匿名様 ちん様リクエスト
「…橘穂村、です。よろしく」
なんて、冷たい目をした子なんだろう、と思った。
▽
俺が穂村に出会ったのは高二の春のことだった。俺の通う六頴館高校は、クラスはしっかりと成績順に並べられているくせに席は妙に適当というか、完全に先生の気分で決められている。去年と同様黒板に貼られた席順を見て、俺は首をひねった。普通に出席順で俺の席を決めるなら、大体俺は端っこの前の方になることが多いのだが、今回の俺の席は後ろの隅っこのほうだ。また妙な席になったなあ、とは思うがまあ一番後ろの端の方なんて学生にとっては当たりの席だ。俺はうんと頷いて後ろの方の自分の席に向かった。
自分の席に鞄をドサリと降ろして、ふと隣の席を見た。左隣…つまり窓側の一番端っこの一番良い席に座るその子は、ぼんやりと肘をついて窓の外を見ていた。隣の席か、と俺は少し思案して、声をかけることにした。隣の席だし、今年の担任は一年席替えをしないことで有名だった。仲良くしておいた方がいいだろう。
「ねー、何見てんの?」
「…、」
「あ、おれ犬飼澄晴。隣の席だから、よろしくね」
窓の方に向いていたその子の顔が、こちらを向いた。
「…橘穂村、です。よろしく」
「……、」
なんて、冷たい目をした子だろう、と思った。目の前のものを見ていない、暗い空虚な瞳だ。どこか諦めているような、どうでもいいというような、何も感じていないその目はおれには少し怖くて、思わず少し押し黙った。
「…? 犬飼?」
「、え!? な、なに?」
「いや…黙るから。見るからにうるさそうなのに」
「えっ何それ酷くない?」
穂村の軽口に、おれもいつもの調子を取り戻した。いつものように笑って、穂村と他愛のない話をする。冷たくて暗いその瞳以外は、案外普通の子だな、という印象を受けた。ノリは良くてそこそこ距離感も弁えてて、喋るのも下手というわけではない。話しやすい子だ。
「ねー穂村ってさあ」
「うわ急に名前呼びかよ」
「えーいいじゃん。誰にでもするわけじゃないし。ちゃんと大丈夫な子とそうじゃない子を見極めてるし」
「ドヤ顔やめろ」
あははと笑いながら、おれは内心とても冷えた気持ちでいた。話しやすくて、ノリも嫌いじゃない。なのに、底冷えするようなその暗い瞳は、おれの心まで冷たくした。
おれは最初、穂村のことを好きどころか、むしろひどく苦手だった。
「(この子が一年間隣の席か…)」
なんだか幸先の悪い一年のスタートになったな、と溜息を吐き出した。
▽
「橘さーん、体育一緒に行こー」
「あー、うん」
穂村はクラスメイトの女子からの誘いに頷いて、席を立った。行ってらっしゃい、と声を掛けると気の抜けた返事が返ってきた。穂村が教室を出て行ったのを確認してから、思わず大きな溜息を吐き出した。あの目が隣にいると思うと、どうにも気が滅入ってしまう。
穂村はおれも所属しているボーダーという組織に所属しているらしかった。とはいえ、つい最近入ったばかりのおれとは違い穂村は中学生の頃からいるらしいので、向こうのほうが先輩になるのだが。ポジションは違うものの、同じ組織に所属していてクラスが一緒で席も隣となればそりゃあ話す機会も多い。元々学校でだけ仲良くしていればいいか、と思っていたおれはそれを知って思わず絶句してしまった。はあ、今年は本当にツイていない。
