IH開始!

 IH当日。私は朝目覚めた瞬間、重苦しい溜息を吐き出した。

「…あーあ……来ちゃったよ…」

 重い体を起こして、ジャージに着替える。携帯を見れば、橘からメールが来ていた。

『今日IHだったよね?? 最後にしっかり思いで作ってきなよ!』

「……」

 橘には辞めることを伝えてある。最後に≠アの言葉が、突き刺さって仕方がない。携帯を閉じて、リビングに下りる。お母さんが朝食とお弁当を用意して待っていた。近付いて、椅子を引くと漸く気付いたお母さんは一瞬ビクリと震えて、私の名前を読んだ。

「千景。…おはよう」
「おはようお母さん」

 そこから会話もなく、黙々と朝食を詰め込んでいく。十五分くらいで食べ終えて、席を立った。

「、もう行くの?」
「うん。集合いつもより早めだから」
「…千景。分かってると思うけど…」
「お母さん」
「、」
「行ってきます」

 つい、イライラして語気がつよくなる。分かってることを、言われたくないことを何度も言われるのは嫌だった。行ってらっしゃい、その言葉にもう反応はせず、家を出た。


「あ、御国さん。おはようございます」
「、武田先生。…おはようございます」

 学校に着くと、丁度集合場所に向かう途中らしい武田先生と出会した。イライラしていた気持ちが少し安らぐ。

「あれ、何だか元気が無いですね」
「、…え、そうですか?」
「気のせいならいいんですけど……無理はしなくていいですからね?」

 そう言って小首を傾げる武田先生に、大丈夫ですよと笑いかける。今日勝って、明日も勝って、全国に行きたい。勝てば、それだけバレー部にいられるから。だから。

「勝ちましょうね、先生」
「! そうですね!」

 だから、勝たなくちゃ。


 ▽


 烏野高校は案外注目されているんだな、と、それがこちらについてからの一番の感想だった。周りから聞こえてくる選手たちの噂やついでに潔子さんへの褒め言葉?を聞きながらそんなことを考える。それに先程強豪である(らしい)伊達工業?にも絡まれていたし、やはり今年の烏野は凄いらしい。

「ちょっとそこの幽霊サン。ただでさえ存在感薄いんだからキョロキョロしてないでちゃんと付いてきなよ」
「月島君何で君はそう一言余計なんですか。後幽霊じゃないから!!」
「こらそこー、喧嘩するなよー」

 相変わらず口の悪い月島との口論が始まろうとしていた時、縁下先輩の制止がかかる。縁下先輩に言われると私も月島も逆らえないのでお互いに黙りこんでしまう。暫く睨み合って、どちらからともなく目を逸らす。そんな私に縁下先輩が笑いながら話しかけてくる。

「御国さっきまで暗かったけどもう大丈夫っぽいな」
「……え。そ、うですか?」
「そーそー、なんかこの世が終わっちゃうってくらい思いつめた顔してたよ。集合した時から」
「はあ……なんかすみません」
「いやいや! もう大丈夫みたいで良かったよ。月島のお陰かな」

 言われて、否定しようと口を開きかけるがいや確かにそうかもとすんでのところで口を噤む。月島の嫌味で先程まで色々と考えていたことが吹っ飛んだのは事実なのだ。悔しいが形としては月島のお陰≠ネのである。

「………」
「不服そうだなあ」
「そりゃ不服ですよ」
「まあまあ、今日も応援ガンバろうな」
「…はーい」

 何か縁下先輩と話してると落ち着くなあ。

 一回戦の相手は常波高校という、失礼だがあまり強くない高校≠セった。普通はそういう高校には全力は出さず、八分目ほどの実力で戦うのが通常…らしいのだが、烏野のメンバーはどんなにリードしていても一点を喜び、悔しがり、全力で戦っていた。

「…何でですかね」
「ん?」
「あ?」
「あんなに全力でやらなくても、勝てるのに」
「………」

 半分は独り言で、半分隣の武田先生と烏養さんに問いかけるように、そう言った。心底不思議で堪らなかった。今ここで力を尽くすよりも、後の強豪のために体力を温存しておいたほうが良いのではないかと。そんな私に、武田先生と烏養さんは顔を見合わせる。

「あー、とな」
「御国さん、真剣な勝負事で、どんなに相手が格上だとしても、手を抜かれたら、それは悔しいでしょう?」
「、」
「勝負事で手を抜く≠ニいうことほど、相手に失礼なことはありません」

