち止まって、動かなくなった。
そんな彼を尻目に、わたしは少しだけ、ひとりで歩いた。波と砂浜の境を、行ったり来たりしながら、思うままに進んだ。途中、何度かふり返ったけれど、すらりと背の高い影は立ち尽くしたままだった。強情だと思いつつも、しばらく離れたままでいるのをたのしんだ。
「まだ怒ってるの?」
気がすむまでたのしんだあと、砂浜に刻んた足跡をさかのぼり、また彼の前に立った。まぶしそうに目を細めていたから、手を伸ばし、目の下をそっと撫でてあげた。どんなにたくさん寝ても居座る隈は、ひんやりしていた。
「仲が悪けりゃよかった」
「なにそれ」
「そうしたら、こんな惨めな気持ちにならずにすむ」
「拗ねないの」
「おれといるんだ、ほかの男の話はやめろ」
広々と、晴れやかな場所に似つかわしくない、低い声がおかしかった。
くすくすと笑いながら「バカねぇ」と言うと、彼は唇を尖らせ、それからわたしを勢いよく引き寄せ、下唇に歯を立ててキスをしてきた。
食い込む前歯の力強さに、肩が跳ね、震えた。
首の後ろを日差しが焼いて、ひりひりする。
キスをしている間も、唇が離れてからも、わたしはずっと笑っていて。
ローはそんな姿を、へそを曲げたままじっと見ていた。
ワードパレット使用作品
10.闇に慣れた目/ぼんやりと/もう少し
Thanks 憂/@torinaxx