穂村はクラスで孤立こそしていなかったものの、どこか一人、浮いた雰囲気があった。仲良くはしているけど、自分は一線引いてそちらには入らせないし、そこから出ない。声は届くし顔も見える距離だけど、友達になるには遠い距離。穂村はクラスメイトに対して、ずっとそんな距離を保っているように見えた。…いや、クラスメイトどころか、おれや、ボーダーでよく一緒にいる当真に対してもそうだった。軽口を叩いて一見仲良さそうに見えるのに、心の中では一線を引いて距離を置いている。それを見ていると、どこか悲しい気持ちになった。穂村はボーダー内でドライモンスターだと言われているらしい。それを聞いておれはひどく納得した。由来は別にあると聞いたけど、他人のことに興味がない、心の冷えきったドライモンスター。俺の中で、彼女のイメージはそれで定着した。そうして、やっぱりおれは彼女が苦手だ、と思った。
そんなある日のことだった。おれはその日、ボーダーへの道のりを歩いていた。特にここ、と決められているわけではないが、大体の隊員がその道を使っている。おれや穂村もその一人で、お互いに帰るときに一緒になればその道から本部へと向かっていた。
その日、おれは一人で本部への道を歩いていた。今日おれが掃除当番で、穂村が先に帰ってしまったからだ。正直穂村のことは苦手だから、一緒に帰らなくてもいい日は気楽だった。
「…ん?」
少し歩くと、少し離れたところに見慣れた後ろ姿を見つけた。短い髪にあのリュックは、穂村だ。声をかけようかどうか迷って、結局かけないことにした。どうしておれよりも先に出たのに追いついてしまったんだろう、と不思議に思ったが、少し歩くうち、穂村がかなり遅いスピードで歩いていることに気づいた。いつもの穂村の歩くスピードは普通で、あんなに遅くない。どうしたんだろう、本部に行きたくないんだろうか、と色々考えたがこれだ、というものは思い浮かばなかった。おれも歩くスピードを落として、穂村と一定の距離を保って歩いた。しばらく歩くと、ふと穂村がいつものルートから外れた道に曲がった。え、と驚いて、おれもその道を曲がる。やっぱりのろのろと、本部じゃない方を目指して穂村は歩いていた。
「…なんだろう」
少し気になって、気付かれないように後を追った。またしばらく歩くと、壊れた家の並んだ地区に出た。隠れながら、後を追いかける。
穂村がとある瓦礫の山の前で立ち上がった。その場にしゃがんで、リュックをゴソゴソと漁りだした。そうして、綺麗に包装された一本の花を取り出す。遠くて花の種類は分からないが、それを見て、おれは全て理解した。
「(あの瓦礫の山は…)」
穂村は花を瓦礫の前に置くと、す、と小さく手を合わせた。小さく、おとうさん、おかあさん、と口が動いたように見えた。
「(…両親が、近界民に…?)」
あの冷たい目は、それが原因なのだろうか。物陰に隠れてその様子を見ながら、首を傾げた。しばらくそうしていると、穂村がスッと立ち上がった。ぼー、と、その場に立ちつくしている。そうして、ぼそぼそと、口を開いた。
「…ごめん、なさい」
「え?」
「、は?」
その呟きに、思わず声を上げてしまった。慌てて口を抑えるがもう遅い。少し考えて、おれは穂村の前に出た。
「や、やっほー? 偶然だね…?」
「……なにやってんの犬飼」
「いや、ちょっと……穂村を見かけて……どこ行くのかなーって思って?」
「…ふーん」
穂村はやっぱり興味のなさそうな顔で相槌を打った。少しバツが悪くなって、頭を掻く。えーっと、と少し首をひねって、言葉を探した。
「あの、さ」
「なに?」
「さっきの……『ごめんなさい』って、なに?」
おれが、思わず声を上げた原因になった言葉。どうして「ごめんなさい」なんだろう。どうしてそんなに苦しそうに、自分の家の前で謝っているのだろう。両親が死んだのは近界民のせいなのだから、穂村が謝る必要なんてないはずだ。
しかし穂村は、そんな俺の問いに心底不思議そうに首を傾げた。