 烏養さんは隣でうんうんと頷いている。私は武田先生の言葉を頭で反響させて、考えて、そして頷いた。

「…そうですね。すみません」
「いいえ」
「素でそれができちゃう烏野は、やっぱり凄いんですね」
「そうですね」

 武田先生と話しながら、真剣な表情の皆を見る。圧倒的に勝ってはいるのに、烏野の汗の量は、相手の比じゃない。凄い。凄いなぁ。

「やっぱりもっとここにいたいな…」

 つぶやいた声は、誰にも、隣にいた武田先生にさえも拾われなかった。


 ▽


 常波高校との試合には無事勝利して、私達は昼休みを迎えていた。先ほどの試合で日向は周りからすげえ十番≠ニ注目されニヤけている。私はそれを横目で見て、思わず笑いを零した。初っ端ではマークどころか認識すらされていなかった日向がこんなに注目されるなんて、1試合の活躍というものは凄いと実感させられる。1人気づかれずにニヤけていれば、パチリとこちらをじっと見つめる月島と目が合った。ドキリと(驚きの意味で)心臓が高鳴って、「な、なに」となんとなく睨み返す。

「…別に。元気そうじゃん」
「、! は、はあ!?」
「ん? どうかした? 御国さん」
「やっ、山口! 何でもない!」

 意味深(?)な月島の言葉に反応していると、烏養さんが来て皆がそちらに注目する。私も烏養さんの言葉に耳を傾けていれば、「二回戦のスターティングも一回戦時同じで…」という烏養さんの台詞に澤村先輩が少しだけ反応したのに気付いた。どうしたんだろうと首を傾げ少し考えて、ふと最初の方に言っていたポジション云々の話を思い出した。そういえば菅原先輩は元々の烏野のセッターで、だけど戦力としては影山を使うのはチームとして当たり前で。気付いたところでどうにか出来る訳じゃないけど、ただ何となく、遣る瀬無くなった。


「烏養さん。…烏養さん!」
「、…!? お、おおう!? 御国か。何だ」
「いや、メンバー表取りに来ました。今の内に交換行ってきます」
「お、おう。宜しくな」
「……」
「? どうした?」
「ちゃんと」
「ん?」
「ちゃんと必要としてあげてくださいね」
「? お…おう……?」

 烏養さんがちゃんと答える前に、私はメンバー表を持って走った。メンバーとして、選抜されないことがイコール必要とされないことだと思っているわけではない。だけど、どうしても形≠ニして、必要としてくれる何かは欲しくなるから。

「…菅原先輩、試合出られるといいな」

 ただ今のは多分、余計なお世話というやつだった。


 ▽


 第二回戦目、私はベンチではなく観客席で試合を見る事になった。本来、ベンチに居るマネージャーは一人で良いのだというが、先程は言い忘れていたらしい。申し訳なさそうに伝えてきた潔子さんに大丈夫ですと笑って、観客席に上がる。言い忘れてたっていうか、多分存在を忘れられてたんだろうなあ。思わず苦笑が漏れる。
 アップを始めた選手達の顔は、見るからに硬いものだった。前回、三月にあった大会で今回の相手である伊達工業に負けたことは、先輩たちから聞いて知っていた。無理もないか、と少し心配しながら皆のアップを眺めていると、一際大きな声が観客席にまで響いてきた。

「…西谷先輩?」

 名前以外は切れっ切れの、見事な回転レシーブ。命名、ローリングサンダーアゲイン。前のと何が違うのか謎である。立ち上がった先輩に、硬かった皆の表情が一気に柔らかくなった。ワイワイと、いつもの部活の雰囲気。

「心配することなんか何も無え!! 皆、前だけ見てけよォ!!」

 呆気にとられた皆の前で、西谷先輩は続けた。

「背中は俺が、護ってやるぜ」

 その言葉に、皆の胸が打たれる。ち、畜生、確かにコレは格好いい。惚れざるを得ない。いや私が好きなのは先生だけど、人として。

「ん? そういや千景はどこ行った?」

 ふと、私の名前が呼ばれた。少しだけドキリとして、何となく手摺に顔半分、隠れるようにしゃがみ込む。下にいる西谷先輩を見ると、キョロキョロと辺りを見渡している。

「ん? またその辺にいるんじゃねえか? 千景ちゃんなら」
「んんんー? …こらー千景! 隠れてないで出てこい!」

 私は幽霊か! 私は下にはいないのにただ見えないと思い込んでいる西谷先輩と田中先輩に、思わず額に青筋が浮かび上がる。見えないったって限度があるでしょう限度が!

「御国さんならあそこにいますよ」

 あまりに気付かれないので観客席から身を乗り出し、怒鳴ろうと思っていれば、武田先生がこちらを指してきた。驚いて、身を乗り出した体勢のまま固まる。武田先生と目が合った。うわわ。

「あっ! 千景何でそんなとこに!!」
「…うっさいんですけどさっきから!! っていうか見えないのも限度がありますからね限度が!!」
「うるさいとは何だうるさいとは!」
 
 ぎゃあぎゃあとひとしきり叫んで、思わず笑う。うーん、なんか、ムカつくけど、楽しい。

SANDGLASS