「は? そんなこと言ってないけど。なんで私が謝んの?」
「…は?」
「変なの。ほら早く本部行こう」
そう言って、穂村はおれの横を通り過ぎた。おれは呆然と、その場に立ち尽くす。
「…えー…」
なんだよそれ。
▽
それからおれと穂村は一定の距離を保ったまま、またしばらく経った。目も態度も冷たいが、それさえ無視してしまえばあとはどうにでも付き合える。だがまさか一緒にバウムクーヘンを食べに行く約束をすることになろうとは思わなかった。おれは一定の距離を保ったまま、上手く付き合えていた。仲も良すぎず、かといって悪いわけでもない、比較的よく話すかなー、くらいの、そんな関係だった。だったのに、つい先日のことだ。予習を見せてほしい、との頼みに、穂村が条件としてバウムクーヘンを奢ってほしい、と言ってきた。おれはそれを渋りつつも(多分金銭的な理由で渋ったように見えたと思う)了承してしまった。なんで了承してしまったのか、自分にも分からなかった。
「穂村ー、今度の日曜空いてる?」
「え? うん。空いてるけどなんで?」
「何言ってんの、穂村がバウムクーヘン奢れって言ったんじゃん。駅前のケーキ屋だったよね?」
「え、うん……って食べに行くの?」
「うん? そのつもりだけど……え?」
「いや買ってきてーってつもりだったんだけど……うーんまあいっか」
額を抑えた。そうか、奢れってバウムクーヘン買ってこいって意味だったのか。完全に一緒に行こうって誘いだと思っていた。そりゃそうか、他人と距離を置いてる穂村が自分から出かけようなんて誘ったりするわけがない。そして完全に今ので出掛けるのが決定した。おれ馬鹿じゃん。
内心で溜息を吐き出しながら、おれは隣の穂村を見た。
「…穂村バウムクーヘン好きなんだね」
またドライモンスターに似つかわしくない好きな食べ物だな、と思いながらおれは穂村に言った。穂村は一瞬きょとんとした顔をして、そうして、くしゃ、と、笑みを浮かべた。
「うん。好き。一番」
「…、」
素直なその言葉と、その冷たさの欠片もない笑顔に、おれは目を見開いた。いつもの、冷たさを含んだ笑顔じゃない。綺麗、とか可愛い、とか、そんな笑顔じゃなくて、本当に顔を歪めたような、不器用な笑い方だった。
「(穂村って、こういうふうに笑うんだ)」
好きだなって、直感でそう思った。さっきまで苦手だなんのって言ってたくせに、あまりに単純なそれに、自分で少し笑った。
「…穂村が笑うって珍しいね」
「え。そう? 結構笑ってるけど」
「うーん……あれじゃなくて」
「はあ?」
穂村は自分で気付いていないのか、と、首を傾げた。もしかしてあの冷たい目も笑顔も他人との距離感も、すべて無意識のうちに行っているんじゃないのか。そう気付いて、言葉を失った。
「(壊れてる)」
人として、大事な部分が欠けている。そんな穂村をおれは壊れている≠ニ思った。穂村は自分の大事な何かが欠けているとは気付いていない。自分のことも、他人のことにもきっと興味がないから。
だけど、今穂村はおれに、笑ってくれた。きっと恐らく、本来の穂村の笑い方だろう顔で、笑ってくれた。ということは、きっかけさえあれば、穂村はまたその欠けた部分を取り戻せるんじゃないのか、と思った。
「おれにできるかな」
「は?」
「んー、いやこっちの話」
願わくば、その欠けた部分を取り戻すのはおれの役目であってほしい。そしてもっと言ってしまうならば、また、おれにさっきみたいな顔で笑ってほしい、って思うんだ。
「日曜日、楽しみだね」
「んー、まあそうだね」
君の笑顔に恋に落ちた、なんて単純な話じゃないけど、もう一度あの笑顔を見るために、おれは穂村のそばにいる。
犬飼との出会いの話